『 パウロさんが言っている見たり、合ったりできない

イエスを信ずるってどんなこと? 』

  ローマ人への手紙5:11

ローマ人への手紙3:21~31

2023年4月30日(日)

 

パウロさんってどんな人なんだろう。

 この手紙を書いたパウロさんは、小さい頃のことはよくわかりません。でも急に聖書に出てくるのです。

 イエス様が伝えた福音の教えをお弟子さんたちが頑張って教え始めたころ、この活動に反対するユダヤ教の人たちが、イエス様の教えを信じる人たちに対して迫害を始めました。その中に、若いパウロさんもいました。

 パウロさんは、イエス様の教えを信じる人たちに迫害をすることを正しいことだと信じて、強く応援していました。

 ある時もっと迫害を続けようとダマスコという町に向かって仲間たちと歩いていると、急に強い光がパウロさんを照らしました。すると急にパウロさんは転んでしまい、目が見えなくなりました。そして誰かが話しかけてくる言葉を聞いたのです。「パウロ。パウロ。なぜ私を苦しめるのか」。パウロさんはたずねました。『あ、あなたはどなたですか?』するとその声の主は言いました。「私は、あなたが苦しめているイエスである。起きてダマスコの町へ行きなさい。そこであなたは何をしたら良いか知るだろう」とその声の主は言いました。

 目が見えなくなったパウロさんは、仲間たちに助けられてダマスコの町に向かって、イエス様から「アナニアに会いなさい」と言われていたので、アナニアさんのところに向かいました。アナニアさんは、パウロさんの頭に手を載せてお祈りをしました。するとパウロさんの目からうろこのようなものが落ちて、元通りに目が見えるようになりました。

 ダマスコのアナニアさんたちと暫く暮らした中で、パウロさんは、イエス様が神の子であるということを信ずるようになりました。そしてパウロさんは、イエス様の言葉を広めるための働きに出て行き始めました。昔の仲間であるユダヤ教の人たちから追われることとなったパウロさんでしたが、それにもめげずに、いろんな困難に会いながらもイエス様の福音を世界の人々に広げる働きを続けました。そして各地に教会を作り、それぞれの教会のために、いろいろな手紙を送りました。その最後の手紙が今日のローマ人への手紙です。

 

パウロさんってどんな方。

 聖書教育と、教会のカレンダーでは、ローマ人への手紙を続けて読んでいますが、今日の箇所は、先週の聖書箇所に引き続いた3章の21節からです。

 パウロは、先々週の西本先生のお話にもあった通り、イエスとほぼ同じ時期にタルソという町で、ディアスポラのユダヤ人として生まれています。ディアスポラのユダヤ人にとっては、ユダヤ教の信仰を守ってゆくことがとても大切でしたので、生活の中で、律法を暗記し、暗誦できるように訓練がされました。毎日の食事の前には、家長が律法の一説を唱え、祈って食事を分けたと言います。またユダヤ教の集会所では、律法の書をラビが読み、解説をし、皆で学ぶということが行われていたそうです。

 パウロもそのような環境で育ち、使徒行伝によれば、有名なラビであったガマリエル1世について勉強したとのことであり、しっかりとしたユダヤ教の律法についての知識を持ったファリサイ派の知識人であったとされています。ですから、パウロの書簡においても、実に旧約聖書に関する知識が豊かであることがわかります。にもかかわらず、パウロは今日のテキストの前の箇所で、「19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。」と驚くべき言葉を語っているのです。ユダヤの民が信じて疑わなかった律法を守ることは、決して神の前に善きものとされることはなく、罪の自覚を確認することなのだというのです。

 

イエスに出ったパウロは

 何故この言葉がパウロから発せられたのでしょうか。それは、使徒行伝第8章以降に記されているパウロ(サウロ)の記事から明らかにされます。生粋のパリサイ派のユダヤ人であったパウロは、ステパノの殺害に賛成をし、あちらこちらに出来上がりつつあったイエスの福音を延べ伝える群れに対して迫害をすることを先導して歩く若者でした。第9章では、「殺害の息を弾ませながら」と書かれているように、イエスの福音を宣べ伝える群れに迫害を与えることがパウロ(サウロ)の信仰の証だったに違いありません。その迫害のために道を急いでいた時に、「天から光がさして彼をめぐり照らしたのです。」そして彼は地に倒れました。そしてイエスの言葉を聞くのです。他の同行者には聞こえない声が彼に語り掛け、そこで、パウロ(サウロ)は語りかけを通してイエスと出会い、三日間視力を失ったのです。そうして導かれてアナニアに会い、目からうろこのようなものが落ちて視力を回復するという経験をします。こののち、パウロはダマスコにおいてイエスの弟子たちと数日間を過ごし、そののちイエスこそ神の子であると宣べ始めたと書かれています。そのような経験によってイエスの言葉を宣べ伝える者となったパウロが、「律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである」と語っているのです。

 その言葉に続けて、「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と予言者とによってあかしされて、現された」と続けて語るのです。この「現された」という言葉は、どちらかと言うと「現わされている」、「現わされ続けている」と訳すべきかもしれません。そしてその言葉に続けて、神が人を善きものとして受け入れるのは、イエス・キリストを信じる信仰によると断言しているのです。まさにパウロはイエスとの出会いによって、それまで正しいと信じて疑わなかった、律法を守り、それに従った生き方ではなく、言葉をもって語り掛けたイエスに従う生き方こそ、神が善しとされる生き方だと確信を持って受け入れたのです。

 

パウロが信じたイエスはどう語っていたの

 では、イエスはどのようなことを告げていたのでしょうか。ルカによる福音書では、山上の垂訓と言われる記事の後に、「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎むものに親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめるもののために祈れ。……人々にしてほしいと、あなたが望むことを、人々にもその通りせよ…あなた方は、敵を愛し、人に良くしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」と弟子たちに話しています。

 またマタイによる福音書の6章では、自分のしていることを他人にあえて知らせるなと諭しながら、「隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」とも伝えているのです。そして、「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」と求めるのです。

 パウロはそのように語られているイエスに出会うことによって、大きくその人生を変えられ、苦難を受けながらも、イエスを宣べ伝える者となってゆきました。そして、「人が義とされるのは、信仰によるのである」と断言するのです。

 それはまさにイエスが「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである(マタイ6:17)」と語っていることと同じなのです。イエスは、敵を愛し、のろう者のために祈り、はずかしめる者のために祈れと語っています。そのように語るイエスを信ずる信仰に拠り頼んだ時に、神は受け入れてくださるとパウロはここで語っています。

 

では信ずるだけでよいの

 では、信ずると語ればよいのでしょうか。パウロは、「今や自分の肢体を義の僕としてささげ」るべきだと告げるのです。それはどのようなことでしょうか。パウロは、コリント人への第1の手紙の第12章以下でそのことを語っています。「聖霊によらなければ、だれもイエスは主であるということが出来ない」と告げ、霊の賜物については、「務めは種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである」とも告げています。特に第13章では、次のように語るのです。「たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい饒鉢と同じである」。もし愛を持って語るのでなければ、相手には伝わらないというのです。

 出来るものではなく、出来ないものである自分自身の姿を見つめながら、それでもなお、受け入れてくださるイエスを私自身の主として信じて、御霊の導きを受け入れて変わってゆこうではないでしょうか。

 

(教会員・浦瀬佑司)

 

 


『 神さまの前でただしい人はひとりもいないけど

そんな私たちをただしいとする神さま 』

  コリント人への第二の手紙4:6~7

ローマ人への手紙3:9~20

2023年4月23日(日)

 

子どもメッセージ

  5歳から75歳の70人に、「自分の好きなところは?」と問いかけたビデオを観たいと思います(https://www.youtube.com/watch?v=wY2GVT1hPFE)。

5歳「分からない」6歳「笑ってるところ」7歳「優しいところ」8歳「足が速くて優しいところ」9歳「ボールが強く投げられるところ」10歳「みんなを笑わせられるところ」11「良く考えて行動できるところ」12歳「まだみつけられていません」13「人の話を良く聞いてあげるところ/絵をかくのが好きなところ」14歳「友達がたくさんいるところ」15歳「何とかなるという前向きなところ」16歳「ポジティブ思考が得意なところ」17歳「自分が自身が持てること」18歳「自分を愛するところ」19歳「フットワークが軽いところ」20歳「明るくて人を笑顔にするところ」21歳「人の気持ちを読み取って行動できること」22歳「ラッキーガール!」23歳「ポジティブなところ」24歳「まじめなところ」25歳「髪の毛」26歳「人が好きなところ」27歳「楽観的なところ・・考え方一つで人生変わるはずだし、いつもポジティブでいること」28歳「人に流されず、前向きに挑戦できるところ」29歳「手が大きくてゴツゴツしているところ」30歳「料理が好きなところ」31歳「自立していてドライなところ」32歳「体力があるところ」33歳「マイペース」34歳「すぐ忘れるところ」35歳「失敗を学ばないところ」36歳「まっすぐ集中できるところ」37歳「良く笑うところ」38歳「割と楽観的なところ」39歳「人を笑顔にできること」40歳「人と打ち解けやすいところ」41歳「美味しいものを食べることに貪欲なところ」42歳「好奇心旺盛でこだわりが強いところ」43歳「笑顔」44歳「明るいところ」45歳「おおらかなところ」46歳「ポジティブな性格」47歳「前向きなところ」48歳「ポジティブで人を嫉まないところ」49歳「丈夫なところ」50歳「誰に対してもなれなれしいところ」51歳「意外に努力家なところ」52歳「何でも納得いくまでやるところ」53歳「楽天的なところ」54歳「明るくて愛情深いところ」55歳「チャレンジ精神旺盛なところ」56歳「家族や友人を第一に考えるところ」57歳「天然でおバカちゃんですが、いつも前向きです」58歳「ぶれないところ」59歳「好奇心がへこたれないところ」60歳「楽観的なところ」61歳「くよくよしないところ」62歳「素直さ」63歳「ポジティブで誰とでもすぐ話ができること」64歳「気遣いと優しさ」65歳「好奇心旺盛で良く笑うところ」66歳「前向きなところ」67歳「差別意識のないところ」68歳「明るくてかわいいところ」69歳「明るくて忍耐強いところ・・チャレンジし続けるところ」70歳「楽観的な性格」71歳「掃除が好きなところ」72歳「優しいところ」73歳「考えもなくどんどん前へ進むところ」74歳「優しいところ・・ママに優しいところ」75歳「明るい性格」

皆さんは「自分の好きなところは?」と聞かれたら、すぐに答えが出てきますか?すぐに答えが出てくる人もいるでしょうし・・しばらく考え込む人もいるでしょう・・また、何も好きなところがないと答える人もいると思います。僕は正直・・すぐに答えが出てくると思っていたんですが・・ちょっと考え事をしていたからか・・なかなか出てきませんでした。でも、このビデオは参考になりました。

ここまでは、自分の好きなところについてお話してきましたが・・その逆はどうでしょう?「自分の嫌なところは?」と聞かれたらどうでしょう・・嫌とまで言わなくても、ここは改善したいな・・もっとこうでありたいなぁ・・この部分は人前では見せられないなぁ・・自分ではどうしようもない弱さがあるなぁ・・何か思いつきませんか?もしかしたら、好きなところより、その反対の方が答えやすいかもしれません。

今日は、パウロと言う人が書いた手紙を読んでいます。そこで、パウロは人を「土の器」にたとえました(コリント人への第二の手紙4:6~7)。僕も、みんなも、「土でできた器」みたいだとパウロは言います。これは、教会で使っている花瓶です。これは元々土でした。硬くて丈夫のように見えますけど、実は良く見ると大きなヒビが入っていて、もろいんです。使えば使うほど、ヒビが入ったり、欠けたり、割れてしまう・・それが土の器の運命です。私たちも、土の器と同じように、いろんな欠けがあったり、ヒビがあるのかもしれません。自分が好きになれるところばっかりではないはずです。そういう意味でのヒビや欠けです。自分でもいやになるところ・・他の人から見て、「ここはちょっとね・・」と思われるところをみんな持っているんじゃないかなぁ?うちらから見ても、ヒビだらけだとしたら、何も見逃さないはずの神さまが私たちを見たら、なおさらヒビや欠けが沢山見えているでしょう。

パウロさんは、私たちを土の器にたとえた時に、こんなことを言いました。「もろくて欠けだらけの私たちであるにも関わらず、神さまはその欠けだらけの私たちを選び、そこに光を注いだ・・愛情という光を、私たちに注いだ」と。神さまは、もっと丈夫な素材で出来た入れ物を選ぶこともできたでしょう。でもあえて、ヒビだらけの土の器・・私たちを選んだのです。なぜでしょうか。その理由はこの絵が非常によくとらえていると思います(ひび割れから光があふれ出ている土の器の絵)。私たちの欠けやひび割れから、神さまの愛情という光が最も溢れでるからです。そこにこそ、愛情がしみ込んでいくんです。周りを照らす、愛情という光・・生きるために必要不可欠な愛です。

今日は二つの質問を皆さんにといかけました。「自分の好きなところは?」「自分の嫌なところは?」。たとえ、自分の嫌なところしか見つからなくても、神さまは、そんな私たちに愛情をどっぷり注いでくださっています。嫌なところを持ったまま・・ヒビ割れのままで、私たちを丸ごと受け止めてくださいます。神さまからすれば私たちは大切な宝物・・ヒビだらけであっても、宝物なのです。だからこそ、私たちは・・自分たちの嫌な部分も含めて・・これが私なんだとまず認めることができるんじゃないのかなぁ。人前では見せられないところ・・自分ではどうしようもない弱さと悩まされている部分を、自分自身の一部分として受け入れられるんじゃないかな。だって、もうすでにそれを含めて受け入れて、愛してくださっている神さまがいるんだから。そして、その受け入れがたい部分にこそ、神さまの愛情が働いてくださっている・・それを信じることができるんです。

 

正しい人は一人もいない

子どもメッセージでは、パウロがコリント教会に送った手紙を取り上げましたが、今日のローマ書3章に通じるものがあると思い、それを取り上げました。今日のローマ書で、パウロはこのように言います「義人はいない、一人もいない」・・新共同訳では「正しい人はいない。一人もいない。」とあります。コリント人への手紙の「土の器」のたとえで言えば、ヒビ割れや欠けを持たない人は誰もいないという表現につながるものです。しかも、パウロはこのメッセージをあらゆる角度から語りました。「ユダヤ人もギリシャ人も、ことごとく罪のもとにある・・義人はいない、ひとりもいない。/悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。/すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。/彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり/彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている/彼らの足は、血を流すのに速く/彼らの道には、破壊と悲惨とがある。/そして、彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ3:9~18)。一見、人を全面的に否定する意図を持った言葉として聞こえるかもしれません。けれども、パウロは、ローマの教会内部の深刻な課題を直視していたのです。それゆえに、真剣な口調で語らなくてはいけませんでした。

ローマの教会で何が起こっていたのでしょうか?ローマの教会にはユダヤ人キリスト者と・・ユダヤ人ではない・・異邦人キリスト者が集まり・・民族的にも、文化的にも多様な背景を持つ人々が集まっていました。何しろ、ローマと言えば、当時の“世界の中心”と呼ばれるような大都会でした。けれども、教会のユダヤ人キリスト者が、ユダヤ人であるがゆえに、自分たちが優れていると言い張っていたのです。裏を返せば、ユダヤ人でなければ、二流なんだ・・劣っているんだという主張が教会に定着してしまったのです。ユダヤ人と非ユダヤ人との間に優劣ができたゆえに、あらゆる場面で亀裂が起こっていたことも想像できます。「わたしはあれこれまでした・・」「わたしはこんなにささげた・・」「わたしは・・わたしは」という主張。そして、そのような主張は他の人を貶める言動にもつながったかもしれません。このような空気がただようローマ教会でしたので、多くの人が痛み、悲しんでいました。パウロは、痛手を負い、涙を流すローマの教会の信徒たちを心に留めながら手紙を送りました。「優れているとか・・劣っているとか・・そんな物差しで他者をはかり、自分をはかったとしても、それは、神さまの前ではせいぜい“どんぐりの背比べ”をしていることと同じじゃないか。神さまの前で正しい人はいるんだろうか・・一人もいないでしょ」と・・パウロは涙を流しながら、高ぶる信徒たちが、自分がはまってしまっている愚かな思い込みに目覚めるように、神さまの前で素直になれるように、手紙の言葉に全身全霊を注いだことでしょう。

 

自分と重ねて

パウロの必死な訴えは、彼自身の過去が深く影響していました。つまり・・パウロはかつて、神さまの大切な教え・・律法を全うすることで、神さまとの義しい(ただしい→ルールを守るという意味ではなく、健全な関係を意味する言葉)関係を確立しようとしました。ユダヤ人としての選民意識も追い風となったかもしれません・・自分を高めながら・・正当化しながら・・絶対化しながら・・過ごしていました。そして、そのような・・自分の頑張りに頼るような信仰を抱きながらただひたすら前進する中で、イエスさまのゆえに、人は義しくされることを主張するキリスト教会を脅迫し、人の命を奪いました。人の頑張りで義しさを追い求める中で、取り返しのつかない被害を重ねてしまったのです。この醜い過去を持ち続けるパウロでしたので、人の優れと頑張りではなく、ただただ、神さまの憐みのゆえに、私たちは義しくされるということを忘れるとしたら・・どれだけの痛みと涙が生じるのか・・その過去を蓄積してきたパウロ自身が痛いほど知っていたのです。

先ほど読み上げたパウロの訴えは、かつてのパウロの姿にそのまま当てはまる言葉であると言えるでしょう。例えば15節の「彼らの足は、血を流すのに速く」・・筆を震わせながらこの言葉を綴ったことでしょう。そして、パウロが描いたこの姿は、私、西本詩生にも当てはまるのです。目の前の人の悩みと痛みを悟ればいいところ、それを汲み取らない私です。神を求めると言いながらも・・人の好意と評価を求め、それに翻弄される私です。迷うどころか、人を守り支えることから逃げ出す臆病者です。心を込めた同情の言葉・・愛と命の言葉を口にすればいいときには、無関心の沈黙をし、霊の言葉が求められる時には、感情任せの言葉を吐き出す私です。パウロの訴えを噛みしめると・・恥ずかしながら、アーメン、アーメンとしか言いようがないのです。

 

一人だけ義しいお方がおられる・それゆえに義しくされる

パウロは高ぶるローマの信徒たち・・高ぶる私たちを、ただ貶めるためにこのように訴えたわけではありません。亀裂が生じている教会でしたが、一人一人の目を、神さまに向けさせたのです。もっと具体的に言えば、イエス・キリストに目を向けさせました。パウロは「義人はいない、一人もいない」と言いましたが、一人だけ義しいお方がおられるのです。イエスさまです。イエスさまは人の痛みと悲しみを悟り、神を求め、与えられた道を全うし、善を行い、愛と命の言葉を語るだけでなく、それを実現し、平和の道を切り開いたお方です。唯一流した血は、私たちを生かすための、自らの血でした。唯一義しいお方が十字架にかけられ、義しくない私たちが、義しくされたのです。19節に「全世界が・・私たち一人一人が・・神のさばきに服する」という言葉がありますが、その裁きの最終的な判決は、「義しい」・・「よし!」なのです。あり得ない判決です。どこまでいっても義しさに欠ける私たちですけれども、そんな私たちを、あたかも宝のように「よし!」としてくださるのです。「でかした!よくやった!」という判決です。イエスさまのゆえにです。そして、神さまからの絶対的な「よし!」という判決は自分だけに与えられたものではありません。隣の人にも与えられているのです。このあり得ない恵みの出来事・・イエス・キリストに目線を合わせていこうではありませんか。ここに、教会を結ぶ絆があるとパウロは確信していたのです。

 

(牧師・西本詩生) 


『 福音を恥としない 』

  ヨハネの第一の手紙4:9~10

ローマ人への手紙1:8~17

2023年4月16日(日)

 

子どもメッセージ

  今日の聖書ではこのようなことが言われています、「あなたたちとわたしと・・お互いの信仰によって、励まし合おう!」(12節)。これを読んで、僕はこないだ日高で開かれた、青少年春の修養会を思い出しました。まさに、それぞれが励まし合っている光景をそこで見たからです。バスケやサッカーをしたり、原始的な素材を使って火起こしをしようとしたり・・結局2時間しましたが、火はつきませんでした・・でも最初から最後まで楽しいプログラムでした。そして、聖書のお話をグループで話し合うときには、ある人がこんなことを言ってくれました「正直、学校では、教会に通っていることは言えないんだよね・・」と。それを聞いたある人は、「私も・・分かる、分かる」。また他のグループではこんな会話もありました・・「仕事の先輩がどうしてもむかつくんだぁ・・でもね・・イエスさまがいるから、何とかうまく付き合っていこうかななぁ」と。中高生・・青年たちが、本音と弱音を打ち明けて、お互いを励まし合っている姿を通して・・僕自身元気をもらいました。教会の集まりって、やっぱり励まし合うところなんだなぁと思わされた、春の修養会でした。夏にも計画しているプログラムもあると聞いています。中高生、青年の人はぜひお楽しみに!

 

パウロの人物像に迫って

突然ですが、「先週の日曜日よかったよね!」と聞いたら、何を思いつきますか?先週のイースター礼拝を一緒に過ごした人は、Tさんのバプテスマ式を思い浮かべるかもしれません。または、卵探しゲームを思い出す人もいると思います。けれども、先週のイースター礼拝のことを全く知らなかったら、どうでしょう?「そっか、先週の日曜日・・いい日だったんだなぁ・・晴れたのかなぁ?」という軽めの印象でとどまるかもしれません。同じ、「こないだの日曜日よかったよね!」であっても、その裏にある物語を知るか、知らないかで、見えてくるものが全然違うと思います。

今日から、6月末まで、使徒パウロが、ローマの教会に送った手紙からみ言葉を聴いていきます。ローマの教会は、パウロにとってまだ訪れたことがない教会でした。ですので、訪ねることを前提に、自己紹介の意味を込めて送った手紙です。他のパウロの手紙と違って、ある特定の課題を取り上げているというよりは、パウロ自身の福音理解を提示するもので・・神学論文のような・・硬い口調であることが特徴です。そうなのですが、パウロがどういう人であったか・・パウロという人物が経験した物語を少しでも知ることで、手紙の内容が、より現実味のあることとして聞こえてくると思います。パウロがどんな経験を経て、その言葉を書き出したのかを知るために、今日はまず、パウロがどういう人であったのか・・そして彼の人生を大きく影響したであろう、あの印象的な場面を見ていきたいと思います。

 

生粋のユダヤ人でありながら、ぬぐえないアウエー感

パウロは、イエスさまと大体同じ時代に生きた人でした。そしてイエスさまと同じく、ユダヤ人でした(ピリピ書3:5、使徒行伝23:6、)。けれども、イエスさまとは違って、イスラエルで生まれ育ったわけではありません(現トルコのタルソ出身(使徒行伝21:39、22:3))。イスラエル人から見れば、パウロは国外・・外国で生まれ育った人です。その外国で・・パウロはユダヤ人として育てられ、必然的に聖書を熱心に勉強するようになりました。当時、聖書の勉強を高いレベルで進めるのであれば、神殿がある、エルサレムに行かなくてはいけませんでした。ですので、パウロは、聖書を勉強するために、自分が生まれ育った町を離れて、エルサレムに移り住みました。恐らく、パウロが13歳ぐらいのときだったのでしょう(使徒行伝22:3)。今の言葉で言えば、パウロは「帰国子女」と呼べるでしょう。ルーツはイスラエルにありながらも、国外で育った人です。

ちょっと話が逸れるようですが・・僕は、日本で生まれ育ちませんでした。22歳の時に初めて日本に住んだ、正真正銘の「帰国子女」です。この点では、僕はパウロと似ているなぁ・・と思い、勝手にパウロと親近感を感じています。日本に戻って大分時間が経ちますので、今はそんなことはありませんが、最初に戻ってきたときには、日本の風習や文化で悩み、戸惑うことがいっぱいありました。例えば、何かの帰り際に「お疲れさまです」と言う挨拶をしますよね。今の僕は何とも思わず「お疲れさまです」と言っていますけど、日本に最初に戻ってきたときはとても戸惑いました。「何で疲れたことが、別れ際の合言葉なんだろう・・もうちょっと明るい別れ方はないんだろうか」と思いを巡らす時がありました。日本に生まれ育っていれば、そんなことで引っかかることはないと思います。いろんなことに引っかかり過ぎて、20代前半の僕にとって、僕のルーツである日本はアウエー感をいっぱい感じる場所・・なじめない気まずさを毎日覚えるところでした。

僕個人の経験を、どこまでパウロの経験に重ねていいのかは分かりませんが、きっとパウロも、エルサレムに移り住んだときには、アウエー感、蚊帳の外感・・周りになじめないという気まずさと戸惑いを感じたんだろう・・と思うのです。13歳のパウロであったら、なおさらだと思います。使徒行伝には、パウロがエジプト人に間違えられたということを紹介していますので(使徒行伝21:38)、見る人によっては、パウロはユダヤ人っぽくなかったようです。見た目からしても、ユダヤ人の中にいるとちょっと浮いてしまうパウロでしたので・・「何としてでもユダヤ人として認められたい」・「周りに認められなくてはいけない」という願望を人一倍抱きながら10代を過ごしたのでしょう。そのために、がむしゃらに聖書の勉強を進め、教わったことを一つも間違いがないように、熱意をもって、忠実に生きようとしました(ピリピ3:6、ガラテヤ1:14)。パウロはドがつくほど真面目な人でした。

 

キリスト教会の迫害者パウロ

年月が経ち、聖書の勉強をがんばってきたパウロは、ちょっとしたリーダーとして期待されるようになっていました。特に、奇妙なことを言い張るキリスト教会の人たちの迫害に関して中心的な役割を持つようになっていたのです(ガラテヤ1:13)。その人たちはこのようなメッセージを言い張っていました、「十字架にかけられて、みじめな姿で亡くなったイエスという人が実は神さまであり、あなたの救い主である」と。パウロは、教会の人たちを牢屋に放り込み、町から追い出し、ときには命を奪ってしまうこともあったことも推測されます。このときのパウロにとって、教会の人たちが言い張ることは全く受け入れられませんでした。「神さまが十字架にかけられただと?神さまはあんなみじめで恥ずかしい姿になるわけがない。しかもそれが私の救いのためなんて・・冗談じゃない。神さまは強いお方だ。偉大な神さまをバカにしてんのか?」と怒り狂ってしまうほど、教会の人たちが言うことを受け入れられませんでした。イエスさまを救い主と信じる教会の人たちからすれば、パウロは絶対に出くわしたくない、とても、とても怖~~い、いやな人でした。もしもパウロと出くわしたときには、命の覚悟をしなくてはいけませんでした。

 

十字架にかけられたイエスさまに出会う

ある日、パウロは噂を耳にしました。ダマスコで、教会の人たちがあのとんでもない,十字架のメッセージを言い広めているということを知ったのです。これを聞いて、パウロは居ても立っても居られませんでした。仲間たちを呼び集めて、その町に向かうためにすぐに出発しました。しかしながら、その町に到着する直前で、パウロのところに光が差し込んできました。そして、ある声がパウロに聞こえました。「パウロ・・パウロ・・なぜ、わたしを苦しめるのか」と。まばゆい光の中、パウロはたずねました。「あ・・あなたはどなたですか・・」。すると、同じ声が言い返してきました、「わたしは、あなたが苦しめているイエスだ」(使徒行伝9:3~5)。ここでパウロは、救い主であるイエスさまと出会いました。しかもその姿はパウロが思い描くような、強い、偉大な姿の救い主ではありませんでした。パウロが痛みつけてきた人たちと同じように、苦しみ続け、傷だらけで、恥ずかしい姿の十字架のイエスさまであったのです(ガラテヤ3:1、一コリント2:2)。後々パウロは、十字架にかけられたイエスさまが救い主であることを信じ、教会の一員になりました。今まで教会の人たちを何度も痛みつけたパウロ・・教会にとっては恐怖でしかないパウロが教会に受け入れられることは、並大抵のことではありません。奇跡が起こったと言わざるを得ません。本音を言えば、教会の人たちはパウロと一切関わりをもちたくなかったでしょう(使徒行伝9:13~14)。けれども、教会はイエスさまの十字架の恵みに心打たれて、パウロをイエスさまの家族として受け入れていくことになります(使徒行伝9:17)。この一連の出来事は、パウロの人生を根底からひっくり返して、変化をもたらしました。イエスさまを嫌って、教会を痛みつけていたパウロでしたが、今度は教会を愛し、・・イエスさまのために残りの人生を送ることになったのです。

 

「恥」という信仰の言葉に込められた思い

ここでようやく本題に入れます。今日の聖書ではこのような言葉が出てきます「わたしは福音を恥としない」。ちょっと柔らかく言い換えれば、「イエスさまに出会えたことは恥ずかしくない・・イエスさまに出会えてよかったよね」となると思います。イエスさまに出会う前のパウロにとって、十字架にかけられたイエスさまは恥そのものでした。苦しみながら亡くなってしまう人が救い主・・神さまであるはずがない・・とパウロは確信していました。

実は、パウロはずっと心に大きな穴を抱えていたと思います。10代のパウロは、国外からイスラエルに移り住んで、その穴を意識せざるを得なかったのでしょう。どういう穴かと言うと、神さまに認められたい・・神さまに選ばれた人々・・ユダヤ人として認められたい・・という大きな穴です。パウロは、神さまにも、周りのユダヤ人にも認められるために、毎日、毎日頑張り続けました。けれども、どれだけがんばっても、どれだけ歯を食いしばっても、どれだけ徹夜をして聖書を勉強しても、その心の穴は埋められませんでした(ローマ9:32、10:3)。認められたいというこの願い・・ちょっと難しい言葉で言うと承認欲求と言います。認められたいという願い・・僕もあるなぁと思います。皆さんはどうでしょう?

パウロは、イエスさまに出会い、教会に受け入れられていく中で、気づいたのです、「僕を本当の意味で認めてくださるのは、十字架のイエスさましかいない」と。しかもそれは、頑張るから認められるということではなかったのです。ただ、ただ、神さまが、無限に憐み深いから、認められるということをパウロは知ったのです。

というのも、イエスさまに出会ったパウロは、教会からすれば、一番認めてはいけない人でした。パウロはどれだけの人の人生をめちゃくちゃにしてきたのでしょう。傷つけられた教会の人にとって、パウロは遠ざけなくてはいけない人物でした・・そういう意味でパウロは「恥」であると言われてもしょうがない人でした。

パウロにとっても、自分が教会に負わせてきた苦しみの過去は、恥であったと思います。消し去ることができるのであれば、すぐにでも消したい過去でした。でもそれができませんでした。パウロ自身、自分は「恥」だと知っていたのです。

けれども、その「恥」としか言いようがないパウロが、イエスさまに認められ、教会に受け入れられたのです。なぜそんなことが起き得たのでしょうか?

一番恥ではないはずの主イエスさまが、十字架にかかって恥そのものとなったからです。「恥」としか言いようがないパウロでしたが、パウロの代わりにイエスさまは恥そのものとなったのです。誰も恥とならないように・・誰も蚊帳の外に追い出されないように・・ユダヤ人であろうが、ギリシャ人であろうが、皆神さまに認められ、受け入れられるように、イエスさまは十字架で恥となったこと・・パウロが「福音を恥としない」と綴った時、涙ながらこのことを思い出したことでしょう。

 これから「いかなる恵みぞ」「Amazing Grace」を歌いますが・・原文である英語を直訳するとこうなると思います。Amazing grace, how sweet the sound驚くべき恵み、なんと麗しい響きThat saved a wretch like me!「恥」そのものである私まで救いあげてくださったのだからI once was lost, but now am found迷いさ迷っていた我、今は神に見つかったWas blind, but now I see見ぬ我であったが、見る我となった。

 全ての恥から救うために恥そのものとなったイエスさまの驚くべき恵みを歌っている讃美歌です。パウロはこの福音に心打たれたのです。「福音を恥としない」。信仰をもってアーメンと唱えようではありませんか。

 

(牧師・西本詩生) 


『 目で見ることはできない神さまが、

でも確かにおられることの証人として 』   

マタイによる福音書1:23 

ルカによる福音書24:13~35

2023年4月9日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

  イエスさまが目の前で十字架に磔(はりつけ)にされて殺されたのは金曜日でした。イエスさまが十字架にかけられた時、イエスさまのお弟子さんたちは、みんな逃げてしまっていましたが、イエスさまと一緒に過ごした女の人たちは、イエスさまが十字架で殺されていく姿を目の前で見ていたし、そのイエスさまの死体がお墓に葬られるのも見ていました。大好きなイエスさまが殺されて、墓に葬られるのを、女の人たちは一体どんな思いで見つめていたんだろう。「イエスさまが殺されようとしているのに、何もしてあげられない・・・」。「神さま、なんでイエスさまを助けてくれないんですか!」きっと、いろんな思いを抱えて、震えながら、泣きながら、叫びながら、その様子を見つめていたと思うんです。イエスさまの死体が墓に葬られた次の日は土曜日で、ユダヤの人たちにとっては安息日でした。何もしてはならないとされていた日です。ですから、女の人たちも、その日はじっと待ちました。本当は、すぐにでもイエスさまのお墓に行きたかったはずなんです。女の人たちは、「何もできなかったけど、せめてイエスさまの体に、良い香りのする香油を塗ってあげたい」と思っていたからです。痛い思いをして・・・、苦しい思いをして・・・、悔しい思いをして・・・、死んでいったイエスさまの体をさすりながら、その香油を塗ってあげたいって思ったからです。だけど、その日は安息日だったので、じっと待ちました。きっと、一日がずいぶん長く感じられたでしょう。ようやく日が明けて日曜日になって、まだ薄暗い内に、女の人たちは急いでお墓に行きました。「さあ、ちょっとでも早く、イエスさまの体に香油を塗ってあげましょう」って、早足でお墓に向かったんです。そしたら、不思議なことに、お墓の入り口をふさいであった大きな石が転がって、入口が開いているのが見えました。実は、お墓に行くのはいいものの、「あの石をどうやって動かすことができるかしら・・・」と、女の人たちは思っていたんです。「よかった、神さまはちゃんとイエスさまに香油を塗れるように、準備してくださったのね」と、女の人たちはきっと喜んだでしょう。ところが、なんとお墓の中は、空っぽだったんです。そこに、イエスさまはおられなかったんです。「なんでこんなことになるの・・・」「神さま、どんなにひどいことをなさるんですか」もう女の人たちには、力は残されていませんでした。ヘナヘナとそこに座り込んで、力尽きてしまいました。すると突然、輝く服を来た人が二人現れて、「なんであなたたちは、生きている人のことを、お墓に探しているのか?あなたたちが探している方は、よみがえられたのだ」って言ったんです。目をパチクリしながら、女の人たちはお互いの顔を見つめました。何が起こっているのか、その人たちが何を言っているのか、わけがわかりません。「でも、待って。イエスさまも、いつも言っておられたじゃない。『わたしは十字架につけられ、三日目によみがえる』って。イエスさまが十字架につけられたのが金曜日で・・・、金曜日、土曜日、日曜日・・・。今日はそれから三日目じゃない!」さあ、力尽きて座り込んでしまっていた女の人たちは、立ち上がって、イエスさまのお弟子さんたちのいる家まで走りました。「ねえ、みんな、きいて!イエスさまは、いつも言っておられたように、十字架につけられてから三日目の今日、よみがえられたのよ!わたしたち、イエスさまのお墓に行ってきたけど、そこにはイエスさまはおられなかったの!」だけど、お弟子さんたちは、女の人たちの報告を聞いて、鼻で笑いました。「そんなことがあるわけないじゃないか」って。たった一人だけ・・・ペテロだけは、立ち上がって、お墓に走りました。そして、確かにお墓が空であることを、自分で確かめたんです。だから、ペテロも、みんなに報告せずにはいられませんでした。「聞いてくれ!女たちが言っていたことは、本当だったぞ!確かに墓は空だったんだ」って。

 その報告を聞いた弟子たちの中の、二人の人が、エルサレムからエマオという町へと向かって歩いていました。歩きながら、二人は女の人たちやペテロから聞いた話について話していたんです。「あれにはビックリしたな。女たちの話は、どうせ見間違いだろうくらいに思っていたけど、確認しに行ったペテロさんたちまで『確かにその通りだった』と言い出した時には、たまげたぞ」。「エルサレムの町も、イエスさまの死体がなくなったって大騒ぎになっていたな。このままでは、イエスさまの弟子だったおれたちも、もしかしたら捕まってしまうんじゃないかって、逃げてきたけど、きっと正解だったよな」。そんなことを話しているところに、一人の人が近づいてきて、一緒に歩きながら「おふたりは何のことを話しているんですか」ときいてきたんです。「あんたもエルサレムにいたんだろ?そのくせ、知らないのかい?知らないのは、きっとあんたくらいだよ」って呆れながら、イエスさまのことを話して聞かせました。そしたら、その人は、「それはもともと旧約聖書に書かれていたことじゃないか」って、詳しく教えてくれたんです。「最近エルサレムであったことを知らないわりに、やたら聖書に詳しい人だなあ」と、二人は思いました。さあ、そうこうしている内に、エマオの街に到着しました。エルサレムからエマオまでは10キロちょっと離れていたみたいなんで、3時間くらい歩いたんじゃないかと思います。疲れてお腹が空いていた二人は、その人と一緒に食卓につきました。すると、その人がパンを取って、祝福のお祈りをしてから、そのパンを裂いて、そのパンを彼らに渡しました。「ちょっと待て!これ、どっかで見たことあるよな!」「あるに決まってる!これは、イエスさまのルーティーンやないか!」そう、その時初めて、二人はそれがイエスさまだって気付いたんです。すると、ようやく二人がそのことに気付くと、イエスさまの姿は見えなくなってしまったんです。でも、二人は言いました。「なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。歩きながら、イエスさまが聖書のことを話してくれた時、お互いに心が燃えたじゃないか!」って。

 でも結局、この二人の弟子たちも、よみがえったイエスさまの姿を、自分の目で見ることはなかったんです。女の人たちだって、ペテロだって、墓が空だったことは自分の目で確認したし、天使の言葉は自分の耳で聞いたけど、この時点では、実際に自分たちの目で復活のイエスさまを見たわけではありませんでした。でも、女の人たちも、ペテロも、そしてこの二人もみんな、その自分が出会わされた状況について、すぐに仲間たちに報告に行ったんです。そうせずにはいられなかったんです。女の人たちは天使たちの言葉を・・・、ペテロは確かに墓が空であったことを・・・、そしてこの二人は自分たちの心が燃えていたことを・・・。みんな、イエスさまの姿は見てなくても、イエスさまが確かに生きて働いておられることを感じたので、そのことがうれしくて、うれしくて、その喜びを他の人に教えずにはいられなかったんです。そして、そうやって信じた人たちの前に、その後、復活されたイエスさまは現れて、自分が今も生きておられることを伝えたんです。見たから信じたのではなくて、信じたから見たんです。

 

◆ 教会は目に見えない神さまがおられることを証しする信仰共同体

 改めて、イースターおめでとうございます。

 ぼくら教会は、復活させられたイエス・キリストが、今も生きて働いておられることを信じ、そのことを証しする、信仰の共同体です。教会はすべての人に開かれていますので、当然、さまざまな背景をもった人がここに集まっており、ここにいる誰一人として同じ人はいません。その多種多様なぼくらは、他の何物においてでもなく、ただ信仰によってのみ一致することを大切にしている群れです。逆に言えば、その他のことでは、違っていて当たり前なのです。そんな違いを受け入れ合いながら、ここに集められているのです。ですから、そのように集い合う教会にとって、自らに起こされた神さまの御業について信じて、証しするということは、大変重要です。そして、そのために、ぼくらの信仰の目が・・・、信仰の耳が・・・養われなければなりません。時々、ぼくらは「自分には特別証しできるようなことはありません」というようなことを言ってしまいます。でも、本当にそうでしょうか?証しするべき事柄に気がつかなかったり、それを証しすることとして受けとめられなかったりすることはあるかもしれません。でも、それは「何もない」ということとは違うと思うのです。「何もない」と聞くと、「自分の人生は平凡なので・・・」と謙遜して言っているようにも聞こえますが、実は神さまがその人に起こしてくださっている御業を、ただ見過ごしてしまっているだけなのではないでしょうか。

 

◆ 彼ら・彼女ら(教会)は証人と呼ばれた

 女性たちだって、ペテロだって、そしてこの二人の弟子たちだって、結局「何もなかった」と言ってしまえば、確かに何もありませんでした。彼ら・彼女らは、その目で復活のキリストの姿を確認したわけではなかったからです。しかし、彼ら・彼女らの信仰の観点からは、何もなかったどころか、大いに何事かがあったのです。仲間たちに伝えに行かずにはいられないほどのことがあったのです。それを、彼ら・彼女らは感じ取り、そして信じたのです。それが信仰です。「確かに自分たちの出会わされたことは真実だ」と、彼らは信じたのです。いや、信じずにはいられなかったのです。そして、彼ら・彼女らには、その時「お互いの心が燃えたじゃないか」と確認し合える仲間がいました。そのことを確認し合える仲間を、神さまははちゃんと与えてくださっていたのです。その後、復活されたイエスさまは、彼ら・彼女らの前に現れました。そしてこう言われたのです。「あなたがたは、これらの事の証人である」。そこから、まさに神さまの出来事を証言する証人として、彼ら・彼女らは教会を建て上げていったのです。神さまがわたしたちの間に御業を起こし続けておられること、イエス・キリストが今も生きて働いておられること、聖霊がぼくらの心に信じる心を与えておられること、そのことを、証人として証言すること・・・、それは教会に託された大切な業なのです。

 

◆ みんなで証しし続ける教会

 今日も、Tさんが信仰告白を通して、証しをしてくださいました。これまで歩んでこられた人生の中で、きれいごとでは済まされないような壮絶な体験を、幾度となく通らされてきながら、今この教会で過ごしておられることを話してくださいました。今も悲しみは到底拭えないし、世の不条理への憤りも消えることはないことも、正直に話してくださいました。でも、「インマヌエル~神われらと共におられます」というのは、順風満帆に神さまのために元気に働いているから感じられるようなものではないのです。このぼくらと共にいてくださっているのは、まさにこの世の不条理の極みの内に、十字架に磔にされたイエス・キリストであるからです。それゆえ、人生の悲しみ、怒り、苦しみのどん底においてこそ「ああ、確かにキリストは、われらと共にいてくださるのだ」と感じることができるのだと、聖書は繰り返し、繰り返し、ぼくらに伝えようとしているのです。教会は、痛みや苦しみ、憤りを持ち寄るところです。そして、必死になって共に神さまに祈りながら、「ここにわたしもいるじゃないか」と出会わされる復活のキリストを証しし続けていきたいと願うのです。 

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 十字架の赦し 』

  ルカによる福音書23:44~46

ルカによる福音書23:26~43

2023年4月2日(日)

 

子どもメッセージ

 先週は、イエスさまが愛する弟子たちと「最後の晩餐」を囲んだお話をしました。その後イエスさまは捕らえられ・・この時点で弟子たちはイエスさまを見捨てて逃げてしまいました。捕らえられたイエスさまは拷問を受け、ボコボコにされました・・そして、弱り果てたイエスさまは裁判にかけられました。裁判にかけられた時には、その裁判を仕切っていた人は、イエスさまの取り調べをしました。いろいろ探りましたが、死刑にあたるような犯罪は見つかりませんでした。むしろ、何も悪いことをしていないことに気づきました。その裁判には、大勢の人たちが居合わせていました。裁判を仕切っていた人は、目の前の人々に三回確認しました、「この人は何も悪いことをしていない・・本当に死刑にしたいのか?」と。三回とも人々は大声でさけびました「十字架で死刑にしろ!十字架で死刑にしろ!」と。その日、十字架で死刑にされる予定であった犯罪者が三人いました。その三人は、国に対する反逆罪で逮捕され、殺人も犯していました。そのリーダーであったバラバという人の代わりに、イエスさまは十字架で死刑にされることになりました。

 死刑になる人は、裁判が行われた場所から、死刑にされる場所まで、約1キロの距離を・・自分で十字架の横板を担がなくてはなりません。でも既にこの時点のイエスさまは、長時間の拷問を受け、身体も心もボロボロでした。骨も複数個所折れていたことでしょう。40-50キロの重さがあったであろう板を担ぐことはできませんでした。歩き出したもののすぐにへたってしまいました。死刑を執行することを任されていた兵隊たちは、通りがかりのシモンという人に、イエスさまの十字架の板を担ぐように命じました。

イエスさまは立つことすらままならなかったことでしょう・・足を引きずり、兵士たちに突っつかれながら、死刑にされる所に進みました。イエスさまの後ろには、イエスさまの十字架を担ぐシモン・・そして、嘆き喚く大勢の女性たちがいました。彼女たちは涙を流していましたが、イエスさまが苦しんでいること・・死刑になることを悲しんでいたわけではありません。彼女たちは、イエスさまを死刑に追いやった人たちに雇われて人たちでした。イエスさまをバカにするため・・ののしるために雇われた人たちでした。彼女たちの涙は、嘘っぱちの涙だったのです。イエスさまは彼女たちの方を振り向いて、悲しみながら見つめました(まるでペテロの方を振り向いたように)。彼女たちを雇った人たち・・イエスさまを殺すことで団結した人々のことを思ってこのように語りかけました、「あなたたちも、あなたたちを雇った人たちも、私を殺している(31節の「生木」はイエスさまのこと)・・私を殺すという悪いことをしている・・私をバカにするために泣いているが、自分のために泣きなさい。・・いずれエルサレムは崩れる。自分のために泣きなさい。」と。これは優しい言葉ではありませんでした。「自分たちが犯している間違いに気づかないのか?」・・という厳しい問いかけでありました。

イエスさまは丘の上で十字架にかけられました。イエスさまの右と左に、文字通りの犯罪者も十字架にかけられました。「悪いことをすると、こうなるんだぞ」という見せしめのために、多くの人々の前で十字架にかけられました。犯罪人として十字架にかけられたイエスさまでしたが、イエスさまは何か悪いことをしたのでしょうか? 十字架にかけられたイエスさまは、体中が傷だらけで苦しみながらも、繰り返し祈り続けました。「お父さん(アッバ)、この人たちをゆるしてください。何をしているのか、分かっていないのです。・・おゆるしください・・彼ら・彼女らは分かっていないのですから・・おゆるしください・・おゆるしください。」と繰り返し祈りました(34節の「言われた」を厳密に訳すと「言い続けていた」となります)。

イエスさまはこのように祈っている間、周りの人たちはイエスさまのことをののしり続けました。少し遠いところに立っていたお偉いさんたち(35節:役人)は、大勢の人たちに向かって、嘲笑いながら・・イエスさまに指を指しながらこのように投げかけました、「確かにあいつは人々を救った・・けれども、もし本当に神さまが選ばれた救い主なのであれば、自分を救えばいいだろう・・ほら見ろ、何もできないじゃないか・・」。イエスさまの十字架のそばに立っていた兵士たちは、イエスさまに直接侮辱の言葉を投げつけました、「お前がユダヤ人の王さまなら、自分を救ってみるがいい・・」と。イエスさまは、このように嘲笑われ、侮辱を受けている間も祈り続けていました・・「彼ら・彼女らをおゆるしください」と。

イエスさまは、誰のことを思って、神さまの赦しを祈り求めたのでしょうか?イエスさまをバカにし、嘲笑う目の前の人たち・・イエスさまご自身が厳しい言葉を向けられた、嘘っぱちの涙を流す女性たち・・イエスさまを殴り、けり、鞭で打った人たち・・イエスさまの裁判の場面で「十字架にかけろ!十字架にかけろ!」と叫んだ人たち・・イエスさまを置き去りにし、一番支えを必要とする時に見捨てて、裏切った一人ひとりのお弟子さんたち。一人ひとりのことを思って、祈られたのです・・「おゆるしください」と。そして、私たちもイエスさまのこの祈りに入れられているのです。「彼ら・彼女らは何をしているのかを分かっていない・・天のお父さん、一人ひとりをゆるしてください」と。残された力を振り絞って、何も悪いことをしていない、十字架にかけられたイエスさまが祈られたのです。赦されるはずがない私も・・私たちも、この祈りに入れられているのです。

 

イエスさまの祈りは不可能なほど突出している

私は30歳手前で、ある犯罪事件に巻き込まれました。単身の国外出張先で起こったことです。街中で拉致され、2時間ほど車に監禁されてしまったのです。車の後部座席の真ん中に座らせられ、大柄の四人に囲まれながらも、なぜか抵抗してしまいました。冷静に考えれば、無意味な行動でした。私が暴れるだけ、その分の暴力を受けるだけなのです。今考えれば、命が助かったことは奇跡のようなことです。

それなりの時間拘束されていましたので、力業で逃げられないのであれば、今度は言葉で・・話術で、何とかそこから逃げ出せないだろうかということを試みました。あの手、この手を使いました・・けれども、案の定相手にされませんでした。そして、気づいたらこのように彼らに語っていました「あなたたちをゆるします・・あなたたちをゆるします」と。かっこよく聞こえるかもしれませんが、これは芯のない空っぽな言葉でした。ただ、ただそこから逃げたかっただけなのです。私の右に座っていた人は、多少反応を示しましたが、私がゆるしを語ったから、解放されたわけではありませんでした。

結局は、多少身体に傷は負いましたが、奇跡的に命の危険に及ぶほどの傷は負わず解放されました。けれども、精神的なダメージはかなりのものでした。事件直後は特に、自分でさえ驚くほどの憎悪に駆られていました。怒りを抱え続けることが苦しくないのであれば問題はないのでしょう。しかしながら、怒りを抱え続けなくてはいけないこと・・いつまでも抱え続けなくてはいけないこと自体にどこか息苦しさを感じます。憎しみを手放したいのですが、加害者に対する何等かの裁きなくしては・・なかなかそのようなことはできないのかもしれません。

私はあの事件に巻き込まれて以来、この場面を繰り返し読んできました。読んできたというよりは、繰り返し引き戻されてしまうのです。なぜ、自らを死に追いやる人たちの赦しを祈れたのだろうか・・イエスさまの尊い命が代価となった愛の言葉としてなぜ祈れたのだろうか・・このように繰り返し考えされる場面です。なぜなら、私にはゆるすことができないからです。あの事件に巻き込まれ、それを痛いほど、知らされています。みなさんはどうでしょう?自分に対してでさえ、ゆるせないこともあるのではないでしょうか?イエスさまの十字架の祈りはどれだけ突出したことであるか・・罪人であるわたしにも及ぶこの赦し・・全ての人に及ぶこの赦しは、どれだけ突出した不可能なことか、今回も思い知らされています。

 

イエスさまの赦しの祈りに支えられた裁き

 今日は、26節から43節まで読んでいます。本来でしたら三つに分けて、じっくり味わってもいい箇所だと思います。でもあえて26節から読むことで見えてくることがあります。子どもメッセージでも触れましたが、イエスさまは、雇われた、嘆き喚く女性たちに対して、厳しい言葉を投げかけました。エルサレムはやがて、焼かれてしまうという・・裁きの言葉です(28-31節)。

 この意味で、十字架へ向かう途中のイエスさまは、わたしたちの罪を裁きます。しかしそれと同時に、イエスさまは涙ながら赦してもいます。雇われた女性たちも、イエスさまの十字架上の赦しの祈りに入れられているからです。

この裁きが、赦しの祈りと一対であることは大事な点だと思います。ある牧師は赦しと裁きについてこのように言いました。

裁きの無い赦しは安っぽい恵みです。それは人を永遠のぬるま湯に浸からせ魂を殺します。赦しの無い裁きは上から目線の断罪です。それは人を地獄の火で焼かせ生きながらにしてその人の魂を殺します。

本当にそうだと思います。赦しと裁きが一対でなければ、本当の意味で神さまとの関係・・人と人との関係の回復はないのでしょう。私が巻き込まれた事件で言えば、加害者たちは、自らの罪と向き合わなくてはいけません。同じように、私も自らの罪に向き合わなくてはいけません。犯罪とまでいかなくても、私も人に痛みを負わせているのです。罪と向き合うこと・・言うのは簡単でしょうが、なかなかできることではないと思います。とてつもなく怖いからです。自らの悲惨さ・・どうしようもなさを知らされるからです。でも、自らの悲惨さを受け入れていくとき、そこで出会わされるのは底知れない暗闇ではありません。神さまの無限の憐み・・どんな闇も包み込む赦しなのです。どうしようもない私でも愛され赦されるんだという、不可能なほど突出した恵みです。「もう一度、神さまの前で一緒に歩んでみよう」というイエスさまの言葉・・私たちを立ち上がらせる希望のみ言葉に出会わされるのです。

 

十字架という分岐点

 イエスさまの赦しの祈りは受け入れやすいものではないのでしょう。無限の赦しを受け取るか・・それを拒否するか・・十字架はこのような分岐点なのです。イエスさまの横の死刑囚たちの対照的な反応がそれを物語っています。

一人の死刑囚は、しつこいほど繰り返されるイエスさまの祈りに対して余計に苛立ちます。「自らの十字架でさえ担げない弱いヤツ・・侮辱する人たちに何も言い返せない弱い人が、なぜ神の赦しを祈るんだ」と思ったのでしょう。イエスさまに罵倒をなげつけます「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と。彼は弱い立場に置かれながらも、より弱いイエスさまを叩きます。憎しみをイエスさまにぶつけます。それでも、イエスさまは彼への赦しを求める祈りを続けました。

この祈りが、もう一人の死刑囚に影響を与えました。嘘っぱちの裁判で冤罪を被っても、侮辱されても、殺される直前まで、神さまの無条件の愛を貫いて生きているイエスさまの姿に心打たれたのです。憎しみ続けない・より弱い者を叩かないイエスさまこそがキリストだと気づいたのです。憎しみの連鎖から救われて、憎しみを捨てたいと彼は願いました。「主よ、憐れんでください。天に帰る時にわたしのことを思い出してください。」と願いました。イエスさまは答えます、「あぁそうとも。もう一度、神さまの前で一緒に歩んでみよう。あなたは今日、わたしと一緒にいる。神さまの前で・・パラダイスで一緒にいる」。

十字架の分岐点で・・その無条件の赦しを受け入れるかどうかを選ばなくてはいけません。私たちが悔い改める前から赦しているイエスさまを、自分の救い主と受け入れる時に悔い改めることができます。罪赦された罪人になることができます。この救いは、人生の荒波に耐える力を与えます。自分の弱さや悲惨さを覚える時、壁が立ちはだかる時にも、揺るぎない赦しを地盤にいただいているからです。あなたはどうしますか?と十字架のイエスさまは私たちに問いかけてくるのです。

 

(牧師・西本詩生)