『 「恵みの年!」とホラを吹く? 』

詩篇126:1~3

イザヤ書61:1〜3

2023年12月31日(日)

 

子どもメッセージ

 僕は小学生の時、学級委員に選ばれました。学級委員とは、その学年のリーダーみたいな人です。先生に頼まれた時に、同級生たちをまとめるのが学級委員の役割でした。

その時、学級委員になりたいと思っていた同級生は、僕も入れて三人でした。でも、学級委員になれるのは、各学年で一人だけでした。同級生の多くが選んでくれないと、学級委員になれませんでした。そして、学級委員になりたいと思っていた、僕ら3人は同級生のみんなの前でお話をすることとなっていました。それぞれ、1~2分「なぜ、自分を選んでほしいのか」をお話する時間が与えられました。「僕はみんなのために○○をする・・・僕が選ばれれば○○を成し遂げる」と、同級生のみんなに呼びかけました。かっこつけて大胆にお話したことが影響したのか、なぜか僕が選ばれてしまいました。それから30年位経ち、当時みんなの前で約束した内容はほとんど覚えていません。デザートをもっと充実させるという内容だったのか・・・うろ覚えでしかありません。でも、一つだけはっきりと思えていることがあります。みんなの前で訴えたことはほとんど何も実現できなかったということです。デザートが充実することを訴えたのでしょうが、ヨーグルトが出てくる回数が増えたぐらいでした。みんなの前で話した時に、ウソをつこうと思ったのではありませんでした。でも、言うのは簡単だけど、そう簡単にはならないということを学んだのです。

時々テレビのニュースを見て、「国のリーダーたち(政治家)の言うことは、大胆で、期待を持てるようだけど・・・それがその通りになることはほとんどないなぁ」と思わされることがあります。こんな光景を家で観たことはありませんか?テレビに向かって、大人たちが不満をつぶやいているそんな光景・・・。テレビの向こう側に伝わらないことを知っているはずなのに、国のリーダーたちの言っていることと、やっていることのギャップに不満を感じて・・・ついつぶやいている光景。

期待する相手が言っていることと、やっていることがあまりにも違ってがっかりすることがあるのでしょう。それは、国のリーダーでなくても、家の人かもしれませんし、兄弟かもしれませんし、友達かもしれません。でも、今回僕は小学生の時の記憶を振り返る中で思わされました。自分も大して変わらないなぁと思うのです。大きなことは言うけど、実際やることになると、それに及ばないということです。ですので、自分に正直であればあるほど、自分にもがっかりすることがあるのではないだろうかと思うのです。

でも、イエスさまはどうなのでしょう。イエスさまは、言うことと、やることに差があったのでしょうか?イエスさまは、私たちをがっかりさせるのでしょうか? 

そうではないですよね。イエスさまはがっかりさせないのです。「あなたを愛する」と言うだけでなく、命がけでそれを示してくださるのがイエスさまです。僕らは、自分にがっかりしたり、他人にもがっかりしたりしてしまう時があるのでしょう。けれども、イエスさまは絶対がっかりさせない・・・そう信じてきたから、毎週礼拝をささげてきたんだろうと思うのです。週報の一番上には数字があります。今日の週報でいうと3634です。途切れることなく、3634週間連続で、毎週礼拝がささげられてきたのです。嵐の時も、猛暑の時も、コロナが広がる時でも・・・毎週守られてきたのです。イエスさまは絶対がっかりさせない・・と、3634回、私たちの教会で、毎週礼拝の中で確認されてきたのです。今日は2023年の最後の日で、今年最後の礼拝です。イエスさまは絶対がっかりさせない・・・これを心に留めて、来年に向かっていきたいと思うのです。

 

「ホラ吹き」と「恵みの年の宣言」

「ホラを吹く」こと。「立派なことを語っても、実行が伴わない」という意味の「ホラを吹く」こと。小学生の時に学級委員を目指すことに夢中のあまり、僕は、文字通り「ホラを吹き」まくりました。この「ホラを吹く」という表現の由来を調べてみたら、今日の聖書に通じるものがありました。「ホラ吹き」の「ホラ」(実際は「法螺」(ほうら))は、大きな巻貝に穴を開けて吹き鳴らす道具のようです。このホラという道具は、演説の時に鳴らされました。そして、元来「ホラを吹く」とは、否定的な意味を持ちませんでした。演説が始まる前に、ホラが吹かれ、そこで語られたことが実際行われたのです。けれども、月日が過ぎ、ホラが吹かれても、実践が伴わないことが一般的になってしまいました。このようになってしまったために「ホラを吹く」とは、「立派なことを語っても、実行が伴わない」という否定的な意味になったのです。

今日の聖書はある種の演説の場面です。「恵みの年」の到来を宣言するものでした(レビ記25章8節以下)。今日の2節にある通りです「主の恵の年」。これは、別名「ヨベルの年」です。奴隷たちが解放され、失われた土地が元の持ち主に戻される「ヨベルの年」。歪んでしまった関係が、紐解かれて、再出発するという意味の「ヨベルの年」。土を耕さず、自然世界の回復を待ちつつ、主の安息に与る「ヨベルの年」。悲しみが喜びに・・・落胆が希望に変えられる「主の恵みの年」の到来を宣言する場面です。

伝統的には、「恵みの年」の到来が宣言される時には、羊の角で作られたラッパが吹かれました(レビ記25章8節)。材料は違いますが、演説の前にラッパが鳴らされるという点において「ホラ吹き」と共通しています。そしてどうやら、イスラエルでも、否定的な意味での「ホラ吹き」状態になってしまっていたようです。つまり、「ヨベルの年」の決まり事はほとんど守られることはなかったのです。少なくともイエスさまの時代では、守られていなかったようです。「ヨベルの年」になっても、奴隷は自由にされず、失われた農地は、元来の持ち主に戻るということはありませんでした。悲しむ人々は悲しむままにされ、落胆のうちにある人々はそのままにされていたのです。

 

「主の恵みの年」の到来を宣言したイエスさま

イエスさまは、その働きを始めた時に今日のところをそのまま引用しました(ルカによる福音書4章16節以下)。イエスさまは、預言者イザヤの言葉を引用して恵みの年の到来を宣言したのでした。「私(イエス)はこの働きのために来たんだ」ということを説明されたのです。「貧しい人々に良い知らせを宣べ伝える」ためにイエスさまは来られたということです。ここでいう貧しさとは、生きるために必要な何かが欠けているということです。それは物質的なものなのか、今日も生まれてきてよかったと思える希望なのか、愛され大事にされているという実態なのか、重荷を下ろせる居場所なのか・・・それぞれ、本来生き生きとなるために必要な何かが欠けているのではないでしょうか。この意味での、貧しさを抱える私たち一人一人のためにイエスさまが来られ、宣言されたのです。「あなたは大事なんだ。愛されているんだ。あなたに生きてほしいんだ・・・私と一緒に生きてみないか」と。イエスさまが尋ねるところでは、心いためる者はいやされ、恐れと悩み・過去の自分・罪に捕らわれた者に解放が訪れたのです。悲しみは慰められ。落胆は希望に変えられたのです。このようにして、主の恵みの年がもう始まったことを、イエスさまは宣言されたのです。そして、今も私たちの生活の中で、イエスさまは生きて働いてくださっているのです。イエスさまは「ほら吹き」ではありませんでした。文字通り、私たちの貧しさ・・・私たちの足りなさに生きる力を与え、励まし続けて下さっているのです。イエスさまは、絶対私たちをがっかりさせることはないのです。このことが、3634週間、途切れることなく、私たちの礼拝の中で覚えられてきたのです。

 

Iさんの信仰告白

 先週の半ば、ここで葬儀が執り行われました。Eさんの葬儀でした。既に10年ほど前に召され、私たちの教会員であったIさんのお兄さんの葬儀でした。その葬儀の中で、既に召された弟さん、Iさんの信仰告白が紹介され、とても励まされるものがありましたので、省略しながら紹介したいと思います。

 

中学2年の夏がきました。ここで私は一生の中で、忘れることのできない悲しく厳しい出来事にぶつかりました。私をこれまで育て愛してくれた父親と、無理矢理別れさせられたのです。勤め先の三輪車のスピードの出し過ぎにより、思わぬ事故を招き、父親はあえなくその犠牲者となって、この世から去って行ってしまったのです。

それからというもの、私の人生はすっかり変わってしまいました。何をしても日々に楽しさ、活気というものが失われ、次第に生活につかれ切ってしまっていました。そして、その頃から、人を憎む人間になっていったのです。特に父の乗っていた車の運転手を憎みました。あの時、あの運転手に過失がなければ、私はもとより、私たち遺された家族も、こんなにも不幸のどん底へ落とされずに済んだものに・・・と、事あるごとに、頭の中に浮かんでくるようになったのでした。

中学を卒業。その頃から、私の病との闘いが始まりました。(省略)父親との別れ、その他社会の荒波にもまれ、ついにどうにもならなくなり、病の床にふすことになってしまったのです。それでも1~2回と立ち直り、社会に出て働きましたが、どうしても病には勝てず、とうとう3回目の入院となってしまいました。これほど何度も繰り返していては、どうにもなりません。(省略)入院当初の焦る気持ちをおさえて、じっくり腰を落ち着けて、すっかり治るまで頑張ることに心を決めて、療養生活を続けておりました。(省略)そこで私は、一条の光に触れたような事に直面したのです。それは、このように乱れた私でも、「イエス・キリストについて学んでいけば、きっと救われる。イエス・キリストは、私たちの諸々の罪のすべてを、十字架を背負うて贖ってくださった」。イエス・キリストを信じて、生まれ変わることが一番であると、カトリックの熱心な信者に勧められたのです。私はその時はじめて、イエス・キリスト、「神」の実在することをおぼろげながら知らされることになったのです。

 (それから一年が過ぎ、ある集会の)説教に心が動かされまして、また、この時はじめて自分の罪というものに目覚め、決心の手を挙げることができたのです。その時、一時に自分の今までの数多い罪が、色々と浮かび出され、頭の中を覆いました。今まで何と自分中心に物事を考えたことか。また色々な人々を憎んだこと、ねたんだことか。また、事故にあって亡くなった父親に対しても、尊敬・孝行(こうこう)が少なかった。この自分の責任は、先生の言われる「親を憎むもの、不孝行(ふこうこう)なものはおおよそ親殺しである」との御言葉の通りであり、私はまことに大きな罪を負っていることに初めて気づきました。この罪を赦してもらうには、イエス・キリストの十字架・復活・深い深い愛を信じるよりほかにないと決心しました。そして、今日たった今から、イエス・キリストに会って、生まれ変わり、一生、イエス・キリストを主(お父様)として生活する決心です。

 Iさんは、自分だけでは埋められないその何かと葛藤しながら、イエスさまと出会い、救いを知ったのです。生きるために必要な救いです。決してがっかりさせないイエスさまと出会われたのです。そして、その同じイエスさまが、今日も、私たちと出会ってくださっているのです。「主の恵みの年」を宣言して出会ってくださっているのです。

 

恵みに押し出されて

今年を振り返ると、心騒ぐ場面も沢山ありました。けれども、その中でもイエスさまが恵んで下さったことも同時に思わされます。悩みの内に神さまの平安が与えられ、力が足りないところに神さまの支えがあったと思わされるのです。イエスさまはほら吹きではありません。絶対がっかりさせない・・・この恵みに押し出されて、2024年に向かっていきたいと思うのです。

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 大切な一言 』

詩篇136:26

ヨハネによる福音書3:16〜21

2023年12月24日(日)

 

子どもメッセージ

 先週はクリスマスの劇・・・ページェントを、ここでしましたね。楽しすぎて、笑いすぎて、涙した人もいたようです。とても不思議な姿の人・・・バイキンマンの姿と言えばいいのでしょうか・・・スーツを着た、重低音の声を発した天使も出てきました。そのおっちょこちょいなおじさん天使だけ、場違いだったような気がしないわけでもありませんが、その人以外はみんなとても暖かい、いい劇を作り上げていましたねー。その劇で何をみんなで演じたかというと・・・神さまがお生まれになったことです。みんなのために、みんなを救うために神さまがお生まれになったということを喜び祝ったのです。

 教会ですので、毎年神さまがお生まれになったこと・・・クリスマスの物語を振り返ります。そして、毎年僕は思うんです・・・神さまってとても不思議だなぁって。神さまなのですから、自分がどのようなところで、どのような姿として生まれてくるのかを選べたはずです。とても可愛い、フワフワの、見るだけで癒しとなるウサギや猫さんとしてお生まれになることだって・・・勇ましいライオンやクマとしてだって・・・フォロワー数、数千万人を誇れる有名〇ーチューバーとして・・・あるいは、空を飛べて、敵を一種にしてぼろ負けにさせる超人スーパーヒーローとして。

でも、そうではかったのです。ほとんど自分では何もできない無防備な赤ちゃんとして生まれてきたのです。私たちと同じ姿として・・・人としてお生まれになったのです。そして、誰も聞いたことがないベツレヘムという小さな小さな村で、ふかふかのベッドの上ではなく、本来動物の餌や飲み水を入れるはずの飼い葉桶の中に生まれてきたのです。僕が神さまだったら、そんなところを選びません。

そもそもイエスさまは、ベツレヘムに生まれるはずではありませんでした。お父さんヨセフさんとお母さんマリアさんは、ナザレという全く別の村に住んでいました。当然そこで、赤ちゃんを産むことを予定していたことでしょう。でも、出産間近のある日、ラッパの音が聞こえてきました。

パパパパー・・・と。

わたしは皇帝へいかのおつかいだ。へいかはこの国にどれだけの人が住んでいるか・・・どれだけ税金を搾り取れるか知りたいとおおせだ。いいか、一人残らず自分が生まれた土地に帰って届を出してこい。従わないものは、命がないと思え。以上だ。こらがヘイかの命令だ。

ヨセフさんはこれを聞いて、とても困りました。「あかちゃんが生まれるのに・・・仕事を中断して、生まれた土地に帰れだと?貯金が底をついてしまう。帰らなければ、兵隊に捕まる。帰れば、家族を養えない。どうすればいいんだ。」

マリアさんも困りました。「もうお腹がこんなにも丸く大きくなっているのに・・・転んだらどうするのよ?3-4日間の旅をしなくてはいけないなんて。へいかは、自分の宮殿でくつろいでいるだろうけど、妊婦のことなど、何も考えてない。どうすればいいんだ。」

それぞれの悩みと不安を抱えながら、ヨセフさんとマリアさんはベツレヘムを目指しました。そして、いざベツレヘムに着いても、寝るところが見つからなかったのです。ヨセフさんは親戚の家を、一軒、一軒訪ねて、土下座をする覚悟で寝場所をお願いしても誰も家に入れてくれないのです。マリアだけでもいいから・・・部屋の隅っこでもいいから・・・屋根裏でいいから・・・とお願いしても、誰も耳を貸してくれないのです。ヨセフが耳にしたのはこんな言葉だったのでしょう。「他をあたってくれ」「悪く思うな」「お前だけが大変じゃないんだ。みんな大変なんだ。」「俺には関係ないね。」・・・。人の冷たさと無関心さを感じざるを得ない、ヨセフさんとマリアさんでした。そして、ようやく見つけたのが、人のための住家ではなく、家畜小屋でした。

みんなは、家畜が飼われている農家を訪ねたことはありますか?北海道ですので、そんなに遠くに行かなくても、ありますね。そこで、少しの間寝っ転がってもいいと思えましたか?そこでご飯を食べようと思えましたか?深呼吸をしようと思えましたか?家畜小屋はきれいなところではありません。お馬さんや牛さんの専用トイレが別のところに設けられているわけでもなく、臭いはするし、ハエはいるし、じめじめしているし・・・居心地がいいわけではありません。赤ちゃんを産むための、最適な場所と思う人は誰もいないでしょう。全く屋根がない道端で産むよりは、屋根がある家畜小屋のほうがましだという、やむを得ない選択たったのでしょう。

マリアさんは、人生ではじめての主産を、家畜小屋で経験することになりました。助っととなったのはヨセフさんだけです。ヨセフさんにとっても初めての出産でした。僕は二人の子どもがいて、二回とも、出産に付き添いました。僕の場合は、助っ人となるどころか、返って迷惑だったような気がします。一回目は、38.6度の高熱を出し、二回目は、気絶しそうになり・・・むしろそこにいないほうがよかったとも思えてなりません。僕の経験をヨセフさんと重ねるのは、失礼な話なのでしょうが、マリアさんは、とても不安だっただろうと思うのです。お医者さんもいない。助産師さんもいない。出産を経験したことがある、先輩もいない。医療器具もない。ただ、初心者ヨセフさんと家畜たちに囲まれて赤ちゃんを産んだのです。難産であったのかは知りませんが、不安と恐れを抱きながら、赤ちゃんイエスさまが誕生してきたのです。

イエスさまは、お母さんマリアさんのお腹の中にいる間、お母さんが感じている全てを敏感に感じて取っていたのでしょう。ドキッとびっくりすれば、お腹の中のあかちゃんも一緒にドキッとするのです。なぜこのようなお話をしているかというと、神さまはあえて、悩みと恐れの中で生まれてきたのです。一般庶民を無視する、皇帝ヘイかの命令に振り回され、ベツレヘムの住民に冷たくされ、悩みと恐怖を抱くマリアさんとヨセフさん・・・その真っただ中に生まれてきたのです。誰も大事にしてくれない・・・苦労が多い人生を自分たちだけで生きるしかないと思えたところに生まれてきたのです。心も身体も冷え切ったところに、愛のメッセージを携えてイエス・キリストが生まれてきたのです。「大丈夫だ・・・あなたは神さまにどれだけ愛されているかを知ってほしい」「あなたは愛されている」という一言を携えて。愛のかけらが、これっぽちもみいだせない、そのところに、愛が生まれてきたのです。愛そのものが冷たい暗闇の中に生まれてきたのです。

 

 私たちの世界に突入してきた大切な一言

クリスマスの時期、教会では、四本のろうそくが立っている“アドベント・クランツ”に、日曜日ごとに一本ずつ火を灯していきます。今日は、最後のろうそく・・・四本目が灯されました。私たちの目には見えないですが、真ん中に、5本目であるイエスさまの光がしっかりと輝いているのです。

ところで、このアドベントという言葉は、ラテン語のアドベニールという言葉を語源にしています。アドベニール「やって来る」「突入してくる」という意味を持ちます。英語で、冒険という意味を持つアドベンチャーも同じ語源から派生しています。神さまが冒険するかのようにして、私たちの世界に来てくださったのです。

ともすると、私たちが抱く宗教観というものは、私たちの側から神さまに近づくという感覚かもしれません。日常から抜け出して、神さまに近づくという感覚です。もちろんそのような感覚がキリスト教にないわけではありませんが、クリスマスの物語を見ると、示されているベクトル・・・その矢印は真逆なのです。私たちがこの世界から抜け出すのではなく、不安や恐れ、痛みや悲しみ、もどかしさや怒り・・・人生の苦労としか思えない世界に、神さまが来られとのです。イエス・キリストが誕生されたということは、神さまご自身が、この世界に突入してきたということに他なりません。そして「わたしはあなたを愛している」・・・この大切な救いの一言を届けるために来られたのです。愛が見出せないところに、愛を貫いて、愛することを諦めないイエスキリストが生まれたのです。

 

 絶望スパゲッティ

私はほぼ毎日、道を渡ったところの〇ブンイレブンに行きます。皆さんもご存じだと思いますが、入ってすぐ右に「早めに売りたいコーナー」があります。そこで、いい物を見つけると、得をした気分になり、心の中がちょっとだけ踊ったような感覚になります。先日、そこで、不思議な名前を持つスパゲッティソースを見つけたのです・・・「絶望スパゲッティ」。

調べてみたら、これは、本場イタリアに実際あるパスタのようです。Spaghetti alla disperata(スパゲッティ・アッラ・ディスペラータ)。料理をしたくない時、時間がない時、材料がない時でも、保存食で、すぐに美味しく作る事が出来る、最終手段のパスタ、との事のようです。ろくな材料がない・・・そういうピンチな時のパスタなのです。けれども、このメーカーさんはこのように説明しています、「絶望している時でもおいしく食べられる」と。それだけ、とびぬけておいしいと言わんとしているのでしょうが、「絶望」という言葉を強調していることに深く考えさせられます。今、私たちが生きている世界に本当の意味でいう希望をなかなか見出せないから、大事にされ、愛されているという感覚を見出せないから、このような「絶望スパゲッティ」が売られているような気がしてなりません。バブル期であったら、このような名前のパスタは売れなかったでしょう。

 

 私たちの世界に突入してきた大切な一言

絶望の反対・・・希望は人を生かす原動力となります。私にとって「希望」とは「生まれてきよかった」と実感できる環境だと思います。つまり、平和な世界です。確かに現実の社会、そして世界を見渡すと、平和は、「遠く見果てぬ夢」のように思えます。けれども、イエス・キリストは、今日、私たちのただなかに誕生してくださったのです。2000年前、恐れと不安のただ中にお生まれになったように、今日、この世界に突入してきたのです。愛することを命がけで貫き、希望を諦めない、喜びを諦めない、平和を諦めないイエス・キリストがみんなのためにお生まれになったのです。

今年のクリスマス、この神の愛の一言を受け取りたいと思わされるのです。「一緒に生きよう・・・あきらめないで生きよう」、そう語られる神の愛の一言を。この言葉があれば私たちは生きていけます。この一言を一緒に受け止め、分かち合い、明日へ一歩踏み出していきませんか?

「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」ここに消えぬ希望があるのです。

クリスマスおめでとうございます。

 

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 神様の愛に感謝して 』 

ヨハネの黙示録3章20節

2023年12月17日(日)

 

アドベント3週目の今日、証しをすることになり、どんな話をしようかと、いろいろ考えました。教会のクリスマス、私にとって初めて経験したクリスマスの話,そして主人の母の話をしようと思いました。また、大きな病気を経験して、今元気でいられる感謝の気持ちもお話できればと思います。

 

キリスト教との出会いは、ミッション系の短大に入学してからでした。授業では聖書を学ぶ機会もありましたが、その時以外は聖書を開くこともありませんでした

卒業して勤めてからも教会に行くこともなく過ごしていました。しかし、主人と出会い結婚することとなったとき「キリスト教式で結婚式を行いたい」と言われ、初めて主人の母がクリスチャンで、しかも札幌教会の教会員だという事を知りました。当時牧師をされていたK牧師に式をお願いし、初めて教会に来たのはその年のクリスマスでした。

その時は、まだ旧会堂で、一人一人が手にローソクを持ってキャンドルサービスをして、聖歌隊のメサイヤを聴き、皆で讃美をして、クリスマスをお祝いしました。天井から吊り下げられたクランツにもびっくりしとても厳かな気持ちになりました。初めて知る本当のクリスマスでした。とても豊かな気持ちになったことを思い出しています。

亡くなった母はとても物知りで、料理が得意で、皆にごちそうすることが大好きな人でした。薬剤師として働きながら子育てし、いつも人のために何かできないかと考えている人でした。教会でも会計の奉仕をしていましたが、一緒にご奉仕された方から「おしゃべりがとても楽しくて、なかなか会計の仕事が進まなかったのよ」とお話してくださる方がおられます。母は仕事を辞めてから、俳句、日本画、書道、旅行など、今までできなかったことを、精力的に楽しんでいました。

しばらくして、母に乳癌が見つかり手術をしましたが、亡くなる前に何とか初めての句集を出版し見せてあげたいと私がワープロで原稿を打ちました。命がもうそんなに長くないことを知らされ、看病しながら自然と祈っていました。句集は天国に召されて1月後に出版されました。大勢の方にお葬式に出席し献花していただきましたが「あまり大勢でその間の奏楽が大変だったのよ」と後から聞かされました。この事をきっかけに二人で礼拝に出席するようになり、私たち家族は、教会の沢山の方々のお祈りに支えられている事に気づかされました。そして主人と共に翌年のイースターにバプテスマを受けました。

我が家の年末は兄弟家族全員が集まり、とても賑やかです。母が元気な時は、たくさんの料理を作ってテーブルいっぱいに並べていました。毎年の漬け物、飯寿司、おせち料理などのレシピや、その時々の小さなエピソードなどをノートに細々とまとめていました。母が亡くなってからは私もそのノートを受け継ぎ、毎年漬け物、飯寿司、おせち料理を作り、時にはご近所におすそ分けをします。ノートも2冊目になりました。母が私に残してくれたのは信仰とこのノートかもしれません。とても感謝しています。

今私は、毎週礼拝に出席し、女性会や小学科の奉仕、聖歌隊などをさせていただき、色々な方々との交わりも楽しく、教会に通い始めたころはよそ行きでしたが、だんだんと肩の力が抜けていったように感じています。教会の中でも自然体でいられるようになってたくさんの友ができ、楽しく教会生活をしています。

10年ほど前、かかりつけの病院で、エコー検査をしたところ、「腎臓に腫瘍があるかもしれないので、専門の病院で再検査をするように」と勧められました。再検査の結果、腎臓に悪性腫瘍があり、全摘出が必要であると言われました。今思うと、自覚症状もまったくなく、定期的に胆のうポリープの状態を見るためのエコー検査で、偶然にも腫瘍が見つかったこと、しかもできたところが血管のすぐそばで、もう少し遅かったら、他にも転移して大変なことになっていたかもしれないと言われました。検査で早期に見つかったことは、本当に神様に守られていたのだと思います。家族とともに牧師先生や教会の方々がお祈りで支えてくださっていることを信じ、私は不思議と不安もなく、穏やかな気持ちで手術を受ける事が出来ました。

内視鏡手術のできる市立病院を紹介してもらい無事に手術を受けました。その後は1年に1度の検査を10年間受け続け、今年の6月に「もう再発の恐れはないでしょう」と主治医から検査の終了をつげられました。私にとっては大きな試練でしたが、神様に全てを委ね良い結果となりました。感謝しかありません。

思ってもみなかった事が私たちのまわりには起こります。人の力や考えではどうにも解決できないこともあるでしょう。でも、「神様はどんな時も私たちを守り支えていて下さる」と信じこれからも過ごしていきたいと思います。

 

最後に テサロニケ第一  5章18節

どんなことにも感謝しなさい。これこそ キリスト イエス において、神があなた方に望んでおられることです

 

(教会員・Hさん)

 

『 ドア 』 

ヨハネの黙示録3章20節

2023年12月17日(日)

 

おはようございます。Aです。この証を準備している間、久しぶりに昔からの恵みの確認の時となりました。

ところでこの様な絵を目にしたことはないでしょうか?どうやらドアの外に誰かがいるようです。トントンとノックの音が聞こえたり、聞こえなかったり。(見よ、わたしは戸口の外に立って、たたいている。黙示録3:20)このドアは自動ドアではありません。ドアの外にはノブがないので外からは入ってこられません。誰でしょうか?

聞いたことがあります。私に命を与え、自分でも気付いていない私の全てを知っていて、いつも気にかけて大切に思ってくれる方のようです。でも、ドアを開けたら、何が起きるのでしょう。安易に開けることは出来ません。 今思い返すと10代の頃はこの様な心もようだった気がします。

中学高校にはシスターたちがいました。私有物を捨て、持たない、人生そのものを神さまに捧げる決心をして共同体に属しているひとたちです。言葉にはしないものの、その修道服姿は「私はイエス様と共にいます。イエスさまが人生の土台で最優先です」と語っているようでした。

私と言えば 友だちとふざけ、当時の御三家に夢中になっていましたが、将来は何とかなるとあまり考えてないものの、心の隅には漠然と 人は生まれて、生きて、死んでいく 何をしてもどんな人も、と当たり前のことなのに“虚しい”という漠然とした取り除くことが出来ない何かがありました。そのような中学生でしたから、シスターのような幸せそうに迷いも不安もないように見えた生き方にほんの少し羨望がありました。

 大学では何故か近くにプロテスタントの熱心な信者がいました。クラブの合宿中なのに呆れる仲間の視線の中、日曜礼拝へと帰っていく人。または四畳半の寮の部屋で家庭集会をし、誘ってくる先輩。さり気なく断わりながらも、心では “あなたにとっては大切で楽しい事でしょうけど私には必要ありません”と思っていました。

 しかし、その後23歳のときに英会話教室に通い始めたのですが、そこでは無料バイブルクラスがあり、オーストラリアからの宣教師が聖書を使い英語を教えてくれました。ここでも聖書の言葉は何も覚えていないのですが、数ヶ月たったある日ヨハネの黙示録3:15.16(わたしは、あなたの行いを知っている あなたは冷たくも熱くもない むしろ冷たいか熱いか どちらかであってほしい 熱くも冷たくもなくなまぬるいのであなたを口から吐き出そうとしている)の箇所から「熱いか冷たいか はっきりしなさい」と語りかけられた気がしました。その当時私は仏教の話にも興味があり仏教の考え方の方が納得しやすかったのですが、イエス様のことも気になってきていました。なので、イエスを知ってから好きか嫌いかこの際自分の気持ちをはっきりさせよう。それにはまず教会の礼拝に行ってみよう となりました。

 初めて教団の教会へ!オランダ人の牧師が笑顔で迎えてくれました。初めての者にとっては、その笑顔でほっとしたのを覚えています。牧師は決して流暢とは言えない日本語でメッセージ。そして、最後に“目を閉じて下さい イエス様を知りたい方は手を挙げてください。”というようなことを言ったのです。私は先ずは知らなければ!それから決めよう!と思っていたので手を上げました。 この時が、私がドアを開けイエス様を向かい入れた日となりました。

その後の40年を思い返すと、バプテスマを受けた後、湧き上がる喜びの中にいたのに、その後5年程はまるで逆戻り、自分のことは自分で何とか出来る!と、イエス様からも教会からも離れていました。そのような私でしたが、主は私の心にはたらきかけ、子育てをするなかで、教会へ行かなくてはという切なる思いを起こさせ下さり、そして、28歳のときこの教会と出会いました。

ここにいらっしゃる多くの方も頷いてくださるのではないかとおもうのですが、バプテスマを受けてからが新たなスタートなでしょう。それからも自己嫌悪、悩み、将来の不安、落胆、無気力の時を通ることは日常のようにあります。しかし、教会の交わりの中で、讃美歌、メッセージ、読書を通して、祈りのなかで、主が共にいて下さるということが、言葉には上手く出来ませんが、腑に落ちてきました。確かに導かれてきたのです。    

揺れながらも信じて生きていくには、祈りと多くの人(既に天に帰られた方、あったことのない本の著者も)の助けを借りながら信仰の道を歩むということなのかと感じています。

この証を準備してきた中で気づかされたことは、玄関ドアを開けてイエス様と出会った事は、始まりでしたが、私の場合は、全ての心の扉を開けたわけではありませんでした。勿論そういう方もいるとは思います。ところが、私の心の中には幾つもの部屋がありその扉を閉めるのも開けるのも自分です。ただ主は時に応じてノックして思い出させてくださるのです。それはほんの小さな出来事がきっかけだったり、眠る前のぼんやり考えているような祈っているような時だったり。子供の時の記憶が詰まっているけれど忘れていた部屋。思い出したくない鍵をかけた部屋。見せたくも見られたくない部屋。悔い改めたいと半開きの部屋。でもその心の部屋の扉を開くとき主の前で自分の姿が映し出され、恵みにより心が軽くなり力が与えられる気がします。

 大切な戒めとしてマタイの福音書22:37で、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なるあなたの神を愛せよ」とあります。確かに神は私たちにこのことを求めておられますが、神ご自身も私たち1人ひとりをこのように思いきり大切にしていて下さっているのではないか、と思わされました。だからそんなイエスさまが扉の外で待っていてくださるのですから安心して心の部屋の扉を開けて許しと自由と平安、喜びを得るようになりたいと祈っています。

 

 

(教会員・Aさん)

 


『 ひとりのみどりごが生まれた 』

詩篇43:3

イザヤ書9:1〜7

2023年12月10日(日)

 

子どもメッセージ

 先週の火曜日の夜から熱が出てしまいした。熱は下がりましたが正直言うと本調子ではありません。数時間起きているだけで身体が疲れ、だるくなり、その起きていた時間以上寝込んでしまう数日でした。つくづく思わされます、風邪をひくこと・・・体調を崩すことっていやだなぁ・・・と。

 石橋牧師が金曜日の午後に検査を受け、また、クリスマスを前にして「これからだ」というこの重要な時なのに、皆さんに心配をかけるようなことで申し訳なく思っています。でも・・・身体というものは周りの空気を全く読まず、素直です。エナジー飲料(リポ〇タンD)のようなものを飲んだとしても、「気合いだぁ」と叫んで空元気で自分を立ち上がらそうとしても、身体は正直です・・・急ブレーキを踏むんです。自分では決して踏まないブレーキ・・・決して他の誰も踏めない、踏まないブレーキを、身体が勝手に踏んでくれる。「止まりなさい」・・・という信号に身体は従うのです。この意味で、神さまの守りをたっぷりどっぷり感じる数日でした。ただの風邪で長引かないといいのですが・・・神さまに任せるしかないですね。石橋牧師の治療のことを最優先に祈りつつ、僕のことも覚えてお祈りください。

 うつうつとしながら、暗い気持ちで数日を過ごしていました。その中で、今日の聖書を読みました。「真っ暗闇の中で過ごしていた人々は大きな光を見た。」ピカッと!「暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」。ピカッと!落ち込んでいる時にこの聖書のお話を想像してみて・・・正直「まぶし過ぎる」と思いました。受け付けませんでした。熱で身体は震え、暗いところで過ごしているのに、いきなり照明が全部付けられ、たたき起こされた感覚でしょうか。あるいは、真っ暗な舞台の上で、スポットライトが突然ピカッとあてられ、どこに何があるか分からなくなる感覚でしょうか。「神さま、わがまま言ってごめんなさい。まぶし過ぎるよ。」と・・・本音を言えばそう感じたのです。

 「真っ暗闇の中で」輝く「大きな光」・・・これはイエスさまのことを思わせる聖書のお話・・・特にクリスマス時期は、イエスさまの誕生を思いながら読むところです。でもそもそも、イエスさまはみんなを圧倒させてしまうほど・・・方向が分からなくなってしまうほどの・・・そのような大きな光だったのだろうかと考えてみました。これらのことを思い巡らしながら、ある絵本に出会いました。「たどりつくまで~ロバと三人の旅」という絵本です。小さなロバの目線から見た、イエスさまの誕生物語です。そのロバがお話の語り手です。僕はこれを読んで、確かに・・・でも僕が想像していたのとはちょっと違う意味で、イエスさまは大きな光であると思えたのです。

 この本は、難民のために書かれた絵本です。銃撃が絶えない戦争とか、何週間もろくに食事を取れないとか、病院に行ってもお医者さんも薬もなにもないとか、工場が爆発して、海も畑も毒だらけになったとか・・・本当だったら居続けたいんだけど、いろんな理由で、逃げなくてはいけない・・・避難しなくてはいけない「難民」一人一人のために書かれた絵本です。

「たどりつくまで ロバと三人の旅」(新教出版社、2022年)

①   すべての難民と、彼らを助けるひとたちに

②   わたしは、男の人に手綱を引かれて歩いてきました。わたしの背中には女の人が乗っています。やがてベツレヘムという町に着きました。

③   その夜、赤ちゃんが生まれました。

④   最初にたずねてきたのは、羊飼いたち。

⑤   その次に、東の国の博士たちが贈り物をささげに来ました。博士たちが帰ったあと、贈り物の乳香のかおりにつつまれて、わたしたちはみな、眠りにつきました。そして、男の人は夢を見ました。おそろしいことが 間近に迫っているという 夢でした。

⑥   男の人は、日がのぼるずっと前に目を覚まして、女の人に夢のことを伝えました。女の人は赤ちゃんを抱きあげて、キスをしました。赤ちゃんの息づかい、やわらかくてあたたかい肌。眠そうに顔をうずめてくると、まつ毛がほおをくすぐります。「もう、行かなくてはね」女の人が言いました。

⑦   ふたりは赤ちゃんをあたたかくくるんで、もう一度キスをしました。男の人がわたしのところにやってきて、頭をぽんぽんと叩くと、一緒に外に出ました。 「さあ行くぞ、相棒。また旅のはじまりだ」出ていくときに、贈り物の黄金をいくらか、宿の主人に置いていきました。他の人たちが、わたしたちに冷たかったときも、親切にしてくれたお礼に。さあ、出発です・・・

⑧   ・・・星空の下、誰もいない通りを抜けて。みんな、眠っているあいだに。見知らぬ人たちが 親切にしてくれることを願って。この旅でも、また。

⑨   野原で、羊飼いたちに出会いました。 そのとき、伝わってきたのは、ささやくような祈りの声、暗闇のなかで、羊たちがうごめく気配、かたく握りしめられた、ごつごつした手、あたたかい思いやりでした。

⑩   わたしは歩き続けました。大切な人たちを背中に乗せて。女の人は、赤ちゃんをだきしめながら 男の人と話をしていました。これまでの旅のこと、見た夢のこと、旅するときに気をつけること、赤ちゃんをいとおしむ思い、行きずりの人のやさしを。

⑪   わたしたちは体をやすめました。男の人と女の人はおびえていたけれど、おたがいから、赤ちゃんがはじめてみせた笑顔から、希望の種を見出そうとしていました。

⑫   そして、ようやくわたしたちは(目的地)エジプトに・・・

⑬   たどりつくことができました。 もうおびえなくてもいい、ほっとできる場所に。

 これは、聖書に登場するイエスさまの生まれた後のお話です。イエスさまは生まれてから間もないうちに、遠い国エジプトに逃げなくてはいけませんでした。誰にもばれないように・・・何も悪いことをしていないのに、あたかも犯罪者のように、そうっと、音を最小限にしながら逃げなくてはいけませんでした。当時の王さまがイエスさまの命を狙っていたからです。お父さんヨセフ、お母さんマリアは怖かったろうなぁ・・・砂漠を通る旅・・・昼間は突き刺さるような暑さ・・・夜は氷点下まで冷え込む危険な旅・・・怖かったろうなぁ。まるで暗闇の中を、次の一歩二歩を探りながら進む旅路だったろうなぁ・・・と思うのです。でも、支えがなかったわけではありません・・・人々から受けた優しさの思い出、お互いのぬくもり、赤ちゃんイエスさまのほほ笑みが光となったのです。人の助けを受けないと生きられない小さな・小さな赤ちゃんイエスさまが大きな・大きな光となったのです。

 

◆「光が強いところでは、影は深い」

 「光が強いところでは、影は深い」・・・この格言はドイツの詩人、小説家ゲーテの言葉です。ある教会のアドベントの説教の中でこの格言が紹介され、それを耳にした当時の僕は「うん?」と首をかしげました。「冷や水を浴びさせられた」ように思えたのです。「せっかくクリスマスを盛り上げようとしているのに・・・」と心の中でつぶやきました。それから10数年経って、やっとあの説教で語られたことが少しだけ分かったような気がするのです。今回調子が優れない中、預言者イザヤが語る「大いなる光」を思い巡らし、「まぶしすぎる」と思えたからです。そんなに明るいのであれば、むしろ暗闇に居させてくださいと思えてしょうがなかったのです。

 「光が強いところでは、影は深い」・・・確かに、光が強くなれば強くなるだけ、影は深く、濃くなるのです。孤独とおののきが深まる。影を濃くすることを意図していなくても、結果的にそうなってしまうのです。脅えて、弱り果てている時は、むしろ影に逃げたくなるのではないだろうか。でも、イエスさまは、脅えて、弱り果てているお一人お一人のためにお生まれになったはずなのに・・・。アドベントのこの時、この矛盾と葛藤し続けなくてはいけないように思うのです。

 

◆  十字架の光は影を生み出さない

 先ほど一緒に読んだ絵本の物語・・・赤ちゃんイエスさまが難民としてエジプトに逃れる物語はマタイによる福音書だけに登場するものです(マタイ2:13~18)。そして、今日のイザヤ書9:1~2節は、同じく、マタイによる福音書だけに登場するみ言葉です(マタイ4:15~16)。マタイを丁寧に読めばこのように読めるのではないかと思うのです。夜逃げをしなくてはいけないという経験を通らされたイエスさま・・・命追われる恐れの記憶を持ち続けたイエスさま・・・そのイエスさまが「暗やみの中に歩んでいる人々の大いなる光」となったということです。生まれた瞬間から、イエスさまは、世の中の破れを経験したのです。それ故に、イエスさまの光は決して恐れや孤独を深めるようなものではありません。小さな・小さなみどりごイエスさまが大きな・大きな光なのです。「まぶしすぎる」ということはあり得ません。イエスさまは影に脅える私たちのおののきを痛いほど知るからこそ・・・いのちがけで知るからこそ、影をつつむようなおおいなる光なのです。

 後程、讃美歌176番「主は豊かであったのに」を歌います。先日祈祷会で歌いましたが、あまりなじみのない曲であると耳にしました。せっかくなので、繰り返しのところの歌詞を見たいと思います。

主は豊かであったのに 貧しくなられた

わたしたちが主によって 豊かになるために

 十字架に至るまで、貧しくなったイエスさま・・・十字架に至るまで、影というものを知るようになったイエスさまなのですから、私たちに与えられた豊かさ・・・光は本物です。イエスさまの光は影を深くしないどころか、影を作らないのです。影そのものを十字架上で自ら引き受けたのですから。私たちが豊かになるために。

 

◆ 光を求めて

 ある意味でここ数年は、暗いトンネルを通らされるような経験ではなかったのでしょうか。今も暗いトンネルの中をひたすら通っている人もおられるのでしょう。見えないコロナに対応する日々。所得以外は、何もかも値上げ、値上げ。日々の買い物の値段すら安定しなくブレブレなのです。それに加えて、紛争の知らせが途切れることなく届く日々。本来麻痺してはいけないと分かっているのに・・・麻痺してしまっている自分がいるように思うのです。そう考えると、私たちは、破れに満ちた暗い時代に生きていると言わざるを得ないような気がしてなりません。だからこそ、光が求められているのではないでしょうか?影を生み出さない光が欲しい・・・皆さんもそうですよね?

 このアドベント・・・祈りを深めましょう。十字架の光が灯されるクリスマスでありますように。空元気のような灯でありませんように。脅えていてもいい・・・悲しんでいてもいい・・・横たわっていてもいい・・・それでも赤ちゃんイエスさまのほほ笑みを分かち合う深い喜びのクリスマスでありますように・・・と。

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 拒まれたしるし 』

詩篇118:22~23

イザヤ書7:10~17

2023年12月3日(日)

 

子どもメッセージ

 私の人生は一つの手紙が届くことで一瞬にして崩れてしまいました。決して長い手紙ではありませんでしたが、それを読み、息が一気に吸い取られたような気がしました。冷や汗がジワーと出てきて、足がすくみ、あたかも雑巾であるように、内臓がキューっと最後の一滴まで絞られたような感覚でした。

私たちの毎日は出来事の連続です。学校に入学する。はじめてスキーに行く。好きな人ができる。入院をする。ケガから回復する。数えきれない出来事が起こり続けますが、その中でも決定的な出来事というものが起こるのだと思います。他の事に比べれば、ずば抜けて自分に大きな影響を与える事です。あれがあったから、今の自分があるという、忘れたくても、忘れられない事を経験するのでしょう。その事が起こることで、今までの自分には戻れないのです。

僕にとってそのような出来事は一つに絞ることはできません。今日は、僕が26歳の時に起こった事を紹介したいと思います。仕事場から手紙が速達で届いたのです。速達で届くということは、郵便局の配達員が手紙を手渡ししてくださるということです。とても大事な手紙だから、手渡しされるということです。急いで封を切り、手紙を取り出し、読みました。その手紙の内容は、短く言えばこういうものでした・・・もう仕事に来なくていいですよ・・・と。仕事を失ったのです。

仕事を失うこと・・・みんなには少し分かりにくいことだと思います。たとえをすれば、一生懸命頑張ってきた部活・・・汗水一緒に流してきた仲間・・・そこから「もう二度と来なくていいですよ」と言われるような感覚でしょうか。あるいは学校そのものから、「もう明日から来なくていいですよ」と言わるような感覚でしょうか。決して嬉しいことではありません。

自分でも驚きましたが、仕事を失うということは、相当な打撃でした。僕は中学生ぐらいまで、暗いところがとても苦手でした。親が留守の時は、家の部屋の電気を全てつけたままにしたこともありました。暗い所が怖いと思ったのは、影に知らないものが待ち構えている可能性があると思ったからです。でも仕事を失ったその時の自分は、反対に、明るい所が怖かったです。平日の朝は最悪でした。マンションに住んでいましたので、近所の人たちが仕事に出かけていく音が聞こえてくるのです。仕事を失って、僕は朝出かけて行くところがありませんでした。みんなが忙しく仕事に出かけていくのに、僕は取り残されたような気がしたのです。「あ、本当に仕事を失ってしまったんだ」という現実が突き付けられたのです。

僕は中学生になった時から、教会に通うことはほとんどありませんでした。仕事をはじめてからは、年に一度教会に行くか行かないかという時期でした。けれども、神さまにお祈りをすることは決して珍しいことではありませんでした。仕事を失ったその時期は、同級生や仕事の仲間が僕よりも早い段階で仕事を失っていました。ですので、「もしかしたら僕も仕事を失うかもしれない」とうすうす感じていました。そのため、結構頻繁に祈っていました。「神さま、頼みますよ。守ってくださいね。」と。そして付け加えるように「神さまの御心であれば」と。そういえば僕の願いが叶うと思っていたような気がします。

いざ仕事を失うと・・・正直どう祈っていいか分かりませんでした。でも徐々に神さまに本音をぶつけるようになりました。「神さま、何で?神さまって、善い神さまではないの?僕はどうすればいいの?」。神さまは僕をいじめているのではないかと思いました。あるいはこのようなことも抱きました。「神さまは僕に罰を与えているんだ。やらかしてきたので、それらの当然の報いだ。威張り高ぶる僕を砕いているんだ。」と。時には怒り、時には自分を責め、神さまは遠く冷たい神さまとして感じていました。太陽が出ても、心が晴れることはありませんでした。つくり笑みを浮かべることはできましたが、心からの笑顔はありませんでした。電気スイッチのように、一瞬にして安心感を与えてくれるものは見つかりませんでした。

その時から、人生ではじめて自分の足で教会に行くようになりました。神さまに「何でこんなことが起きるの?」と疑問を抱きつつ、同時に、「きっと神さまは次の一歩を与えてくださるだろう」とうすうす信じていました。仕事をしている時はほとんど親に連絡することはありませんでした。でも教会に行けば親がいましたので、久しぶりに親と時間を過ごすことになりました。新たな仕事を探していましたが、比較的時間が有り余っていましたので、週に一度、今ここでやっているお弁当プロジェクトのようなところでボランティアをしていました。東京は札幌より人が多く、雪もなく、外で生活をしている方々と巡り合うことは珍しくありません。公園や橋の下で住んでいる方が主に、700人ぐらい毎週集まっていました。そのボランティアに加わり、自分の大変さが違うふうに見えたような気がしました。悩んでいるのは自分だけではないんだなぁ・・・むしろ、自分の大変さは自分が思っているほどのものなのだろうか・・・と考えるようになりました。半年ほどこのように過ごし、徐々に感じたことは、「僕は愛されている」ということでした。仕事があるからとか、忙しくしているからとか、がっつり稼いでいるからとか、元気にしているからとか、そういうこととは全く関係なく「ありのままの自分が愛されている」ということでした。

26歳の時、会社から「もうこなくていいよ」という内容の手紙が届き、人生が崩れてしまったと思えてなりませんでした。苦しかったです。辛かったです。呻いてもがきました。けれども、その経験を通らされて与えられたのは辛さだけではありませんでした。新たな確信も見えたのです。「ありのままの自分が愛されている」ということです。

今日は、僕の、26歳の時の証しをお話しました。改めて振り返って思わされるのは「自分が望むように人生が進むことが幸せなんだろうか?」ということです。辛いことは文字通り辛いです。でもその向こう側はないのだろうか?辛さだけなんだろうか?そのうちでも神さまからの祝福のささやきが聞こえてこないだろうか?そんなことを今日は考えるきっかけになれればと思うのです。

 

 よーいドン!待て!

 アドベント(待降節)に入りました。キリスト教会の伝統でいうと一年を開始する季節です。この伝統に倣うのであれば、今日の礼拝が教会の“元旦”礼拝です。「新年明けましておめでとうございます」という挨拶がふさわしいということになります。

ともかく、今日がアドベントの始まりです。聖書に登場する人々が救い主の到来を数百年にわたって待っていたことをなぞり、再びイエス・キリストの来られることを待望する四週間に入ります。イエス・キリストの誕生を待ち望む季節です。一年の始まりが待つということ・・・神さまが起こされる御業を待つという時から始まることは興味深いことではないでしょうか?「よーいドン!」と一年が始まり、いきなり待つのですから。「神さまを待つ」ということは、今日の聖書から聞こえてくるみ言葉に通じるものがあると言えるでしょう。このことについては、後程触れたいと思います。

 

 拒まれたしるし

私たちの教会では、この3年間、年間聖句を「その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」を掲げてきました。これは、イエスさまが誕生する場面で、マタイによる福音書に登場する聖書箇所です。でもその起源は、今日読んでいるイザヤ書7章にあります。マタイによる福音書を読むと、「インマヌエル 神われらと共に」という神さまからのしるしは、非常に肯定的に語られていることがすぐに伝わってきます。けれども、マタイの時代から800年近くさかのぼった、預言者イザヤの時代では、肯定的なしるしどころか、全く受け入れられず、拒絶されたのでした。

 預言者イザヤが活動した時代は紛争の時代でした。人々は混乱のただ中にありました。北から攻めてくる二つの国があり(北イスラエル王国とアラム王国)、それらの国よりさらに北にあるアッシリア帝国の助けを求めたのでした。そんな時、預言者イザヤが神さまからの託宣を預かり、王さまのところに遣わされたのでした。八方ふさがりになるような状態に追い込まれていましたので、王さまが期待していたのは、日に日に悪化していく情勢を一気にひっくり返す、切り札となる必殺策だったのでしょう。けれども、王さまに届けられた、神さまのメッセージは、その期待を完全に裏切るようなものでした。このような内容でした。「アッシリアとの軍事同盟に頼らずにただ神を信ぜよ。恐れるな。戦は負ける。苦難は深まる。」このメッセージのしるしとして、生まれてきた王さまの子がインマヌエルと名付けられたのです。

 

 拒まれても、なおも共におられる

 皆さんがこの当時の王さまであったら、神さまからのメッセージ・・・インマヌエルというしるしをすんなり受け入れたでしょうか?僕であれば、当時の王さまと同じように拒んだと思います。というのも、先ほどの証しで紹介したように、自分が思い描いている人生が崩れる時・・・最初の反応は拒絶なのです。即拒む私たちなのでしょう。それでも神さまは本当に忍耐深い、自愛に溢れたお方です。「インマヌエル 神さまがともにおられる」という支えのしるしを送ってくださるのです。遠くから、混乱する私たちを眺めているのではありません。自ら泥をかけられ、傷だらけになり、痛みを負いながら、脅える私たちと共にいるのです。神さまからの導きを拒絶し続ける私たちであっても、共にいてくださるのです。神さまの忍耐という愛情に圧倒されないでしょうか?

 

 留まること

私たちが今生きている時代は“すぐに”という考えが浸透している時代であると言えるでしょう。ネット注文すれば“すぐに”何でも配達されるのです。物事を調べようとすれば、ネットで“すぐに”それが手に入るのです。益々、待つということ・・・神さまのみ業を待つということが難しくなっているのでしょう。“すぐに”回復したいのです。“すぐに”痛みから抜け出したいのです。V字回復、それが強さの象徴であるというメッセージをあらゆる方面から聞かされているのではないでしょうか。

今日のみ言葉を見る限り、神さまの導きというものは、自分がいる暗いところをさ迷い回るという困難な作業を重ねることなのではないでしょうか。預言者イザヤは言いました。「ただ神を信ぜよ。苦難は深まる。」と。預言者イザヤの時代の後、神の民はバビロン捕囚という時代を通らされました。そこで、苦難を共にするインマヌエルを見出したのです。人々が「捨てられてしまった」「見放されてしまった」と思いこんだ時に見つけたのは、共に涙を流す神さまでした。後に、イエス・キリストご自身が十字架上で「捨てられ」「見放された」身となり、神さまの無限の愛をお示しになったのです。私たちの思う最善の道が崩れる時に、苦しみますし、呻きますし、もがきます。けれどもそこで見出すのは「ありのままの自分が愛されている」ことなのではないだろうか。

神さまは私たちの人生の営みで経験する予期せぬ痛みをも用いて、私たちの想像をはるかに超える善き業をなしてくださるのです。そしてそのほとんどの場合、その善いこととは私たちの内側から始まる変化なのです。私たちが自我を手放していくのであれば、神さまが最善の道筋を見せてくださるのではないだろうか。

 

(牧師・西本詩生)