『 神さまの視野をもてない人間と、

人間の目線まで降りた神さま 』   

ピリピ人への手紙2:6~8 

コリント人への第一の手紙15:53~58

2024年5月26日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 ただいま~。心臓の手術を受けるために入院をしていたので、先週と先々週は礼拝に出られませんでしたが、こうして元気に帰ってくることができました。こんな風に「ただいま」って帰れる場所として教会があるって、ありがたいことだなあって思います。ぼくが神学生の時に研修させてもらっていた、福岡の篠栗教会っていう教会で、当時牧師をしておられた下川牧師が、毎週日曜日、説教の最初に「みなさん、おはようございます」ではなく、「みなさん、おかえりなさい」って挨拶していたのを思い出しました。教会って帰ってくる場所なんですね。みんなも、おかえりなさい。

 さて、ぼくは今回の心臓の手術に先立って、1月にも腎臓の手術のために入院していたので、この半年の間、ずいぶん長い期間を病院で過ごしました。合わせると1か月半くらい病院にいたことになります。そして、病院では、普段とはまったく違う生活を送りました。朝は、6時前に起こされます。起きてすぐに、体温・血圧・体重を測ったり、検査のための血を採られたりもします。トイレに行ったり顔を洗ったりしている間に、7時には朝ご飯。食べ終わって間もなく、お医者さんたちが5~6人ゾロゾロ連れ立って様子を見に来てくれて、「どうですか?」「大丈夫ですね」って、あっという間にいなくなります。夜は夜で、6時くらいには晩御飯を食べ、9時には消灯。一日のほとんどの時間をベッドの上で過ごします。まれに病院の中を歩き回ったり、階段を昇り降りしたりする患者さんもいるみたいだけど、それでも、ご飯を食べるのも、本を読むのも、テレビを観るのも、全部ベッドの上です。そんな風に、病院で、家ではぜったいにしないような過ごした方をしたことで、普段は見ることのない風景も見ることができました。

 これは、1月に入院した病院の窓から、ぼくが毎朝見ていた朝焼けの景色です。家にいると、こんなきれいな朝日を見ることはほとんどありません。それを、病院では毎日見ることができました。もちろん、家と病院では建物の造りが違って、ここは7階だったので、こんな風によく見えたということもあります。でも、もし家の窓からもこんな風に朝日が見えたとして、「ああ、きれいだなあ」って毎日見るかはわかりません。病院にいる時は、6時前に起こされちゃうし、特にやることもなく、身体も弱っているので、のんびり朝日を見つめながら、きれいな景色に元気をもらいました。普段バタバタ過ごしている時には、たとえ見ることができたとしても、そんな風に、朝日をのんびり見つめるようなことはしないような気がします。ちなみに、1月に入院した病院は大きな病院だったので、病院の中に「ひまわり分校」という学校がありました。この学校には、みんなと同じくらいの年で、ぼくと同じように入院して手術を受けなければならない子どもたちが、病院の中で勉強するために通っているそうです。病院の1階まで階段を降りて、ウロウロ歩き回っていると、病院の壁にこの「ひまわり分校」の掲示板があるのを見つけました。そこには、子どもたちのいろんな作品が飾ってあったんだけど、その中に、こんな詩が飾ってありました。「冬の朝/だいだい むらさき/ビルの上/いつ退院できるかな」この詩を見て、「あ~、今のぼくの心の声、そのものだぁ」と思いました。その時のぼくと同じような想いで、毎朝朝日を見つめている、みんなと同じくらいの年の子が、その時病院に入院していたんです。きっと、同じ子ども同士、みんなのほうがその子と気持ちが通じる部分は多いんだろうけど、手術を受けて入院しているという共通点で、ぼくみたいなおじさんとその子とが、顔も合わせていないのに、同じ思いを共有することができた・・・、同じ目線で朝日を眺めていたんです。

 それから、今回心臓の手術が終わったすぐ後にも、普段だったら絶対に見ることがない風景を見ました。手術の後はICUっていう部屋に入って、24時間ナースの人たちに見守ってもらいます。そのICUに入って、しばらくして、水を飲みたくなったんだけど、直前まで喉に管を入れられていたので声が出せなくて、必死に手を振ってナースを呼んで、「水を飲みたい」って伝えました。でも、手術の後は、しばらく水は飲めないことになっていて、「まだ飲めませんよ~」と言われてしまいました。ただ、その時には、いろんな管が9本くらい身体中に入れられていて、仰向けに寝たまま動けなかったので、どのくらい時間が経ったかもわからなくて、何度も何度もナースを呼んで「水を飲みたい」と伝えていたみたいで、そのうち向こうの方から「あの患者さんは、“せん妄”を見ているだけだから放っといていいよ」という声が聞こえてきました。たしかに、ナースたちがむちゃくちゃ意地悪な顔して「水は飲めません」って言っている悪夢のようなものを見ながら、うなされていた気がします。しばらくして、ようやく水が飲めるようになった頃には、その“せん妄”も収まったようで、落ち着いて過ごすことができるようになりました。でも、自分が落ち着いてみると、たぶんぼくと同じように手術の後の“せん妄”を見ながら、「あ~助けて~!」とか「もう帰る!」と騒いでいる患者さんたちが、周りにいることに気づきました。もし自分が“せん妄”を見ていなかったら、「騒いで迷惑をかけて、うるさいなあ」としか思えなかっただろうけど、何せちょっと前まで自分がそんな風だったので、「ああ、きついんだろうなあ」と思いながら、隣のその患者さんたちのために祈っていました。

 同じ目線で物事を見るっていうのは、大事なことだなあとつくづく感じました。聖書には、神さまは、自らぼくら人間と同じ目線まで降りてきてくださったと、書いてあります。世界のすべてのものを造られた神さまだから、ぼくらみたいに、悩んだり、苦しんだり、痛みを感じたりしなくていいはずなんだけど、上の方からただぼくらのことを眺めているんじゃなくて、この世に降りてきて・・・、ぼくらと同じ人間として、悩んで、苦しんで、痛みを感じて・・・そして最後には十字架に磔にされて殺されていった・・・それが、イエスさまです。だから、イエスさまは、この世で苦しんだり、悩んだりしているぼくら人間のすぐそばに、一緒に苦しみ、悩む方としていてくださるんだよって、聖書は教えてくれているんです。

 

◆ 飛行機の上で

 コロナになってから、すっかり出張がなくなってしまいました。埼玉県の浦和にある連盟の事務所でもたれていた会議も、ほとんどがオンラインで行われるようになりました。ぼくは、人の多い関東が苦手なので、最初は喜んでいたんですが、コロナ前は年に10回くらい出張していたので、それがまったくなくなると、さすがにさびしくもなったものです。昨年から、事務所での対面会議も年に1回だけ行われるようになりましたし、その他にもいくつか出張が入るようになりましたので、久しぶりにまた飛行機で関東に出張するようになりました。その飛び立つ飛行機の機上から、離れ行く地上を眺めながら、いくつかのことを考えました。

①神さまはきっとこのような視野で、この世を見ておられるだろう。

②人間は、地上からの目線で、世界を見つめている。

③人間は、神さまのような目線で世界を見てはいないことを忘れない。

④神さまは、上から眺めているだけでなく、地上の目線を持ってくださった。

 

◆ ①神さまはきっとこのような視野で、この世を見ておられるだろう。

 飛び立つ飛行機の中から、地上を見下ろしていると、自分が空港に向かって車を走らせてきた道が、どのようにつながっているのか、よく見えてきます。地上にいて、車を走らせている時には、目の前の道がこの先、真っ直ぐのまま進むのか・・・、右に曲がっていくのか・・・、それとも左に曲がっているのか・・・、道の両端に障害になるようなものがないか・・・、前の車、後ろの車のスピードはどうか・・・と、当然のことながら自分の身の周りのことにしか意識がいきません。ですから、自分が今走ってきた道が、一体どのような形でつながって、ここまでたどり着いているのか・・・、また、これから進んで行く道がどうであるか・・・ということなどは、なかなか意識しないものです。それが、一旦、上空から眺めるだけで、その道の全体像が手に取るようにわかります。機上からの光景を見つめながら、「ぼくら人間の目線と、神さまとの目線とは、このような形で、まったく違うのだろうなあ」と感じました。パウロは言いました。「兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」。人間と神さまとは、相容れることができるはずがないほどに、違う。パウロもそう語るのです。

 

◆ ②人間は、地上からの目線で、世界を見つめている。

 飛行機の上から、道路の全体像を、地図を眺めるように見下ろして感動しつつ・・・、同時に地図には表されない自然の美しさにも魅了されました。特に、新千歳空港周辺の緑の豊かさと言えば、ビルだらけの羽田空港とは比べものになりません。飛行機の上から、木の生い茂った林間部を眺めながら・・・、ただ、飛行機の上からは、ブロッコリーのようにしか見えないその林に、もし地上で一旦足を踏み入れたなら、木々によって視界を奪われ、自分がどこにいるのかわからなくなってしまうのだろうな・・・と想像しました。上から全体像を見通すことのできない、ぼくら人間の視野とは、きっとそのようなものでしょう。パウロは、そのように神さまとぼくら人間とは、画然と違うということを語った上で、コリントの教会の人々に対して、「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と書き送りました。「主のわざ」とは、いったい何のことでしょう?教会の礼拝や祈祷会などの各種プログラムに積極的に出席することでしょうか?まだ神さまを知らない人に伝道することでしょうか?しばらく教会を休んでいる人を訪問することでしょうか?聖歌隊として讃美することでしょうか?教会の運営のために会議をすることでしょうか?教会の掃除をすることでしょうか?病床で教会のことを覚えて祈ることでしょうか?きっと、そのすべてが「主のわざ」です。でも、それらのどのわざにおいても、ぼくらは「これが本当に『主のわざ』と呼べるのか?」「このわざは具体的に何の役に立つのか?」と、立ち止まらざるを得なくなる局面を迎えるものです。ぼくらが行うわざは、すべてが順調に進むとは限らないからです。ぼくも、今回の長期に亘る入院を通して、自分自身の無力さ、自分のなせるわざの小ささを、まざまざと感じさせられてきました。ぼくら人間には、自分たちの行うわざの全体像を見通すことができないからです。コリント教会の人々も、様々な課題を抱えていたようですから、いくら思いを込めてやっても、うまくいかないことがたくさんあったでしょう。本当に正しいのか、わからなくなってしまうことも度々あったでしょう。それでも、パウロは「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と、その人々に勧めました。そこに、「主のわざ」に励むことに疲れかけていた人々がいたにもかかわらず・・・、「主のわざ」に励むことに、意味を見出せなくなりつつあった人々がいたにもかかわらず・・・、それでも、パウロがなおそのように人々を励ましたのは、パウロには、「彼らの労苦が決してむだになることはない」という確信があったからです。

 

◆ ③人間は、神さまのような目線で世界を見てはいないことを忘れない。

 宗教改革者であるマルチン・ルターが、こんなことを言ったそうです。「たとい明日、世界が消えると分かっていたとしても、それでも今日、私はリンゴの木を植えよう」。いつ世界が終るかなんて、神さま以外、誰も知る由はありません。しかし、もしそれがわかったとしても、ルターは、目の前に与えられた働き・・・その時に自分にできる「主のわざ」を淡々と為すと語ったのです。ルターは、プロテスタント教会の創始者と呼ばれる人物ですが、彼は自分の偉業がほめ称えられることを求めてなどいませんでした。自分自身のなせることは所詮、リンゴの木を植えることに過ぎず、その木が、その後どのように育っていくか・・・、どのような実を付けるのか・・・自分には知る由もない・・・。ルターは、パウロの言い方で言えば、自分が「朽ちるもの」で「死ぬもの」であることを自覚していたのだと思うのです。でも、だからこそ、ルターは神さまのなさることにこそ、大いに期待したのでしょう。

 今日の聖書箇所で、パウロは、コリント教会の人々に「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と語った後、続けて、こう告げています。「あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」と。この彼の言葉は、わざに励んでいる者、労苦している者にとって、深い慰めの言葉だったでしょう。ただ、注意すべきは、パウロが「主にあっては」と前置きしていることです。「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」と語っているのです。それが無駄であるか否かを判断するのは、ぼくら人間の目線によるものではないということです。やがては朽ちて、死にゆくものである人間の目線ではなく、朽ちることも、死ぬこともない神さまの目線によってそのことは判断されるのであり、そして、神さまは決してそれを無駄にはされないとパウロは語ったのです。

 

◆ ④神さまは、上から眺めているだけでなく、地上の目線を持ってくださった。

 神さまにしか、全体像を見渡すことはできません。でも、神さまは、ただただ人々の様子を上から傍観しているだけのお方ではありませんでした。

 飛行機で飛び立ったその日、地上では小雨が降りしきる中、雲の上では夕焼けが赤々と輝いてうる・・・という不思議な光景を目の当たりにしました。以前、この教会の元牧師である佐賀教会の奥村牧師が、山の端(は)と夕日の境の話をされていたことを思い出しました。奥村牧師は、「幽明境(ゆうめいさかい)を異にする」という故事を、このように説明されました。「幽」とはいわゆる「あの世」のこと、「明」とは「この世」のこと。死別して、「あの世(冥途(めいど))」へ旅立てば、「この世(現世(げんせ))」に残る者とは、再び会うことができないのです。それほど、はっきりと「幽」と「明」、つまり「あの世」と「この世」とは区別されている、「異にする」ということです。でも、聖書的に言えば、「幽明境を異にせず」である、と。つまり、天の国とこの世界とは、まったく別のものというのではなく、聖書によれば、天の国とは、人と人との間にこそ実現されるものなのだと。

 飛行機が地上から離れれば離れるほど、地上の全体像をしっかりと捉えることができ、客観的にその様子を見ることができることに感動しながら、同時に、空の上にいる限り、その地上での出来事には、手も足も出せないということにも気付かされました。そのことを思う時に、「神さまはただ自分だけが、客観的に人々の間で起こる出来事を傍観し、まるで他人事(ひとごと)のようにそれを操つろうとされているのだろうか?」と考えさせられたのです。それでは、まさに「幽明境を異にする」です。でも、どうでしょうか?きっと、そうではないはずです。いや、神さま自らが「幽明境を異にせず」としてくださったのです。まさに、そのように全体像を捉え、客観的な視野を唯一持ったお方であった神さまは、しかし、自らこの何も見えていない私たちの目線に立ってくださり、そのことによる、悩みや苦しみに共感してくださる神さまとなられたのです。それが、イエス・キリストです。十字架にかけられたイエス・キリストです。イエスさまは、この世で、弟子たちとの共同生活において・・・、貧しい人々、病んでいる人々との出会いと関係性において・・・、そして、自分を殺そうとする人々とのやり取りにおいて・・・、最後の最後まで、全体像の見えない人間の目線で生きる者として、生き抜かれたのです。

 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 ここに愛がある 』

ヨハネの第一の手紙4:10~11

コリント人への第一の手紙12:31~13:13

2024年5月12日(日)

 

子どもメッセージ

今日は“二つ”の誕生日をお祝いする日です。まず一つ目は、私たち札幌バプテスト教会の71回目(創立71周年)の誕生日であるということです。そして、二つ目は、2000年間(ぐらい)続いてきたキリスト教会の誕生日であるということです。毎年、この二つの誕生日が重なるわけではありませんが、今年は偶然重なり、ダブルにお祝いする特別な日となりました。

 2000年前の教会の誕生の時、まだカメラは発明されていませんでした。ですので、その当時の写真はありません。でもとてもラッキーなことに、71年前の札幌バプテスト教会の様子が観れる写真がそれなりに残されています。今日はまずそれらの写真を観たいと思います。70数年前、白黒の写真が主流でしたが、今の技術を使って、白黒の写真をカラーに簡単に変換できますので、そうしてみました。白黒写真ですと、遠い昔・・・別世界のもののように映るのですが、カラーになると一気に身近に感じるようになったと思います。

 これは、まだ教会建物がなく、私たちの教会の2代目牧師であったモアヘッド宣教師の家に集まっていた時の写真です。中島公園の横、豊平川の河川敷にありました。ちなみにモアヘッド宣教師は写真に写っていません。恐らくこの写真を撮ったカメラを握っていたのでしょう。初代牧師の鈴木正名牧師ご夫妻もおられ、フーバー先生もいますし、その隣に今日の礼拝に出られているNさんも映っています。野村先生もおられます。

 71年前の3月のバプテスマ式の様子の写真もありました。当時まだ教会となる前の時期であり、もちろん教会建物もありませんでした。ですので、他の教会をお借りして、そこでバプテスマ式を行うこともあったようですが、この写真の時には、川の中で行われました。まだ雪が解けていない3月中旬です。当時の札幌市内の気温が(気象庁記録に)記録されていましたが、最高気温で+1度でした。寒かったでしょうね。聞いた話によると、バプテスマを受けた後、すぐに温泉に浸かったそうです。今私たちの教会では、冬であれば会堂に暖房を入れ、ぬるま湯を使っていると思うと、この点については大きく変化があったと言えます。いずれにせよ、思い出のバプテスマ式となったことでしょう。

 この写真は「これからイエスさまの教会として歩きはじめます!神さまよろしくお願いします。いつも一緒にいてください。」と皆で祈り、初めて教会として礼拝をささげた時の写真です(教会組織礼拝)。先週の金曜日から、71年遡った時の写真です。そして、これは初めての日用学校の写真です・・・今でいう「こどもタイム」です。坊主頭やおかっぱの髪型の子どもたちが目立ちますが、やんちゃで元気そうな姿が伝わってきて、70数年経っても、さほど変わっていないのかなぁと思うのです。

 先ほどの川でのバプテスマ式のように、大きく変化したこともあるでしょうけど、変わっていないものも、写真を観るだけでも伝わってくると思います。変わるものもあれば、絶対変わらないものもあるのです。

 ここであるエピソードを紹介したいと思います。先ほどの写真にも写っていたフーバー先生が、札幌バプテスト教会がはじまったばかりの時の思い出を振り返っている文書です(25周年記念誌の巻頭言から引用)。

「神は愛なり」、と書いた路傍伝道用の提灯は、未だ牧師室のどこかに眠っているかしら。毎週日曜日の夕礼拝の前に、ちゅうちんに火をともし、タンバリンをたたきながら、石山通りの角で、讃美歌を歌って路傍伝道をしたけれど、「教会にいらっしゃい」とすすめておられた鈴木正名師の幾分かん高い声が、木枯(こがら)しの音と共に、今晩、私の耳をかすめていった。

70数年前、何をしていたかというと、日曜日の夕方に、教会前の道を進んで行ったところに今は生○スーパーがありますが、そのあたりで、何人かで、タンバリンを叩きながら、讃美歌を歌い、通りかかる人に、「教会にきてみませんか」と誘っていたということです。そして目印となったのが「神は愛なり」と書かれたちょうちんだったのです。さぞかし目立ったことでしょう。でもこのような活動は、それほど長くは続かなかったようです。少なくとも、教会が始まって25年が経った時には、ちょうちんがどこに収納されたかは分からず、昔の思い出として語られていました。だからといって、教会にあらゆる人をお誘いすることを辞めたわけではありません。そして、ちょうちんに書かれていた「神は愛なり」・・・「神さまはあなたを愛しているんですよ」というメッセージを語り、伝え、分かち合うことは、71年間全く変わっていないのです。そして、さらに言えば、2000年前に世界で初めて教会が誕生した時から変わっていないのです。「神さまはあなたを愛しているんですよ」このメッセージを私たちに届けるために、イエスさまは人となったのです。イエスさまに出会う時、私たちはどれほど神さまに愛されているのかを知るのです。そして、もう一つ2000年間変わっていないことがあります。「神さまに愛されている」ことに気づく私たちは、今度はイエスさまに真似て「愛する」ように励まされているのです。目の前の人を「愛するように」です。「神さまに心底あいされていること」、そしてそれに励まされて「愛すること」・・・これらは2000年間ずっと変わらないことであり、これからも変わらないのです。

 

神さまが私たちを愛している

私たちの教会、そして、ひかり幼稚園も含めて多くのキリスト教会や教会幼稚園では「きみは愛されるために生まれた」という讃美歌を歌います。誰もが愛されること・・・これがどれだけ重要であるかがまっすぐ伝わってくる歌です。愛されることがないと、本当の意味で生きられないということなのでしょう。とはいえ、私たちはそれぞれに生まれた環境、育った環境もまったく違います。両親、あるいは周囲の人たちから愛されたという実感がない人は、生きていないのと同じ事になるのでしょうか。断じてそうではない!と聖書は言うのです。なぜならば聖書にこう書かれているからです。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」。イエス·キリストは友なき者の友となり、十字架で自らの命を分け与え、そしてその死からよみがえられました。この生涯を通して顕されたのが「神さまが私たちを愛している」事の決定的なしるしでした。御子イエスさま・・・ここにこそ愛があるのです。神さまから愛されるに値するかどうかとは全く無関係に、そのままで、私たちは愛されるのです。だから神さまの愛は無償の愛なのです。そして、このことは全ての人に当てはまります。私たちの目から見て、どんなに辛いことの連続の人生であっても、神さまに愛されているのです。誰もが「愛されるために生まれた」のです。

 

「神さまが私たちを愛している」この真実の上に「愛する」ことがある

パウロは、12章の一番終わりでこう語りました。「あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。」。私たち一人一人は誰一人欠けることなく「神さまから愛されている」という神さまの真実の中にあるという事こそが「最も大いなる賜物」であり、最も価値ある神さまからのプレゼントなのです。この原点が一番大切な事だと言えるでしょう。この13章は「愛の賛歌」と呼ばれるところですが、その基盤となっている事は、「私たちは、何が何でも、神さまから愛されている」という主なる神さまの真実です。この上にしか成り立たない事が「愛する事」なのです。

この箇所で注目に値する言葉があります。それは、「たといわたしが」という言葉です。「たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても」「たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても」「たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても」とあります。ある意味で、パウロは自分の事に引き寄せてこの箇所を語っています。でももう一方で「たといわたしが」と繰り返しているため、最も大事なことは自分のことではないと言っているように思うのです。わたしパウロが、どんなに素晴らい霊的能力や、神さまから無償で与えられた陽物や、鉄のように強い信仰があったとしても、もし「神さまから愛されている」事・・・この決定的な一点の上に自分が立っていなければ・・・この一点に立つがゆえに「愛する」ことに励まないのであれば、わたしは本当の意味で生きなかった事と同じだと断言しているのです。

 

「イエスキリスト」という愛すること

聖書の中の最も大切な言葉の一つは「愛する」という言葉だと言えるでしょう。愛は動詞であり、意思であり、行為です。私たちは無条件に、神さまから大切にされ、受け止められ、赦され、生かされています。私たちはこの「神さまの愛する意思」の中に生かされて今あります。このことを受け止めるときに初めて、私たちの歩みが「愛する」生き方へと変えられてゆくのだと思います。それが具体的にどのような生き方となるかをパウロが4節以降で語りました。「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」。こんなにハードルが高い生き方など、私に出来るはずがないとまず思ってしまうのは私だけではないと思います。けれども、この箇所で語られている「愛」という言葉を「主イエス·キリスト」という言葉に、まず置き換えてみるとどうだろうかとふと気づかされるのです。これはまさにナザレのイエスさま、十字架の死とよみがえりのイエスさまの事ではないでしょうか。イエスさまの生涯に眼差しを向け、イエスさまに出会わされる時に「愛すること」の豊かさに目と心が開いていくのでしょう。主イエスは人々に仕え、そしてその歩みは十字架という死に至りました。極限まであなたと私を愛しぬかれたのです。この一点に何度でも戻ってくることが「愛すること」の出発点であり、原動力なのです。

 

愛され上手は愛する者へと変えられてゆく 

パウロはここでキリスト教会に一つのチャレンジを投げかけて来ます。2000年間変化せずに継承されてきたチャレンジです。主なる神さまから徹底的に愛されているという真実の中にあるという事を、主イエスさまの生涯が示してくださったからこそ、私たちもまた十字架の主イエスに従って歩む者たちとなるというチャレンジです。そしてその歩みは「愛する」という歩みに他ならないのです。神さまから愛されていることを喜ぶ者は、愛するものとなってゆく不思議な法則がここに書かれてあると私は思います。つまり、愛され上手は愛する者へと変えられてゆくのです。それが私たちキリストの教会に連なる者たちの、十字架の主イスに従う者たちの歩みです。名詞の「愛」ではなく、動詞の「愛する事」です。そしてそれは、イエスさまのように、あらゆる人との関わりに生きる事だと私は思います。主イエスに従う私たちは他者との関わりに歩む者であるとパウロの言葉から導かれます。主イエスキリストの教会は、神さまから愛されている事を知らされているが故に、愛する者たちへと導かれてゆきます。コリント13章には、私たちの歩みの道しるべがあります。71年前の路傍伝道のちょうちんのように「神は愛なり」・・・「神さまあなたを愛していますよ」という道しるべです。この灯は永遠に消えないのですから、これからも見失わないでいたいものです。

 

   

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 務めはいろいろでも主は同じ 』

コリント人への第一の手紙12:21~24

コリント人への第一の手紙12:1~11

2024年5月12日(日)

 

子どもメッセージ

   皆さんはおたる水族館に行ったことはありますか。見どころが沢山あり、その中でも海の動物たちによる数々のショーは大人気です。イルカ・ショーでは、イルカたちが飼育員の「ピー」という笛の合図で、動き回ります。右にも左にも逸れず、決まったコースを猛スピードで進み、時には空中で回転したり、前の方に座っている人たちに水がかかるほどバシャンバシャンと水しぶきをあげたり、飼育員を背中に乗せたり、その迫力に観客は圧倒されます。

 決まったコースを、1cmも外れることなく、完ぺきにショーをこなすイルカさんたちのショーは注目を集めますが、別の意味でペンギンたちによるショーも大人気だと言えるでしょう。というのも、おたる水族館のペンギン・ショーは全国的に知られているようです。どういうことで知られているかというと、ペンギンたちは、ほとんど何も飼育員の指示を聞き入れないのです。飼育員が「右」と言っても、ペンギンたちのみんなはバラバラにちらばっていきます。プールに「飛び込め!どうぞ!」と言っても、滑って転がり落ちるペンギンはいるものの、その他のペンギンはみんな自分の方向へと進みます。見方によっては、イルカ・ショーの完成度に比べると、ペンギン・ショーはグダグダでまったく“まとまって”いないのです。際立つことがあるとすれば、それはペンギンさんたちの自由さです。

 教会はイルカさんたちの集まりでもなく、ペンギンさんたちの集まりでもなく、人々の集まりです。そうなんです。教会は建物ではありません。人々の集まりです。神さまに呼び出され、神さまに集められた群れ、それが教会です(ギリシャ語:エクレシア)。そして、時々僕は、いろんな人たちの集まりである教会が「まとまること」・・・「一体」となることってどういうことなんだろう・・・と考えるのです。僕は、牧師であるゆえのクセかもしれませんが、水族館の動物たちのショーを観ながら、教会にとって「まとまること」ってどんなことなんだろうと考えるわけです。

 今日の聖書は、ある教会に送られた手紙ですが、その教会ではこんなことが起きていたのです。一握りの人たちが、それぞれの特技・・・教会での役割を自慢し合っていたのです。ある人はいろんなことを知り尽くしていることを自慢していました(8節)。またある人は現代でいうお医者さんのような人だったのでしょうか・・・病気を癒せることを自慢していました(9節)。またある人は、周りの人を魅了させるほど熱心に祈ったり語ったり歌ったりする特技を自慢していました(10節)。この教会には、自慢できるほどの役割をもっていた一握りの人たちがおられましたが、大半の人たちは自慢する人たちではありませんでした。むしろ、「わたしには自慢できるほどのことはなにもない」と思っていた人の方が多かったのです。“すごい”と褒められる特技を持つ人たちが目立つために、「わたしは何もできない」という気持ちになってしまう人もいたのです。このようにして、まったく「まとまり感」がない、極めてバラバラな教会だったのです。おたる水族館のペンギン・ショーに少し似ているところがあると言えると思います。

 このような教会に送られた手紙で強調されたのは、おおまか三つのことです。一つ目は、「みんなそれぞれ、神さまからいただいた特技・・・役割をすでに持っている」ということです。「わたしは何もできない・・・何もない」とは言わせないというのです。すでに、神さまから大事なプレゼントをもらっている。そのプレゼント・・・役割とは、具体的に言うと、「イエスさまが主である」ということを言い表すことです。もっと簡単に言えば「イエスさまがいないと生きれない・イエスさまが必要なんだ」・・・このことを思うこと自体が、神さまからのプレゼントだというのです。

 先ほど、教会は人の集まりであると言いました。神さまが集めてくださった人の集まりです。これを聞いて「うん?」と思う人もおられるかもしれません。「今日朝起きて、自分の足と思いで教会に来たはずなんだけど」・・・と。確かにそうだと思います。でも聖書に言わせれば、私たちの思いよりも先に、神さまが集めてくださったんだということです。同じように、私たちは、自分の言葉で「イエスさまが主である・イエスさまが必要なんだ」と言うのかもしれませんが、私たちよりも先に、神さまがその思いをプレゼントしてくださったんだ・・・と聖書は言うのです。そして、それを言い表すことが、それぞれにすでに与えられた特別な役割であるというのです。「イエスさまがおられないダメなんだ・イエスさまが必要なんだ」、この思いが抜け落ちてしまったら、教会はイエスさまの教会ではなくなってしまいます。ですから、これは、ずば抜けて特別なプレゼントなのです。

 二つ目に手紙に書かれたことは、それぞれの特技がどこから来たのかを考えれば、それは神さまからいただいたプレゼントであるということです(4~6節)。いろんなことを知り尽くすことも、病気を癒せる特技も、熱心に祈ったり語ったり歌ったりする特技も、同じ神さまからいただいたプレゼントであるということです。ですので、自慢するものでもなんでもないのでは?と語りかけてくるのです。

 そして、三つ目に手紙がいうのは、いろんな人・・・いろんな特徴を神さまからいただいている人が集まるのが教会であり、それをまとめて「一体」とするのは人ではなく神さまであるということです(24節)。

 おたる水族館のペンギン・ショーでは、ペンギンたちのバラバラ感が目立ちます。けれども、飼育員がペンギンたちの自由な動きに合わせて対応することで、不思議にもショーが一つにまとまるのです。支持通りにプールに飛び込むのもよし。飛び込まないのも良し・・・なのです。そのようにして、ペンギンたちの特徴が輝くペンギン・ショーが毎回「まとまって」出来上がるのです。

 教会が「まとまって一体となること」ってどういう事なのかを考えることがあると先ほど言いました。もしかしたら、僕が考えがちの「まとまる」こととは、イルカ・ショーのように完璧に整えられたものなのかもしれません。けれども、さまざまな役割と特徴をいただいている人たちが集まるのが教会なのであれば、ペンギンショーのような「まとまり」方もあるのではないかと考え始めています。つまり、神さまは飼育員のように、私たちの(聖霊に促された)一見自由な動き・・・一見予想外の動きをも使って、「まとまり」を作り出すのです。神さまだからこそできる働きなのでは・・・そんなことを今日の聖書を読みながら考え始めています。

 

イエスが主である

今日は12章を読んでいます。口語訳では伝わってきませんが、1節の出だしで「さて」と言う言葉からはじまり、11章で語られてきた「主の晩餐」の話題に区切りが打たれ、今度は「霊的な賜物」の話題に移り変わっていることが伝わってきます。恐らく、コリント教会の一握りの人たちは「われこそが霊的な賜物を持っている」「他でもなく、これこそが神さまが喜ぶことだ」と思い込み、水面下で競い合いが起こっていたのでしょう。それゆえに大半の人たちは、「そんなすごいことなど私にはできない」と考え、教会の人のほとんどは劣等感を抱きざるを得ませんでした。それぞれがのびのびできる、風通しがいい教会というよりは、息苦しい空気が漂っていたのです。もうちょっと突っ込んで言えば、本来、みんなが賜物を神さまから頂いていたにも関わらず、それを発揮できずにいたというのが現状だったのでしょう。とてももったいないことが起こっていたのです。

パウロは、12章以前のところどころで、感情をあらわすほど、コリントの信徒たちを叱ってきたと言っても過言ではありません。けれども、不思議にも今日のところでは、叱らないのです。「それは霊的な賜物ではない」など、否定は語りません。それぐ-+らい、霊の賜物は多様であることを知っていたのでしょう。パウロはむしろ、教会の中で自慢されていた役割や特技をも取りあげながら、そもそもそれは自分のものではなく、神さまからいただいた賜物であることを語ったのです。

でもそれらを取りあげる前に、それぞれが既に与えられている根本的な賜物について、最大限の強調を込めながら語りました。1節で、「次のことを知らずにいてもらいたくない」・・・そして3節で、「あなたがたに言っておくが」と語り、それぞれに既に与えられている、共通する賜物について語ったのです。それは「イエスが主である」ということを告白することです。この告白が、神さまからいただいた、恵みのプレゼントであり、霊なる神が与えなければいただけない賜物であると言うのです。

なぜここまで、これを強調するかというと、恐らくパウロの考えの中では、賜物の形・・・それぞれの与えられた務めや奉仕はいくらでも形はあるものの、全ては「イエスが主である」という告白に基いているということが肝心であったのです。「イエスが主である」と告白する故に、知恵の言葉を語り、「イエスが主である」と告白する故に癒しをなし、「イエスが主である」と告白する故に熱い異言を語り・・・「イエスが主である」と告白する故に私たちは祈るのです。

興味深いことにパウロは「キリストが主である」とは言いませんでした。あえて、「イエスが主である」と語りました。つまり、ナザレのイエスが主であるということです。真の人となった子なる神がいなければ、私たちは本当の意味で生きることができないという告白です。飼い葉おけという孤独と貧しさにお生まれになったイエスさま、悲しむ者と共に涙を流し、喜ぶ者と共に喜ぶイエスさま、友なき者の友となるイエスさま、自らの命まで十字架で分け与えたイエスさま・・・そのイエスさまが、私たちの日々の道筋を示してくださるという告白がここにあります。「イエスさまが主である」と告白すること・・・「イエスさまの後をついていく」こと・・・この恵みのプレゼントに、繰り返し、繰り返し戻ってくることが、キリスト教会の原点であるとパウロは確信していたのです。それが、皆に共通する霊的な賜物だと断言するのです。

 

大切にしたいこと

 早いもので、私は札幌教会と一緒に歩みはじめて4年目に入りました。最初の2年間はコロナの影響を極度に受けた期間でありましたが、昨年度からやっと札幌教会の姿が見えてきたように思うのです。私たちの教会の豊かさは、活動の種類の幅の広さではないかと思わされることが沢山あります。先週は幼稚園の創立70周年記念日でしたが、教会の発足当初から、福音のために、あらゆる活動に挑戦してきたのです。

 このように、幅広い活動が進められる中で時々耳にするのが、「一体感」が薄いということです。もちろんこのように、ストレートには言われませんが、そのような類のお話を耳にすることがあります。そこに含まれている悩みは、一つに絞ることはできませんが、恐らく「協力する人がもっといたらいいな」「理解してくれる人がもっといたらいいな」という思いが込められているのでしょう。分からなくないわけではありません。

 子どもメッセージでも語りましたが、聖書が言う「まとまって一つの体となる」ことは何なんでしょうね。はっきり言えることは、神さまがなしてくださるということです。そして、顕されるのは、「キリストの体」です。だからパウロは今日の出だしのところで、「イエスさまが主である」と告白することが、教会の出発点であり、繰り返し、繰り返し帰ってくるところだと最大限に強調するのです。

 今日は総会懇談会が午後に開かれます。それぞれの活動報告と計画について聞いて、分かち合える場でありますが、「イエスさまが主である」と告白されているところを、それぞれの活動のうちに互いに観られたら、それはとても嬉しいことだと思うのです。今日の聖書が言うように、「務めはいろいろなのですが、主は同じ」なのです。同じ主が、それぞれの内に働きかけて下さるのですから、それを喜ぼうではありませんか。私たちの主が「一つのキリストの体」と形づくってくださる聖霊の働きを観て、体験していきたいものです。

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 とびっきり“おいしい” 』

マルコによる福音書2:15~17

コリント人への第一の手紙11:17~26

2024年5月5日(日)

 

子どもメッセージ

  今日はゴールデンウイークの真っただ中ですが、遠出をしているお友達もいるでしょうし、逆に札幌に遊びに来られているお友達もいると思います。人それぞれだと思いますが、どこか旅行にいくと、そこでしか食べられない「おいしい」という評判のものを食べたくなるのではないでしょうか?札幌に遊びに来られているお友達には、「“あそこ”で“あれ”を絶対に食べたほうがいいよ」とお勧めするものです。皆さんは“どこ”の“何”がお勧めでしょうか?

 僕は、6歳から12歳まで、日本の南にある台湾というところに住んでいました。そして、僕が住んでいた近所に、とびっきりおいしいラーメン屋さんがありました。いつ行っても並ばないと入れないぐらいの人気ぶりでした。日本から訪ねてくるラーメン好きの親戚がいれば、そこをよく紹介したものです。そのおいしさがばれてしまって、今では、日本のテレビ番組でも紹介されるほど、知られたお店になっています。

そこは、どちらかというと、小汚いお店でした。落ち着いた店内の雰囲気で勝負しているというよりは、味と値段の安さで勝負していることがすぐに伝わってきます。椅子はパイプ椅子で、テーブルは相席でした。ですので、必ず知らない人と肩を並べながら食べていました。床は綺麗にしていたと思いますが、それでももう何十年もお店をしていたということで、靴底が一瞬ペタッとくっつくような感じでした。店内はいつも人で溢れていましたので、注文内容の呼びかけが飛び交い、厨房からの音も聞こえてきて、ガヤガヤして、とても賑やかでした。

 これは、僕の偏った理解かもしれませんが、台湾の人のほとんどはおいしいものを食べることに関して、極度に関心を寄せます。「おいしいものには目がない」と言っていいと思います。ですので、こういうことが起きるのです。僕が住んでいた近所にあった、いつも行列ができるラーメン屋での事です。いつ行っても行列があったのですが、その行列にも特徴がありました。そこに並ぶのは、ぞうりをはいた学生さんもいれば、仕事を終えた作業服姿の人もいれば、近所のお母さん方もいれば、高級車のロールズロイスに乗ってきた、見るからにも高そうな服装の人もいるのです。普通に、大企業のお偉いさんや政治家とかも並んでいたのです。普段他の場面で肩を並べることはないはずの人たちが、とびっきりおいしいラーメンを求めて列に並び、店内では肩を並べて、麺をそそっていたのです。

 このようなお話は一つのたとえ話として紹介していますが、イエスさまとの食事でも同じようなことが起きていたのではないかと思うのです。普段他の場面で肩を並べることがないはずの人たちが、他のどこでも得られない“何か”を得られるから・・・魂に染みこむ、とびっきり、ずば抜けた“愛情”をそこで得られるから、イエスさまを囲んでいたのです。

 イエスさまとの食事は、普段食事を共にしない人たちがそこに集まったことに特徴がありました。一般的には“きらわれもの”・“やっかいもの”と見られていた人たちと、イエスさまはあえて食事をしたのです。だからといって、特に目立たない人がいなかったわけでもありません。いろんな人がいて、当時のお偉いさん・・・政治家さんたちもそこに集まりました。イエスさまの最後の食事の場面では、その数時間後には、自分を置いてきぼりにし、売り渡す人たちも共に座っているのを知りながらも、共に食事をしたのです。そのぐらい、イエスさまの食卓から追い出されることはなかったのです。そして、イエスさまを囲む食事は、恐らく静かなものではなかったのでしょう。気にしようとすれば、周りに気になる事はいくらでもあったのでしょう。けれども、イエスさまと一緒にいると、そこでしか味わえない、魂まで沁み込んでくる“愛情”を感じるから、周りで気になるものが沢山あったとしても、それらはちっちゃく見えたのです。つまり、イエスさまとの食事は、ずば抜けて、とびっきり“おいしかった”のです。床がベタベタしていようが、周りがガヤガヤしていようが、それらが気にならないぐらいとびっきり“おいしかった”のです。ここでいう“おいしい”とは、味の意味で言っているのではありません。

 私たちは、月に一回、主の晩餐式を礼拝の中で行っています。ある意味で、そこでいただくパンはただのパンであり、ただのぶどうジュースです。ただのパンとぶどうジュースですから、とびっきりおいしいわけでもなく、不味いわけでもありません。けれども、それがイエスさまからいただいているパンでありぶどうジュースであると信じるときに、それをいただくことで、ずば抜けて、とびっきり“おいしい”ものになるのです。イエスさまが命がけで、そのパンとぶどうジュースを通して、新しいいのちをくださっているのですから。周りで何か気になる事があろうとも、それらが気にならないほど、“おいしい”のです。今日この後、主の晩餐式を味わいますが、魂まで沁み込む、神さまの愛情が詰まったパンとぶどうジュースであることを味わい、共に喜びたいものです。

 

分け隔てない「主の晩餐」ではなく、「各々の晩餐」の実態

 パウロは、11章2節で「あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う」とほめながら、しばらく、教会内の男女の立ち振る舞いについて語りました。しかし、今日取り上げている17節に入ってすぐに、「あなたがたをほめるわけにはいかない」という厳しめの言葉に一気に転じ、改善を強く求めていることがすぐに伝わってきます。パウロは、コリント教会で行われていた主の晩餐に極度の違和感を覚えていたのです。

 当時の晩餐式は、現代のもののように、一かけらのパンと少量のぶどう酒で行うものではなく、お腹も心も満たされる完全な食事でした。文字通りの晩餐だったのです。そして、それは月に一回行われるのではなく、毎回集まる度に行われていました。コリント教会で、何が起こっていたかというと、仕事をせずに過ごせる、経済的に言えばより裕福な一握りの教会の人たちが、まず食事を澄ましていたのです。日中の仕事や生活を終えてからやっとの思いで集った、経済的に貧しかった人たちが教会に辿り着いた時には、食事がほとんど何も残っていなかったのです。ひどい時には、先に食事を食べた人の中に、お酒を飲み過ぎて出来上がっていた人もいて、ものすごく楽しみながら過ごしている人たちもいれば、でもそのすぐ横には、空腹で過ごしている人たちがおられたのです(21節)。つまり、貧しい人たちは、主の晩餐の喜びと嬉しさから取り残されていたのです。このような教会の様子がイエスさまの教会なのか?とパウロは問いかけ、激怒したのでした。貧しい人への配慮が足りないということではなく、イエスさまの福音に反する姿であるために、パウロは警告を鳴らしたのです。

 子どもメッセージでは、美味しいラーメン屋さんのことを紹介しました。そこでしか食べられない絶品ラーメンを求めて、分け隔てなく、いろんな人が肩を並べていました。社会層の垣根を感じさせないお店であったということも、美味しさの秘訣であったかもしれません。けれども、そのような良い思い出とは真逆の記憶もあるのです。同じく台湾での事ですが、子どもであるからと言って、入れさせてくれないお店があり、私の父がそのことで激怒していたことを思い出すのです。「あなたはここには入れない」「あなたがここにいると困るんだ」という直接的な言葉でなくても、そのような思いが伝えられるのは、良い気持ちをしません。お店にはそれぞれの事情があるのでしょうが、イエスさまの教会で、そのような排他的な姿勢が許されるのか?イエスさまを求めている貧しい人々を、あなたたちは追いやっていいのか?イエスさまは貧しい人々を訪ねて、福音を分かち合ったのではないか?とパウロは投げかけたのでした。

 

この人を見よ

 23節以降で、恐らくイエスさまの直弟子から言い伝えられた伝承を、パウロは語りました。このような伝承です、「すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』。だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」

 「わたしの記念として」という言葉が2回出てきます。私たちが主の晩餐において、まずすることがここではっきり示されてあります。イエスさまを思い起こすことです。イエスさまが貧しき人々と関わり、そこで共に涙を流し、共に喜び、癒しをなしたその歩みを思い起こすことです。同時に、徹底して人々に仕えるその生き様がやがて逆風を浴び、十字架に行き着くことであったことも思い出さなくてはいけません。皆のために、十字架で命まで分け与えたイエスさまが神さまによしとされ、死者の中から復活させられたことも思い起こすのです。この一連の生涯を思い起こすことで、ただのパンとぶどうジュースがそれ以上のもの・・・魂にまで沁み込む、とびっきり"おいしい"恵みの晩餐となるのです。分け隔てなく与えられる恵みの晩餐です。

 今日この後、讃美歌205「まぶねの中に」を歌います。この歌詞の中に、イエスさまの誕生から復活に至るまでの生涯がよく表されていると思います。2節にはこうあります、「食するひまも うすわれて しいたげられし 人をたずね 友なきものの 友となりて 心くだきし この人をみよ」。この讃美歌を作詞したのは、「きよしこの夜」をドイツ語から日本語に訳した、由木 康(ゆうき こう)という人物ですが、この讃美歌の解説にこのようなコメントが添えられていました。「作者が青年時代だった1923年、イエスの神性(神の性質)について思い悩んだ結果、イエスの神性(神の性質)はイエスの人性(人としての性質)のうちに含まれ、それを通して輝き出ていることを示され、一つの確信に到達した」。讃美歌で繰り返されるのは「この人を見よ」という歌詞ですが、イエスさまの人としての生涯に眼差しを向けることで見えてくるのは、神さまの無限の恵みなのです。その恵みは、イエスなど知らないと言い張ったペテロにも及ぶ恵みであり、イエスを引き渡したイスカリオテのユダにも及ぶ恵みであり、あなたと私にも及ぶ恵みであるのです。

 パンと杯をいただく私たちは、イエスさまに倣っていく日々に押し出されていくのです。どんなに頑張っても、イエスさまに及ぶことはないのでしょうが、イエスさまに倣っていくその歩みに、永遠の命があり深い喜びがあるのです。「この人を見よ」とパウロは語ったのです。イエスさまの生涯から眼差しをそらさない私たちでありたいのです。

 

(牧師・西本詩生)