『 忘れられないあの最後の晩餐 』

  ルカによる福音書23:46

ルカによる福音書22:14~23

2023年3月26日(日)

 

子どもメッセージ

 「特別な食事」と聞いたら、どんな光景が浮かびますか?おそらく、それは楽しいひと時です。「誕生日祝いの食事」、「卒業・・入学おめでとうの食事」、「普段合わないバーバ・ジージとの食事」、「どっか遠くに引っ越しをするから、『また会おうね』の食事」・・いろんな「特別な食事」がありますね。そこにはどんな人たちがいますか?大切な人たちと囲む食事だと思います。

今日はイエスさまと弟子たちが囲んだ特別な食事の場面です。なぜ特別であるかというと、イエスさまと弟子たちが一緒にした最後の食事となったからです。ある意味で「お別れの食事」と言っていいと思います。最後の晩餐と呼ばれるものです。イエスさまにとって、弟子たちは大切な人たちでした。また、弟子たちにとって、イエスさまは大切な人でした。それまでイエスさまと弟子たちはいろんな経験を共にしてきました。楽しいこと・・辛いこと・・嬉しいこと・・悲しいこと・・全部一緒に経験してきました。イエスさまと一緒にいると、毎日毎日が驚きと感動の日であり、つまらない日はなかったと思います。でも、今日の場面で、一緒に過ごす時が終わるのです。しかも、イエスさまはこの食事の後に何が起こるか・・全部見通していました。

この食事の後に何が起こったのでしょうか。短く言えば、イエスさまは十字架で殺されてしまったのです。でも、十字架に至るまでにもいくつかのことが起こりました。今日の食事の後、イエスさまは、裁判にかけられてしまいます。イエスさまと出会ったほとんどの人は感謝でいっぱいで・・イエスさまは何も悪いことをしていなかったのですが、死刑判決が下されることになりました。この裁判にかけられるきっかけを作ったのは、「最後の晩餐」にいたある弟子でした。イエスさまが言う「救い」と、そのお弟子さんが期待していた「救い」があまりにも違って、イエスさまに対してがっかりしたのか・・イエスさまを捉えたい人たちにイエスさまの居場所を伝え、その情報の代価としてお金をもらったのです。イエスさまが愛し、信頼していた弟子でしたが、その愛と信頼を裏切ってしまったのです。イエスさまは最後の晩餐の食事をしていた時に、その弟子が、自分の居場所の情報を横流しすることを知っていました。その弟子が成すことによって裁判にかけられ、殺されることを見通していました。それでもその愛する弟子と一緒に食事をし続けたのです。

他の弟子は、この「最後の晩餐」の後どうしたんでしょうか。イエスさまの十字架まで付き添ったのでしょうか?イエスさまが一番支えを必要とする場面で、一緒にいたのでしょうか?イエスさまの十字架を代わりに担いだのでしょうか?残念ながら最後の晩餐を囲んだ弟子たちは、誰一人イエスさまと一緒にいることはありませんでした。裁判のために、イエスさまが捉えられた時、みんな・・誰一人残らず・・みんなイエスさまを見捨てて、逃げてしまったのです。踏みとどまる人は誰もいませんでした。見事にイエスさまは独りぼっちにされたのです。あえて言えば・・弟子の一人だけ、イエスさまが裁判にかけられるところまで、恐る恐るついていった人がいました。でも、そこにいた何人かにイエスさまの仲間であることが疑われ、「あんなヤツ知るもんか」と言い張り、自分とイエスさまとの関係を、逆切れするほど否定しました。結局はその彼も、イエスさまの信頼に答えることはできませんでした。

イエスさまは今まで、弟子たちを愛し、信頼し、彼らを一時も見捨てることはありませんでした。しかしながら、一番肝心な時に弟子たちはイエスさまを置き去りにしたのです。イエスさまはこの最後の晩餐の席に着いたときに、何も知らなかったわけではありません。弟子たちに見捨てられること・・これからものすごく苦しめられながら殺されることを、全部知っていたのです。

皆さんは「特別な食事」を大切な人たちとするとき、その食事を思いっきり楽しむと思います。でも、その食事の席に着いている大切な人たち・・目の前にいる一人ひとりに、見捨てられ、置き去りにされ、裏切られると知っていたら、落ち着いて食事をできるでしょうか。いくらいい思い出を一緒にしてきた大切な人であっても、僕だったら、その食事の席に着くことはできないと思います。顔を見ることすらしんどいと思います。今日の食卓は、イエスさまにとって、まさにそのような食事であったのです・・自分を見捨てる人たちとの食事でした。でもイエスさまは、このようにおっしゃったのです「わたしは苦しみを受ける前に、あなたたたちとこの食事をしようと、強く望んでいた。」と(15節)。見捨てられ、それによって心が割かれるような苦しみを負うことになることを分かっていても、大切なあなたたちであるから・・愛するあなたたちであるから食事をしよう・・この最後の晩餐を喜ぼう・・とイエスさまはおっしゃったのです。あなたたちに何をされたとしても・・たとえそれが私の苦しみと死につながることであったとしても、あなたたちは、私にとって大切なんだ・・愛する友なんだ・・と。このイエスさまの姿に神さまの無条件の愛があります。いくら傷つけられても、注ぐ愛と信頼に対して何度裏切られても、私はあなたを愛しぬく・・絶対に・・神さまの底尽きない無条件の愛の姿です。

今日この場面で問われていることがあるのではないでしょうか。ここまでは・・ある意味で、昔の人たちのこと・・他の人のこととして聞こえていたかもしれません。でも、本当にそうなのでしょうか。もしも、私が・・あなたがその弟子であったら、どうしていただろう・・このことを一緒に考えてみませんか。「僕だったら最後までイエスさまについていったはずだ・・僕だったら、イエスさまの信頼を裏切らなかった」と言えるでしょうか。僕は真っ先に逃げていたと思います。イエスさまの裁判のところまで行く勇気すらなかったと思います。「イエスさまの地味な愛の活動になんの意味があるのだろうか」というがっかり感を抱え、最後にはイエスさまを裁判に引き渡したあの弟子も、もしかしたら僕であったかもしれない。いや、きっとそうだったろう・・そう思わされるのです。

だからこそ、今日のイエスさまの言葉が染みるのです。見捨てられると知っていたイエスさまはこう言います。「わたしは苦しみを受ける前に、あなたたちとこの食事をしようと、強く望んだ」(15節)。イエスさまを裏切り、見捨てて、置き去りにするこの僕ですが、なおもイエスさまは、最愛の仲間として、食卓に招いてくださるのです。

 

「あなたもユダなのでは?」~ユダのために割かれた身体、流された血潮

 今日の箇所を読み解くための鍵はイスカリオテのユダにあると言っていいと思います。3節では「サタンが(彼に)はいった」とあり、彼は「裏切り者ユダ」と呼ばれます。多くの美術作品では、悪事をなす代表的存在として描かれます。確かに、このユダという人物は、イエスさまの愛と信頼を文字通り裏切りました・・決定的な罪を犯しました。でもそれを強調するのであれば・・「裏切ったのは彼だけであったのか」と問わなくてはいけません。今日の主の食卓の席に着いた使徒たちの中で「私はイエスさまの愛と信頼を裏切らなかった・・イエスさまが十字架にかけられることに関して全く落ち度がなかった」と言えた人はいたのでしょうか。そして、この考えの延長戦には「私はどうなのだ」・・「あなたはどうなのだ」と問われるのです。

 この数か月ルカによる福音書から、イエスさまの良い知らせを聴いてきました。ルカによる福音書だから見えてくる「最後の晩餐」の大事な点がいくつかあります。最も大事な点は、イスカリオテのユダも、主の晩餐の制定・・主の愛と赦しに与ったことが明らかであることです。他の福音書でははっきりとされていませんが、ルカでは、明白なのです。誰一人漏れることなく・・あのユダも最初から最後まで、主の晩餐に与ったのです。もうすでにこの時点で、ユダもイエスさまの赦しに入れられていたのです。

ルカによる福音書には続編があります。使徒行伝がそれです。そこには、十字架後のユダが紹介されています。ユダはエルサレムに土地を購入しましたが、そこで内臓破裂で死んだことが報じられています。マタイ福音書では、ユダの死は自死として記されていますが、ルカはそのことについて何も言いません。むしろ、何らかの転落事故死として読めます(使徒行伝1:18)。仮にユダの事故死が「あの出来事は神の裁きではなかったか」と、うわさがあったとしても、イエスさまの十字架はユダの死に先立ってユダに対する裁きの代わりの死・・赦しの死であることを、今日の食卓の場面を通して伝わってきます。

21節も非常に問われるものがあります。イエスさまは「わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている」と予告します。それが誰であるかを特定しません。誰もがユダになりうるということではないでしょうか。すべての同席者が、手を食卓に置いているわけですから。「あなたもユダなのでは?」と問いかけてくるのです。「西本、あなたもユダなのでは?」・・と。

 イエスさまはユダを含めた十二人の使徒に向かって、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだ」「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約」と言っています。ユダのためにも、あるいはユダのためにこそ、イエス・キリストは十字架で虐殺された・・ユダのために体は裂かれ、ユダのために血が流されたのです。それ故に、ユダとイエスさまは一つの杯を回し飲みする新しい契約関係に入ったのです。あなたは私を見捨てるかもしれないが、私(イエス)はあなたを見捨てないという契約関係です。

 確かにイエスさまは、「人の子を裏切る(引き渡す)その人は、わざわいである」(22節)と言って、ユダの罪を裁いています。呪いの言葉を投げつけている強い表現です。イエスさまは罪をそのまま見過ごしにはしません。罪を指摘し、ユダに審判を下しています。 しかし、その裁きよりも先に救いのパンと杯を与えて、ユダの引渡しの罪・・人の命を軽んじる罪を赦しています。十字架は、罪を見過ごしにして、黙認するという救いではありません。被害が無かったことにすること・・悪事を忘れることは、十字架と似ていると思われがちですが、全く違います。十字架は私たちの罪を教え指摘します。人の命を売り飛ばすことは裁かれるべき罪なのだと教えます。同時に十字架は、ユダの代わりに、ユダの罪を肩代わりして徹底的に赦す・・救いのみ業です。何も悪いことをしていない・・むしろ神の愛を最後まで全うしたイエス・キリストが裁かれることで・・呪われることで赦しが起こるのです。

 十字架にはりつけにされた神さまは、ユダがした「富を神とした罪」を裁きつつ、しかし同時にユダを無条件に赦しています。イエスさまはユダと食卓を共にします。罪を犯す前のユダ(私・あなた)・・罪を犯しつつあるユダ(私・あなた)に向かって、「友よ、受けよ。十字架で割かれる私の身体、十字架で流される私の血潮・・命のパンと杯を受けよ」と無条件に差し出します。これが主の食卓の恵みです。

イエス・キリストの贖罪による赦しとは、最も高価な代価が支払われた故に生じた赦しです。イエスさまという代価です。十字架の主イエスの前に立つ時、イエスさまを通して私たちの罪が裁かれます・・と同時に、無限の赦しに出会います。赦されるはずがないものが、赦されるのです。ユダに渡されたように、イエスさまは私たちにも命のパンと杯を差し出します。私たちがどれだけ不誠実であっても、どれだけイエスさまを傷つけたとしても、イエスさまは誠実であり続け、自らの身体と血を私たちに差し出し続けます。私たちが生きるためにです。この愛を信じて、命を受け取って、思い切って自由に生きようではありませんか。

 

(牧師・西本詩生) 


『 神さまは頭の大事な石としたけど、

人には捨てられた石 』   

ペテロの第一の手紙2:4~5 

ルカによる福音書20:9~18

2023年3月19日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

  ある人が、ぶどう園を造ることにしました。みんなが、ぶどう園を造るとしたら、どんなぶどう園を造ろうとすると思いますか?ぼくなら、できるだけ良いぶどう園を造りたいと思います。でも、ぼくはぶどうなんか育てたことがないし、あったとしても一人で作業したところでたいしたぶどう園を造れないだろうから、詳しい人たちに手伝ってもらって、おいしいぶどうがたくさん実るぶどう園を造ろうとすると思うんです。このぶどう園の主人も、そう思ったみたいです。ぶどう畑のことを良く知っている優秀な農夫たちを雇ってきて、一緒に手伝ってもらいました。長い時間をかけて、土を起こし、肥料を混ぜ、土を熟させ、その土に苗を植え、支柱を立てて棚を作り、ぶどうの木が伸びていくことができるようにお世話をし・・・。そうして、ようやく出来上がった大切なぶどう畑です。何もなかったところから、みんなで汗を流して、心を込めて作ったぶどう畑です。主人は、強盗や獣が来て畑を荒らすことのないように、畑の周りには垣根を巡らし、見張りのやぐらも建てました。また、実ったぶどうで、おいしいぶどう酒を造ることができるように、ぶどうを搾るための搾り場も造りました。とうとうぶどう園が完成しました。ただ、主人は、ぶどう園を造ることだけが仕事ではなく、他にもやるべきことがあります。「もうこのぶどう園は、大丈夫だ。あなたたちに任せた。よろしく頼んだぞ」って、一緒にぶどう園を造り上げた農夫たちに、そのぶどう園の世話を託して、主人は旅に出かけました。でも、旅をしながらも・・・、遠く離れていても・・・、主人はいつもこのぶどう園のこと、そして農夫たちのことを忘れることはありませんでした。

 さて、そろそろぶどうの収穫を迎える時期がやって来ました。その時も、主人は、ぶどう園からは遠く離れた所にいたので、自分の分のぶどうを受け取るために、しもべの一人をぶどう園に送ったんです。そのしもべに、農夫たちは言いました。「ああ、これはこれは、ご主人さまのお遣いの方ですか。遠くからようこそおいでくださいました。ご主人さまの分のぶどうは、こちらにちゃ~んと取り置いてありますよ。おかげさまで、おいしいぶどうをたくさん収穫することができました。きっとご主人さまも、喜んでくださるにちがいない!さあ、ご主人さまのもとへ、どうぞ早く持って帰ってください!」残念ながら、そうは言わなかったんです。言わなかったどころか、農夫たちは、その主人のしもべを、ボコボコに袋叩きにして、何も持たせずに送り返してしまったんです。主人は、びっくりしました。「いやいや、これはきっと何かの間違いだ・・・。しもべは、途中で追いはぎに襲われたに違いない。まさか、あの農夫たちが、わたしのしもべにこんなひどい仕打ちをするわけがない・・・」。それで、主人はもうひとり別のしもべを、ぶどう園に送ったんです。そしたら、今度は、農夫たち、そのしもべをボコボコに袋叩きにするだけでなく、「お前なんかにやるぶどうはねえ!」と侮辱して、また何にも持たせずに送り返したんです。それで、この主人、またもうひとり別のしもべを、ぶどう園に送るんです。やめとけばいいのに、こりない主人です。でも、それだけ農夫たちのことを、疑いたくなかったってことかもしれません。だって、この農夫たち、主人が自分で探して選んだわけだし、一緒に汗を流して畑を造り上げたんだから、主人は農夫たちのことを大切に思っていて、農夫たちが困ることがないように、必要な物を十分に与えてから、旅に出てきたんです・・・。そんな農夫たちに裏切られたなんて、信じたくなかった・・・。だけど、残念ながら、農夫たちは、この三番目に送られてきたしもべも、袋叩きにして、もう主人の所に帰ることもできないほどに傷つけて、外に捨ててしまったんです。さあ、さすがに主人もカンカンに怒ったでしょう。・・・いや、違ったんです。主人は、まだ、こんなことを言うんです。「さあ、困ってしまった、どうしたものか・・・。そうだ、わたしの愛する息子を、ぶどう園に行かせよう。そうすれば、農夫たちだって、大事に扱ってくれるに違いない」。どうしようもないお人よしです。だけど、残念ながら、農夫たちは、この主人の息子のことも、大事になんか扱いませんでした。主人の息子がやって来たのを見た農夫たちは、言ったんです。「見ろ、主人はとうとう自分の息子を送ってきたぞ!こいつは、しめたもんだ!跡取りであるこの息子を殺してしまえば、財産は全部おれたちの物になるじゃないか!」そうして、息子を外に追い出して、そこで本当に殺してしまったんです。みんなは、この農夫たちのことを、どう思いますか?ひどすぎます。滅ぼされたって、仕方がありません。

 さて、このたとえ話を話したのはイエスさまだったんだけど、殺された主人の息子っていうのは、だれのことだと思いますか?そう、イエスさまは、自分のことを言っていたんです。わたしは、そうやって、外に投げ捨てられて、そこで殺されることになるんだって。そして、イエスさまが話していたその場所には、実際にイエスさまのことを殺してやろうって考えていた律法学者や祭司長たちがいたんです。だから、ぼくはこの話を読んで、「ああ、やっぱりこの律法学者や祭司長たちは、この農夫たちみたいにひどい連中だったんだなあ」って思いました。でも、本当にその人たちだけが、ひどい人たちだったんだろうか?主人の息子がイエスさまだとしたら、イエスさまが送られたぶどう園って、どこのことだろう?ぶどう園はエルサレムの町のことで、イエスさまはその町で、イスラエルの人たちに外に投げ捨てられて、十字架にかけられたんだって捉えることもできます。ただ、そうだとしたら、「イスラエルの人たちって、こんなにひどい人たちだったんだ・・・」って、またぼくは、自分とは関係のないこととして、それを見ているだけの人になります。でも、イエスさまって、イスラエルの人たちのためだけに送られてきたんじゃないよね。すべての人々を救うために、イエスさまはこの世に送られたんだって、聖書には書いてあります。そうだとしたら、イエスさまの送られたぶどう園は、ぼくらが住むこの世界のことだってことにもならないだろうか?そして、そうなると、そこからイエスさまを追い出して、ボコボコに袋叩きにして、殺してしまったのは、このぼく自身だってことです。そう、「それは、あなたのことだ」って、イエスさまは言われたんです。「ああ、あの人たちはひどい連中だねえ」って言いながら、自分には関係のないこととして見ている・・・、いや、「あんな悪い連中は滅ぼしてしまえ!」って叫んでいる・・・、「そのあなたが、わたしを外に引きずり出して十字架にかけたんだ」って、イエスさまは言っておられるんです。ぼくは、このたとえ話を聞いて、「こんなひどい人たちは滅ぼされたって仕方ない」って、さっき言いました。その自分の言った言葉が、ブーメランのように、自分に返ってくるんです。まさに神さまに滅ぼされてしまったって、何も言えない自分なんです。そのことを、ぼくらは、しっかり受け止めないといけないんです。だけど、神さまは世界を滅ぼすことはされませんでした。滅ぼすどころか、イエスさまの十字架の死によって、その滅ぼされても仕方のないこのぼくを・・・、みんなを・・・、すべての人々を・・・、赦し、自分のぶどう園で、「このわたしの働きを担いなさい」って、語りかけてくれているんです。

 

◆ 繰り返しイエスさまを追い出し、いなかったものとしてしまっている自分自身

 考えてみたら、4月からひかり幼稚園の園長を兼任するに当たって、専任の牧師としてこの教会で説教をするのは、今日が最後です。まあ、別にいなくなるわけではないので、何か特別なことがあるわけでもないのですが・・・。でも、特別なことがあるわけでもないからこそ、「自分の中でちゃんとけじめをつけないといけない」と思いました。これからは、これまでと同じようにはできなくなるしょうし、同じようにしないようにしなくてはならないのだと思います。そうでないと、何も変わってはいけないからです。ただ、変わらないのは、これまでも・・・、そして、これからも・・・、ぼくは、ただただ神さまの与えてくださる働きに仕え続けていくのだということです。でも、時々、それをまるで自分がなした働きのように思ってしまったり、自分の手柄にしようとしてしまったりするのです。また、「こんなに頑張っているのに、報われない」とうなだれたり・・・、「これだけ努力しても認めてもらえない」と不平をもらしたりもします。いや、時々ではありません。いつもそうです。その度に、ぼくは、主人である神さまが送られた息子であるイエスさまを、ぶどう園の外に追い出して、いなかったものとしてしまっているのだと、今日の聖書の箇所から教えられました。ぼくが置いてもらっているのは、主人である神さまのぶどう園であり、その収穫はすべて主人である神さまの物であるはずなのに、それをまるでわが物のように扱い、そうするために、送られてきた息子であるイエスさまを、繰り返し外に放り出し、十字架につけてしまっている・・・。そのことを、今日の聖書の箇所を通して、省みさせられています。

 

◆ ささげればささげるほどに、自分の物と思い込んでしまった

 ぶどう園の農夫たちは、どうして、主人の息子を追い出し、殺してしまったのでしょうか。もともと、主人のことを憎んでいたのでしょうか。恨みを抱いていたのでしょうか。いや、そんなはずはありません。主人は、自分たちのことを、信頼できる、腕のある農夫だと見込んで選んでくれたのです。そして、一緒に汗を流し、土を耕し、ぶどう園を造りました。ですから、むしろ、彼らは、この主人のことを恩人であり、仲間であると慕っていたはずなんです。でも、その主人から、ぶどう園を託され、そのぶどう園を自分たちの手で育て、守っているうちに、自然と彼らは、それがまるで自分たちの物であると思い込むようになってしまっていったんでしょう。彼らが、そのように思い込んでいってしまうだけの時間の経過もあったんです。きっと、畑を作ったからといって、すぐその年からぶどうがどんどん収穫できるようにはならなかったはずだからです。収穫と呼べるほどのぶどうがなるまでには、2~3年はかかったんじゃないでしょうか。その間、彼らは、厳しい日照りの中で、汗水流しながらぶどうの木を育てました。強盗や獣の襲来から、このぶどう園を命がけで守りました。最初は「主人のために」と思っていたものも、力も時間もささげればささげるほどに、主人に選んでもらい、主人に与えてもらっていることを忘れて、それらを自分の物だと思い込み、「それなりの報酬を受けて当然だ」と思うようになっていったんじゃないでしょうか。まるで、あの「放蕩息子のたとえ」に出てくる兄息子のようです。父の財産で放蕩に身を持ち崩した末に、ホイホイと帰ってきた弟息子を抱き寄せて迎え、宴会まで開いてやった父に、「ぼくは何年もの間、文句も言わずにお父さんに仕えてきたのに、小山羊一匹もくれないじゃないか」と、彼は噛みつきました。その時、父はこの兄息子に言ったのです。「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ」と。農夫たちだって、きっとそうでした。農園の物は、まさに彼らの物でした。収穫がなくても、彼らはそこで飲み食いし、日々の生活に困ることなく、生きていくことができました。主人の財産によって、養ってもらいながらです。それでも、彼らは自分のやっていること、努力への報いを求めたのです。そして、主人のぶどう園から、主人の息子までをも追い出し、抹殺してしまったのです。

 

◆ 石を投げ捨てているのは、このわたしです

 でも、この農夫たちのことを、ぼくは他人事とは捉えることはできません。まさに、そこに自分の姿を見るのです。イエスさまがかけられた不当な裁判の席で、「イエスを十字架にかけろ!」と叫んだあの群衆のただ中に、まさに自分の姿を見るのです。そして、十字架にかけられたイエスさまに向かって「他の人は救えても、自分を救えないのか」と嘲笑った群衆のただ中に、まさに自分の姿を見るのです。ぼくは、イエスさまを不要な石だと捨て続けているのです。この教会は、どうでしょうか。イエスさまを、外に投げ捨ててしまってはいないでしょうか。いなかったものとして、抹殺してしまってはいないでしょうか。しかし、神さまは、ぼくら人間が「不要だ」、「いない方がいい」と捨ててしまう、十字架のキリストこそを、建物を建てる上で最も重要な石として据えられるのです。教会は、人々に捨てられ続ける十字架のイエスさまこそが、頭に据えられた群れなのです。「神さま、どうぞおゆるしください」と祈ります。

 

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 “取るに足らない”ロバが必要なんです 』

  ルカによる福音書2:14

ルカによる福音書19:28~40

2023年3月12日(日)

 

子どもメッセージ

  聖書にはいろんな動物が登場します。どんな動物が思いつきますか?羊・・蛇・・ロバ・・鳩。それぞれの動物が登場することで聖書のお話が色鮮やかにされています。けれどもその中でも、ロバは特に目立っていると僕は思います。もしロバさんたちと一緒に聖書を読むとすれば、少し胸をはりながらこう言うでしょう「うちらロバは聖書の中で特別な役割を与えられているんじゃ・・知っていたかい?」と。なぜなら・・今日のお話のことですが・・あるロバさんは、あの・・あのイエスさまを乗せながら、人々の注目を浴びたからです。イエスさまを乗せたあのロバがいなかれば、今日のお話はなりたたなかったと言えるぐらい、そのロバさんには大役が任されたのです。

 どういうお話であるかというと、イエスさまとイエスさまの周りにいた大勢の人たちが、エルサレムに近づいていた時のことでした。この時のイエスさまにとって、エルサレムに行くことは嬉しいことではなく、大変悩ましい・・悲しいことでした。エルサレムで捕まえられ、ものすごい苦しみを受けることをイエスさまは知っていたからです。でも、同時に、その苦しみを受けることで、みんなが生きる元気をもらえるという救いが起こることも知っていました。イエスさまは人々の救い主としてエルサレムに臨んだのです。

今日の場面に至るまで、イエスさまはどんな人と出会ってきたのでしょう。病気で苦しんでいた人、毎日毎日悩みに悩みを重ねていた人、寂しい思いをしてため息が止まらない人たちとも出会いました。でもそのような出会いの中で、あるメッセージが共有されました。「しんどかったろう・・つらかったろう・・でも大丈夫だよ。神さまが一緒にいるから。神さまの子どもとして一緒に生きてみないか?」と語りかけました。そして、一人ひとりがイエスさまと接する中で、生きる元気を抱くようになりました。そんなイエスさまでしたので、「もしかしたらイエスさまが新しい王さまになるのでは?」という周囲の注目が集まるようになりました。確かに、イエスさまはみんなを救うために、エルサレムに向かっていましたので、「イエスさまが王さまになるのでは?」という周囲の期待は、全くの間違いではありませんでした。けれども、イエスさまが抱いていた救い主の姿と、周りからの期待の王さまの姿とで、ものすごい大きな違いがありました。ある意味で、この違いをしっかり表すために、今日のロバが登場するのです。

当時、宮殿に住んでいた王さまが町に出入りするとしたら、大がかりなことでした。家来たちによってラッパが鳴らされ、戦争にも行けるような、ムキムキな大きな馬に乗り・・自分の力を人々に見せつけるように王さまは移動したのです。

そのような王さまの姿とは違い、イエスさまはあえてロバに乗り、エルサレムに入りました。大きめのロバではなく、小さい子どものロバをあえて選んだのです。皆さんはロバを近くで見たことはありますか?かわいらしい動物だと思いますが、決して“美しい”と言えるわけではないと思います。逞しさを感じますが・・どこか地味というか・・足が速いわけでもなく、鳴き声も大変独特で、“取るに足らない”動物だと言えるでしょう。けれども、当時の人たちにとって、ロバは身近な動物でした。イエスさまは身近なロバをあえて選んだのです。人々の共に笑い、共に涙を流す身近な救い主だからです。

イエスさまは“取るに足らない”ロバを必要としました。この選びに僕はホッとします。この子ロバと親近感が沸くからです。僕は足が速いわけでもなく・・大きい声で歌えますが・・音程は・・どうでしょう?・・ロバのことを“取るに足らない”と決めつけていますが、僕のほうが“取るに足らない”のです。でも、イエスさまは、ロバをあえて探し求めて必要としたのです。“取るに足らない”ながらも、わたしたちの良さを引き出してくださるのです。“取るに足らない”ロバを必要とするイエスさま・・一人ひとりが、イエスさまに必要とされていることを物語っていると僕は思うのです。

 

「ありがとう」と言われたい

私は札幌教会に赴任する前の4年間、福岡の西南学院大学で牧師のための準備として神学の学びを重ねました。西南大学は一般私立大学ですが、「西南よ キリストに忠実なれ」という建学の精神を持ち続け、イエスさまの姿に励まされながら、人々に仕える対外的な活動に力が入れられています。その一つが、学生たちによる震災地ボランティアであると言えると思います。

昨日は、東北大震災から12年が経った日となりました。私は今日の聖書箇所を読みながら、神学生時代に、震災地ボランティアのため、宮城県を訪ねた時のことを思い出しました。そこでは、20歳前後の学生たちと一緒に、“現地の声”を聴く機会が与えられました。地震と津波の傷跡・・見えない放射能に対する恐れとその被害・・地域社会という信頼のつながりが引き裂かれた深い痛み・・様々な“現地の声”に触れさせていただいたことを思い出します。 

私はこの旅で、人に仕えるということ・・援助に携わるということはどういうことだろうかと問われた旅となりました。それは、ボランティア活動を企画している大学の職員の方が共有してくださったお話がきっかけとなりました。その職員の方は、震災当初から、東北の各地に通い、早い段階から学生たちが主体となるボランティア活動を企画してきた中心人物です。震災から2年ほど経ってから、ある漁師さんからこのような訴えが届いたのです。

「震災後、国内に限らず、世界の各地から支援が寄せられ、心のこもった応援にどれだけ励まされただろうか。一生かけても感謝しつくすことはできない。と同時に、最近『何かが違う』という引っかかりが気になってしょうがない。私たち(被災者)は支援を受け続けています。ある意味で、この二年間は『ありがとう』と言い続けてきました。最後に『ありがとう』と言われた・・言われたと実感できたのはいつだっただろうか。わがままかもしれませんが、『ありがとう』と言われたい。それを実感したい。これが本音です。」

この訴えを大学側が受け止めて、ボランティア活動の内容が大幅に変更されました。このお話を共有してくださった大学の職員の方は、「ボランティア精神の根幹が問われた」と言っていました。私が宮城県を訪れた時には、何かを提供するというよりは、震災を経験した方々との相互の交流に重きが置かれた活動となっていました。そして、最後の晩には、その訴えを投げかけてくださった漁師さんのお宅に呼ばれ、新鮮な海産物をお腹いっぱいになるまで頂きました。一見、おいしい物をごちそうになるただの宴会として目に映る光景でしたが、私たち学生たちが「おいしい!・・こんなの食べたことない!」と言いながらそのごちそうをたいらげ、その漁師さんは明らかに嬉しそうに過ごしていました。結局、そこで4時間ほどお世話になりましたが、特に後半部分では、漁師さんが経験した震災後の日々について、涙を堪えながら語ってくださいました。そして、合間、合間に、私たち学生のこれかれの期待や夢・・葛藤や恋愛の悩みまでが引き出され、濃い交流となりました。そこを去るときには、当然「ありがとうございました」と繰り返し言いました。皆が心からそう思えたからです。

 

「まだ誰も乗ったことがない」ことがロバの特徴

「ありがとう」と言うだけでなく、「ありがとう」と言われることの大切さ・・これは「誰かから必要とされる」という考えに通じるものだと思います。誰かから必要とされ、ありがとうと言われること・・これは誰もがなくてはならない生きる力になるものなのではないでしょうか。

イエスさまは誰からも必要とされていない子ロバを、あえて必要としました・・「主がお入り用なのです」とロバの持ち主に弟子たちが語りました。今日のロバが「誰からも必要とされていなかった」となぜ思うかというと、「まだ誰も乗ったことがない」ことが、このロバを特徴づけるポイントとなっていたからです。このロバを探し出したのは、イエスさまではなく、二人の弟子たちでした。「まだ誰も乗ったことがない子ロバ」が村に居ることを、イエスさまから知らされていましたが、そのロバがどのロバであるか、弟子たちは知りませんでした。けれども、弟子たちはロバを見ただけで、「あ、このロバは誰も乗ったことがない」ということが分かったのです。何か肉体的な弱さがあったのか・・あるいは、余りにも幼すぎる子ロバだったのか・・いずれにせよ、「まだ誰も乗ったことがない」ことがぱっと見で明らかだったのです。複数の人に所有されていたロバでしたが、どの所有者もこのロバには乗ったことがなかったのです。周りには“取るに足らない”と決めつけられていた子ロバであったと言えるでしょう。イエスさまは、他でもない、そのロバを必要とし、用いられたのです。僕が想像するには、このロバは、人生ではじめて「ありがとう」と言われたのです。イエスさまに「ありがとう」と言われたのです。

 

“取るに足らない”罪人たちのゆるしを祈り求める十字架のイエスさま

 イエスさまが子ロバに乗りながらエルサレムに入っていくその最中、弟子たちはイエスさまを王さまとして讃美しました。「主の御名によってきたる王に、祝福あれ」と。けれども、明らかに、その光景はエルサレムの市民が見慣れていた“王さま”ではありませんでした。ぎこちなく進みゆく、なんとも頼りないロバに乗るイエスさまでした。人々が求めていた王さまの姿とあまりにもかけ離れていたからか、あるパリサイ人たちは、弟子たちの讃美を黙らそうとしました。「“取るに足らない”ロバを必要とするイエスさまが王さまであるわけがない」と考えていたのでしょう。けれども、イエスさまは反論します。「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」と。イエスさまが十字架に進みゆくことを、誰も止めることができないことを、このイエスさまの反論が物語っていると言えるでしょう。

 “取るに足らない”ものを受け入れるイエスさまの姿は、十字架のイエスさまの姿に通じるものがあると思います。十字架にかけられながらも、自らの命を奪おうとしている人々のための赦しを祈り求めたのです。“取るに足らない”罪人が・・含まれるはずがない罪人が、十字架のイエスさまの祈りに含まれたのです。

 

学生闘争の中で紡がれた讃美歌「罪ゆるされしこの身をば」

 これから「罪ゆるされしこの身をば」という讃美歌を一緒に歌います。この歌は、東京の大井バプテスト教会で生まれた讃美歌で、「新生讃美歌ハンドブック」に歌の背景がこのように紹介されています。

「1960年末、大学を中心に学生運動の嵐が吹き荒れ、その余波はキリスト教会にも及び、1970年前後の2年半、大井教会もまた教会闘争の渦中にありました。多くの人が教会を離れ、“イエス・キリストを信じるとはどういうことか”、“教会とは何か”、数々の問いを受ける中で・・「罪ゆるされしこの身をば」・・ができました。」

 教会闘争の渦中、教会は自らの“取るに足りなさ”を繰り返し気づかされたことでしょう。と同時に、イエスさまが流された血による恵みを噛みしめたことを想像します。“取るに足らない”罪人を受け入れながら、イエスさまは十字架で私たちの救いを顕された・・われ何をもちて これに応えん・・われ何をもちて これに応えん・・アーメン。

 

(牧師・西本詩生)

 


『 この世は不条理なことで満ちている・・・

それでも、あきらめずにしつこく祈る 』   

ルカによる福音書22:42~44 

ルカによる福音書18:1~8

2023年3月5日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 今日の聖書の箇所で、イエスさまはこんな話をされました。ある町に男の裁判官がいました。裁判官というのは、何か困ったことをされて訴えてきた人と、訴えられた人と、それぞれの話をよく聞いて、法律に従って公正な判断を下す人のことです。ただ、この裁判官は、たいそうひどい男で、自分でも「おれは神を畏れず、人を人とも思わない」と言っちゃうような男でした。聖書には「神さまを愛し、人を愛しなさい」って書いてあるので、そのまったく逆を行く人です。ちなみに、イエスさまが生きていた時代には、裁判官は律法学者が務めていたそうです。だから、この裁判官も、聖書に書かれた律法のことをよく学んでいたし、良く知ってはいたはずですが、実践はしていなかったということです。この裁判官は、自分に得になることであれば動くけど、そうでなければ動かない。また、自分に損になることを避けるためには動くけど、そうでなければ、やっぱり動かない。そういう人でした。そして、彼は、大きな権力と高い地位を与えられていました。

そんなひどい裁判官のもとに、一人の女の人がやってきました。この女の人には、夫がいませんでした。これまた、イエスさまの生きていた時代は、女の人が夫もなく独りで生きるには、とても生きづらい社会でした。夫のない女の人たちは「やもめ」と呼ばれ、聖書の中には、この女の人以外にも、大変な思いをしながら生きていたやもめが、たくさん出てきます。裁判官とは、まったく逆で、権力もなければ地位もなく、お金もなければ、頼れる人もいない・・・そんな女の人が、裁判官の所にやってきたんです。誰かのことを訴えたかったみたいです。「その人を裁いて、わたしのことを守ってください!」って、裁判官に訴えました。さあ、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官、どうしたと思います。その女の人の訴えを、無視しました。そりゃあ、そうです。この何にも持ってない女の人の訴えを取り上げたところで、裁判官には何の得にもならなければ、別に損になることもないからです。これが、お金持ちの夫を持つ女の人からの訴えだったとして、こっそり賄賂をもらえるということだったら、喜んで訴えを取り上げたことでしょう。自分の得になることは、大好物だからです。でも、この女の人は、何にも持たないやもめですから、裁判官は見向きもしませんでした。ところが、この女の人は、そんなことくらいで諦めませんでした。裁判官に無視されても、無視されても、何度も何度も訪ねて行って、「どうかわたしを守ってください!」って、お願いし続けたんです。すると、その内に、裁判官はこんな風に言うようになります。「ああ、あのやもめがうるさくてかなわない!」って・・・。そう、この裁判官は、この女の人が繰り返し訪ねて来ることで失われる時間や、かかるストレスが、自分にとって損だと感じるようになってきたんです。この女の人の訴えを取り上げたところで、なんの得もないけど、取り上げないことで、損になるのであれば、それを避けるために・・・と、この女の人の訴えを聞いてあげることにしたというお話です。

このお話を聞いて、みんなはどう感じますか。「まったくもってひどい裁判官だ」と思いませんか?「裁判官は、もっと神さまを畏れ、人を人として大切にしないといけない」と思いませんか?「自分の損得勘定だけで動くのではなく、自分の仕事をちゃんとしろ」って思いませんか?ぼくは、そう思いました。だけど、イエスさまは、別にそんなことを言うために、このお話をされたわけではありませんでした。もちろん、この裁判官のやっていることを良いと思っていたわけではないだろうけど、「世の中では、こんなことが当たり前のようにまかり通っているものだ」とでも言うように、この裁判官についてコメントすることはありませんでした。それどころか、「この裁判官の言った言葉をよく聞くように」って言ったんです。そして、「こんなひどい裁判官でも、しつこく頼めば、願いを聞いてくれるのだから、まして神さまは、必死に叫び求める人びとのために、正しいさばきをしないで、放っておかれるようなことがあるはずないじゃないか」って言いました。つまり、イエスさまが言いたかったことは、「自分の願いを、あきらめずにしつこく、神さまに祈り続けなさい」ということでした。みんなは、神さまにしつこく祈っていることがありますか。「どうせ、きいてもらえない」ってあきらめてしまわずに、しつこく祈ることが大事なんだって、イエスさまは教えてくれています。

 

◆ 祈り続けるYさん夫妻

 あきらめずに祈るというと、ぼくはいつもある人のことを思い出します。それは、神学部時代に一緒に学んだ牧師仲間のお連れ合いであるYさんのことです。神学部卒業後、お連れ合いが沖縄の教会の牧師となったため、Yさんにとっては、沖縄での初めての生活が、スタートしました。その年の秋頃、Yさんが乳癌を患われたという知らせが、札幌のぼくの耳にも届きました。それはちょうど、お連れ合いの牧師就任式を間近に控えた、「さあ今からスタート!」という時でした。ですから、Yさんは、「神さま、何で今ですか?」と神さまに問うたそうです。すると、その時、ひとつ聖書の言葉が、Yさんの目に留まりました。「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた」という、パウロの言葉です。夫婦で、その御言葉を必死に握りしめながら、祈ったそうです。すると、その祈りの中で、二人は、「これまで神さまがいかに自分たちにいつも最善を備えてくださったか・・・、そしてその中で、この教会にも導いてくださったではないか」という想いを与えられたというのです。そして「だからこそ、今回も間違いなく神さまは、自分たちを最善の道へと導いてくださり、この病をも用いて、神さまの栄光を現してくださるはずだ」と確信したそうです。ところが、それから二年間に及ぶ治療も一段落した頃、その年は、子どもが与えられるようにと祈っておられた矢先に、今度は、肺と骨とに癌が転移していることが判明したのです。その時のことを思い出しながら、Yさんが、こんな文章を書かれたのです。

 癌が転移していることを聞いた時は、驚き戸惑いましたが、恐れや不安、絶望といった思いは一切なく、不思議と平安で満たされていました。自分でも不思議で、その平安がどこから来るのだろうかと考えてみました。ちょうどその頃は、イエスさまの十字架を思いながら過ごす「受難週」でした。イエスさまが、十字架で受けられた懲らしめ、屈辱、苦難、痛みが、私に平安をもたらしているんだ。イエスさまが、この私の代わりに苦しんでくださったんだ。そして、イエスさまの死からの勝利こそが、この私の病への恐れ、死への恐れからの勝利なんだ。そのことがわかった時、イエスさまの十字架がどれほど私自身にとって大きな恵みであるか、イエスさまのいつくしみと恵みとはどれほど大きいものであるか、ということを思わされました。イエスさまは試練の中で、私の辛い現実の中で、私と同じ立場になって支えていてくださっていたのです。こんなにも私と同じ思いになって、理解してくださる方がおられるでしょうか。病を通して、こんなにも素晴らしい恵みに気付くことができた事に、本当に感謝しています。

 Yさんはそのように、この文章を閉じられました。結局、最後まで、彼女は自分の病の癒しについては、一言も触れられませんでした。病の中で・・・、痛みの中で・・・、イエスさまの受けられた十字架上の苦しみを思いながら、そのイエスさまが受けられた苦しみこそが、苦しみの中にある自分に平安をもたらしているのだ・・・と。イエスさまは、自分の辛い現実を、まさに自分と同じ立場で理解し、支えてくださる方だ・・・と。そう教えられたというのです。そして、彼女は、自分の病を通して、神さまの栄光が表されたと語ったのです。先月、神学部時代の仲間から、Yさんが余命宣告を受けたと知らせが届きました。癌を患われてから、ここまで約15年・・・。これからも、ぼくらは、しつこく祈り続けます。「Yさんを通して、神さまがその御業を表し続けてくださるように」と。

 

◆ 夜も朝もいつも神はわれらと共にいます

 かつて、第二次世界大戦中のドイツで、多くの教会は、社会の波に飲まれ、独裁者であるヒトラーを称賛していました。しかし、迫害の中にあっても、「イエス・キリストこそが主である」と告白することを止めず、抵抗した「教会闘争」を担った人びとの中に、ディートリッヒ・ボンヘッファーという神学者がいました。ナチスに抵抗し、ヒトラーの暗殺計画にさえ加わったことで、彼は捕えられ、収容所で処刑されることになるのですが、処刑される最後の2年間を過ごした獄中で、彼は多くの論述と詩を残しました。そして、処刑される数ヶ月前に、彼が婚約者に送った詩は、讃美歌となり、今もドイツの教会で歌い継がれています。それが、この教会で使っている新生讃美歌の中に収められている『善き力にわれ囲まれ』という讃美歌です。ボンヘッファーは、今にも処刑されようとしている獄中で、こんな言葉を綴りました。

 

『善き力にわれ囲まれ』

 

善き力にわれ囲まれ 守り慰められて

世の悩み共にわかち 新しい日を望もう

過ぎた日々の悩み重く なおのしかかる時も

さわぎ立つ心しずめ み旨に従いゆく

善き力に守られつつ 来るべき時を待とう

夜も朝もいつも神は われらと共にいます

 

たとい主から差し出される 杯は苦くても

恐れず感謝をこめて 愛する手から受けよう

輝かせよ主のともし火 われらの闇の中に

望みを主の手にゆだね 来るべき朝を待とう

善き力に守られつつ 来るべき時を待とう

夜も朝もいつも神は われらと共にいます

 

 ボンヘッファーの投獄も処刑も、不条理に満ちた悲しみの出来事でした。しかし、彼の心は、恨み、憎しみに縛られることなく、神さまへの讃美を歌いつづける自由を失うことはありませんでした。

 

◆「神はわれらと共にいます」と祈り続ける

 今から約2000年前、不条理な形で捕らえられ、不当な裁判にかけられ、十字架で磔にされ殺されたのが、イエス・キリストでした。神の子でありながら、自分自身を救うことはできないまま、イエスさまは十字架上で「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と絶叫されながら、息だえていかれました。すべての人びとのための救い主が、救われるはずの人びとの手によって殺されていく・・・これほどの不条理は、ほかにないでしょう。しかしイエスさまは、神さまがそこにこそ伴われていることを、その絶叫の祈りのうちに、示されたのです。

 いつの時代も、この世は不条理なことで満ちています。それでも、この不条理な世にあって、ぼくらが絶望しきってしまいそうになるその傍らにこそ、いつも神さまが共におられるのだということを、聖書はイエス・キリストの十字架によって示しているのです。「神われらと共にいます」。病の中にあろうとも、獄中にあろうとも、ささげ続けられてきたこの祈りを、ぼくらも必死に、あきらめずに祈り続けていきたいのです。

 

 

(牧師・石橋大輔)