2023年9月27祈祷会


2023年9月27日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:コリント人への第一の手紙12:12~27 (口語訳:新約270頁)

 

 パウロは、今日の箇所で教会を「体」にたとえました。このたとえを用いておおまか三つのことが伝わってきます。①教会をつくりあげる一人ひとりは違いを持ち、多様であること。②違いを持つのですが、キリストの体の一部分であるという点では同じであり、互いを必要とし協力関係にあるということ。③そして、一般的には不必要で“弱い”と見られる部分が、かえって最も重要な部分であること。

 今週は、神学校週間ということで、西南神学部の長尾基詩神学生の証しを紹介したいと思います。厳密にいえば神学校は教会ではありませんが、教会と同じように神学部(神学校)は一種の共同体であり、パウロが今日の箇所で訴えようとしていることが、この証しを通して伝わってくるように思うのです。

 題:「主に開かされ、主に聞く」(長尾基詩さん)

神学部に入学して2年目になる。入学した日のことは昨日のことのようにも思われるが、今日までの日がここまで濃密になったことに思いを馳せる。この歩みに主が伴ってくださったこと、全国諸教会の皆さまの熱き祈りがあったこと、本当に感謝したい。

神学校としての西南学院大学の特徴は何かと問われれば、それは開かされ続ける学びにあるだろう。西南では、常に神学コース生と人文コース生とが一緒に机を突き合わせて学ぶ。人文生には聖書を開いたことのない学生も多い。その中で神学をするということはとても意義深いものがある。授業中、彼らと議論の交流をする中で自分がいかに閉じられた教会の常識の中だけで生きていたのかを思い知らされる。神学的な知識、自分の教会観を持っていないと言って、彼らを見下し、無視することは簡単にできるだろう。しかし、牧師として教会に仕える、人に仕える姿勢とはそのようなものなのだろうか。主に開かされ続け、彼らに開かされ続け、主に聞き、彼らに聞く。神学するものとして、あなたはどう生きるのかと主から問われる日々である。

寮生活では、朝に祈りの時間を持つ。『バプテスト』誌の「協力伝道カレンダー」を用いて、聖書を読み、1日1つ、全国諸教会の中の1つの教会を覚え、祈る。その時間はひと時の休息となり、学びに向かっていく活力となる。これからも謙虚に、誠実に神の言葉と向き合っていくつもりだ。祈りに覚えられる者として、神の働きに召された者として。

 私も西南神学部で学び、長尾さんと同じような経験を通らされ、アーメンとうなずく内容だと感じています。ほとんど聖書を開いたことがない人文生との学びについて、私自身、戸惑いを感じていたことを思い出します。私は人文生たちを軽視していたのです。でも、彼らがいたからこそ「届く言葉・・・届く『よい知らせ』は何だろう?」・・・今でも考え続けている問いかけをいただいたと確信しています。今日はこのレジュメの裏に、各神学校の神学生の名前を載せています。お一人お一人の学びのために心を込めて祈りましょう。違いを持つ人々との出会いを通して、主イエスに開かれる学びの日々でありますように・・・と。                               

(西本詩生)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(西本詩生牧師)

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内の教会(無牧師の苫小牧)、ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫

 

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九州バプテスト神学校【9名】

河野 正成 (かわの まさなり/キリスト教佐賀新生)、松本 泰博 (まつもと やすひろ/天草中央)、武宮 陽子 (たけみや ようこ/大分)、西野 修平 (にしの しゅうへい/北九州)、

諸隈 秀臣 (もろくま ひでおみ/久留米荒木)、浅川 真(あさかわ まこと/香住ケ丘)、

李 守卿 (い すぎょん/長崎)、今里 豪 (いまさと つよし/折尾)、

甲木 榮 (かつき さかえ・自由ヶ丘)

 

東京バプテスト神学校【8名】

井馬 佐紀子 (いま さきこ/仙川)、小平公憲 (こだいら きみのり/横浜ニューライフ)、

澤田 猛 (さわだ だけし/横浜JOY)、根塚 幸雄 (ねづか ゆきお/横須賀長沢)、

小川 紀良 (おがわ きよし/逗子第一)、柏 雅之 (かしわぎ まさゆき/経堂)、

舛田 栄一 (ますだ えいいち/洋光台)、末永 美奈子(すえなが みなこ・同盟横浜南キリスト教会)

 

西南学院大学神学部【7名】

原田 仰(はらだ こう/平尾)、吉田 睿濫(よしだ いえらむ/松本福音村)

奥田 悟(おくだ さとる/東京北)、長尾 基詩(ながお きし/府中)、李 信範(い しんぼむ/平岸)

石原 誠(いしはら まこと/常盤台)、湯川 洋久(ゆかわ ひろひさ/福岡城西)

 

かっこの中:(お名前のひらがな/推薦教会)

 

 


2023年9月20祈祷会


2023年9月20日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:詩篇139:23~24 (口語訳:旧約872頁)

 

 先週は、久しぶりに娘Rと密な時間を過ごす一週間となりました。Rが入院していた期間、祈られ、支えられたことに感謝します。普段は娘たちを寝かしつけるのを妻に任せっきりで・・・任せっきりにしていることは反省しなくてはと思いつつ、先週は私がどっちかの娘を寝かしつけることになり、“あること”を思い出しました。その“あること”とは、うちの娘たちの特有のくせなのかもしれませんが、彼女たちは寝る時に、親がちゃんと横にいることを確認するために、手や足をくっつけてくるのです(時には顔に足を乗っけてきたり)。くっつけてくる手や足が体から一瞬でも離れると、すぐに目覚めてしまい、また最初から寝かしつけなくてはいけないことになるのです。子どもたちの手と足が接触センサーのように働き、落ち着いた深い眠りに入るまでは、親が一緒にいなくてはいけません。なぜこのような事を紹介するかというと、この“くせ”はある種の欲求を良く表していると思うからです。つまり、愛され愛する相手がいつも身近にいることで自分が保たれること・・・その相手が一緒にいることで自分は完全であること・・・このような必要を表していると思うのです。そして、もしかすると、この欲求は何歳になろうとも、全ての人に共通する根本的な必要なのかもしれません。そして、聖書に言わせれば、その欲求を満たすのは、私たちを創造された主なる神さまであるのです。

 今日の詩篇139篇に題をつけるとしたら「主は常に一緒におられる」となるでしょう。7~10節でこのように詩人は歌うのです、「わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。」仮に、主なる神さまから逃れたとしても、神さまはどこまでも私たちを追いかけてくださると言うのです。それだけ私たちは神さまに愛され、尊いお一人お一人とされているということです。

 今日の聖書日課が注目している23~24節は締めくくりの部分ですが、一つの願いを神さまに訴えています。「わが心と思いを事細かく探って、悪しき道のあるかないかを見つけてください」と。相当な信頼関係が無ければ、このような願いはできないでしょう。自分の進み行く道・・・毎日の選択と決断は、意識しなければ自分で決るのが自然なのでしょう。けれども詩人は知っているのです・・・自分よりもはるかにまさって神さまが一番よい道をご存じであることを。そのため詩人は祈るのです、神さまの「とこしえの道に導いてください」と。神さまが常に一緒にいて下さること・・・この事には必ず信頼と応答が芽生えてくるのでしょう。「神さま、次の一歩を教えてください・・・もしも、この一歩がふさわしくないのであれば、あなたの道を教えてください」という祈りと対話の中で私たちも歩みたいと思わされる、本当に美しい詩篇139篇を一緒に噛みしめることができ感謝でした。

(西本詩生)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(西本詩生牧師)

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内の教会(無牧師の苫小牧)、ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫

 


2023年9月13祈祷会


2023年9月13日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:イザヤ書11:6~9 (口語訳:旧約1078頁)

 

 皆さんはこんなことを経験したことはないでしょうか?「この時間がずっと、明日も、明後日も続けばいいのに」と思えた人生の場面。もしかしたらその経験の中に、皆さんが思い描く「天国」のイメージが含まれているのかもしれません。というのも、聖書の中で「天国」はずっと続くものとして描かれているからです。聖書を通読すると「天国」が描かれている箇所は少なくないことが分かります。今日のところは預言者イザヤが見せられた「天国」の幻です。聖書は毎回このような幻を「天国」と呼ばず、「神の国」「御国」「新しい天の地」と言い換えることがあります。創世記の「エデンの園」も「天国」を描いていると言えるでしょう。そしてそれら描写を読むと、そこに何があり、その美しさや輝かしさがどのようなものであるかが伝わってきます。と同時に、そのような幻を通してもう一つのことが伝わってきます。登場する人たち(動物たち)がどう過ごしているか・・・どのような関係を築いているかが伝わってくるのです。聖書は関係性(神と私・私と隣人・私と自然世界)に着眼点を置いていると言われますので、今日は「天国」で物語れている関係性がどのようなものであるかを探っていければと思います。登場する動物たちはどのように過ごしているのでしょうか。

 ここで動物たちは大体ペアとして紹介されています。「おおかみは小羊と共にやどり」(6節)、「ひょうは子やぎと共に伏し」(6節)とあるように、弱肉強食世界では、肉食動物とその獲物の両者だと言えるでしょう。冒頭の部分は英語でthe wolf and the sheepとなります。原文でも定冠詞がついています。「ある特定のおおかみとある特定の小羊が共にやどっている」ということです。ここで“想像力を働かせるよう”聖書は私たちに促します。「ある特定のおおかみとある特定の小羊」の間に何があったんだろう?何等かの過去があるのかもしれない・・・この子羊の家族はこのおおかみに被害を受けたのだろう・・と。神さまが住まわれる天国では、複雑な関係を持つこの両者が「共にやどっている」のです。初対面の両者ではなく、この両者なのです。しかも加害性を持つおおかみが、傷を引きずっている小羊に接近するのです。小羊がおおかみとやどるのではなく、おおかみが小羊とやどるのです。一般的に考えれば“ありえない”状況が描かれています。この和解(仲直り)に至るまで何が起こったのでしょうか。聖書は事細かな内容には触れませんが、この両者は「小さい子どもに導かれている」ことを物語ります(6節)。教会は、この「小さい子ども」はイエスさまなのではないかと信じてきました。また9節では「主を知ることが地を満たしている」ことが分かります。興味深いことに、ここで使われている「知る」という言葉は、エデンの園にあった「善悪を知る実」の「知る」という言葉と同じ語源を持つものです。私たちに求まられているのは、善悪を知ることではなく、神さまを「知り続ける」こと・・・主なる神さまを拝し、出会い続け、共に歩むことなのです。その歩みの中で “ありえない”と思うような光景・・・「このおおかみとこの小羊が共にやどる」天国の光景を目にするのです。明日も、明後日も、ずっと続いてほしいと願う天の光景。

 公民権運動のリーダーとして知られるキング牧師は、「私には夢がある」という名説教をしました。その中でこのような部分があります「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である・・・今日、私には夢がある。」キング牧師はこの部分でイザヤ書11章の幻を夢見ていたのです。「小さい子ども」イエスさまに導かれながら、天の光景を夢見ていたのです。私たちはどのような天の光景を夢見ているのでしょうか。そんなことを考えさせられる預言者イザヤの言葉でした。                                                                   

(西本詩生)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(西本詩生牧師)【シニア祝福】

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内の教会(無牧師の苫小牧)、ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫

 


2023年9月6祈祷会


2023年9月6日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:創世記1:26~27 (口語訳:旧約2頁)

 

 今日は創世記1章を取り上げました。

 かなり以前、函館・美原教会の福田先生を特別伝道集会の講師としてお迎えした時のメッセージが今日の聖書箇所でした。先生のお話はこのような内容でした。

 「ある時、テーブルの上に、グシャッとした紙が置かれていたので、まるめてクズかごに捨てました。すると、まだ幼かった子供が紙の無いことに気付いて、突然ワーッと大声をあげて泣き出したのです。その紙クズのような物は子供の作った作品だったのです。私がいくら謝っても、なだめても、しばらく泣き止みませんでした。その子にとってこの作品は、二度と作ることのできない宝物だったからです。その時、私はハッと気付かされました。今日の創世記のみ言葉です。『神は自分のかたちに人を創造された。』神様は、ご自分の造られた人間に深い深い思い入れがあったから、無条件で愛されるのです。」

以上が、語られた中心のメッセージでした。

 私はその時、このみ言葉が素直に受け取められました。いままで頭で理解していたことが心の中にストンと落ちたような嬉しい感覚だったのです。

 私たちひとりひとりは、神様にとってかけがえのない宝物です。創造された神様は最後まで責任をもって守って下さるお方です。でも、不完全な私たちにはイエス様の十字架が必要でした。ひとり子イエス様を犠牲にしてまで私たちのことをとことん愛して下さっている神様に深く感謝いたします。

(鍋谷恵地子)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(石橋大輔牧師)【召天者記念】/午後:女性会例会・子羊会お出かけ

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内の教会(無牧師の苫小牧)、ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫