『 わたしのために打たれた 』

ペテロの第一の手紙2:24

イザヤ書53:1~8

2023年11月26日(日)

 

子どもメッセージ

 雪が降りました。ここ数日で一気にクリスマス・・年末年始を意識するようになったのは僕だけでしょうか。僕が小学生のころ・・・この時期になると親戚を訪ね、あるいは、逆に親戚が自分たちの所に訪れることが一つの楽しみでした。僕の場合はそもそも日本に住んでいませんでしたので、親戚と会うこと自体、かなりの長旅をしなくてはいけないということでした。ですので、特別感を感じ、この時期になるとウキウキしていたことを思い返します。ただし、そういう親戚の集まりで「ちょっと苦手だなぁ」と思うことがないわけではありませんでした。その一つは、みんなが食事を囲んだ時に、僕のことが話題となった時でした。「しなるがこんな小さい時はね・・・」というような話でした。嫌だったというよりは、恥ずかしかったのだと思います。そして僕の生い立ちに関して、うちの母ちゃんは鉄板ネタを幾つか持っていました。

うちの母ちゃんの鉄板ネタの中でとびっきり恥ずかしくなるお話がありました。家族で海に遊びに行った時のことです。僕がまだ小学生低学年の時のことだと思います。その海辺には、巨大なウニが沢山いて、それらを上手に避けて泳がないと傷だらけになってしまう・・・そういう場所でした。北海道のウニはせいぜい直径10cmほどのものだと思いますが、その地域のウニは最低でも直径20cmはあったと思います。ウニを避けるという意味では、注意していないといけない場所でしたので「一人で海に入らないように」と親から結構強めに言われていたのだと思います。でも、久しぶりの海であったということもあり、テンションが舞い上がっていたのでしょう・・・僕は一人でふらっと海に入ったのでした。気がついたら、巨大なウニに囲まれ身動きが取れず、パニックになり助けを求めて思いっきり叫びました。尋常じゃないほどの叫びを耳にした母ちゃんは、僕がおぼれていると思い、躊躇せずに海に飛び込み僕を助けてくれたのでした。母ちゃんは僕がおぼれているのだと思い込んでいましたので、それなりの水の深さがあったと思って飛び込みました。でもいざ海に飛び込むと、ものすごく浅く、ウニだらけだったので、母ちゃんはあちらこちらウニにさされ、かすり傷だらけになってしまった・・・さんざんな思いだったというお話でした。なぜこれが母ちゃんの鉄板ネタであったかというと、それには理由がありました。この一連の事が起きている間、僕の父ちゃんは何をしていたかというと「俺は荷物を見ているから・・・」という一言で、父ちゃん自身ではなく、母ちゃんが僕を助けるように促したのでした(今日ここでこの話をしたことは内緒にしといてくださいね)。今考えてみれば、どちらかというと、うちの父ちゃんが恥ずかしくなるためのお話でしたが、親戚や家族ぐるみの友人が集まる度にこのネタが紹介され・・・僕はとても恥ずかしかったことを思い返すのです。母ちゃんにもうしわけないことをしてしまったなぁという思いでした。でも恥ずかしいという思いだけではありませんでした。同時に「母ちゃんは傷だらけになるまで僕を助けてくれたんだなぁ」と思わされ、心が暖かくなっていたことを思い出すのです。それだけ僕のことを愛し、大事なんだという思いを込めて、あの思い出を鉄板ネタとしていたのかなぁと今になって思わされるのです。

傷を負うほどまで、愛情というものは人を突き動かすということは今日のテーマだと言えるでしょう。

神さまは私たち一人一人を愛していると聖書は言います。そしてこの愛は、イエスさまが十字架にかかることで示されたと言うのです。どういうことなのでしょう?イエスさまは傷だらけのまま十字架にかけられました。偶然そうなったわけではありません。傷だらけになることを知っていたにも関わらずあえて十字架に向かいました。右にも左にもぶれることなく十字架の辛さを引き受けたのです。自分が受ける傷・・・その辛さはとても価値があるものだと思えたのです。なぜなら、自分の傷によって、私たちが癒されることを知っていたからです。自分の命をささげることで、私たちが生かされることを知っていたからです。自分の命以上に、私たちが価値ある一人一人であるから、イエスさまは十字架で命をささげたのでした。それほどまで、イエスさまは私たちを愛しているのです。「わたしのためにイエスさまは十字架にかかった」・・・このことによって今生かされていることを今一度噛みしめたいと思わされるのです。

 

 イザヤ書の「苦難の僕(しもべ)」にイエスさまを見る

今日はイザヤ書53章から読んでいますが、「苦難の僕(しもべ)」と呼ばれるところです。こどもメッセージでは、ここで登場する「苦難の僕(しもべ)」とは、イエスさまご本人であることを前提でお話しました。新約聖書では2か所のみで引用されるところですが(ルカ22:37、使徒行伝8:32)、「イエスさまは私のために苦難を受けられた・・・私の罪の故に罰せられた」という信仰は、キリスト教の教えの一つの中心であると言えるでしょう(専門用語:贖罪(しょくざい)信仰)。

来月、クリスマス・イブ礼拝でヘンデルのメサイアが歌われる予定ですが、作曲家であるヘンデルは今日の「苦難の僕」から最も影響を受けたと言われています。そもそも、この「苦難の僕」自体讃美歌として歌われていたのではないかと思われています。全宇宙の創造主である神さまが命を絶たれることを物語っているのですから、言葉だけでは伝えきれない凄まじいものがここに秘められていると思わされ、人々は魅了され続けてきたのです。皆さんもそうではないでしょうか?

 

 「打たれた傷によって、われわれはいやされた」

それでも文字通りここで綴られていることを想像してみると・・・美しいものは浮かんできません。神さまご自身が、全ての人からあざけられ「輝きもなく、誰も慕(した)うような見ばえもない」姿になったというのです。「人に捨てられ、悲しみ、病と痛みを知る者」となったのです。常識で考えれば、ここで描かれている姿は避けたいものだと言えるでしょう。なぜこのような姿に引かれるのでしょうか?

もしも、イエスさまが私たちの痛みと病について無知であったとしたら、一体どんな神さまだったのでしょうか? 傷のない神さま・・・痛みを知らない神さまはそもそも神さまなのでしょうか。親近感が全く沸きません。逆に、痛む、傷ついた神さまは、私たちと同じであり、仲間であり、それゆえに心から信頼できる相手なのではないでしょうか?神さまが傷を負われるということは、涙が絶えない世界とつながり続けてくださっていることを物語っているのです。その只中でもがき続けてくださるのです。それ故に、一緒に十字架を背負わないかというイエスさまの招きが、福音として聞こえてくるのでしょう。イエスさまと一緒に背負うからです。

こんなことを言ったらわがままでしかないのかもしれませんが、癌や腫瘍やくも膜下出血その他病、または日に日に体が衰えていくこと・・・私たちを翻弄させ悩ます事を知らない神さまは全く望んでいません。私の母はもがきながら最期の息を引き取りました。思い返すと、未だに言葉で表すことができない虚しさを感じます。深い痛みと恐れを抱かずにいられない私たちにとって、手入れが行き届いていて、まともな姿のキリストは救いにはならないのではないでしょうか?

私たちはしばしば、醜いものを隠したり、美化したりするのかもしれません。けれども、いくら磨いても美しくできないものがあるのです。罪とは、その最たるものかもしれません。イエスさまは醜い者そのものとなり、その痛みと悲惨さを自らのものとしたのです。イエスさまの十字架上の砕かれた体を通して、神さまは私たちの傷を癒してくださるのです。

イエスさまの傷は神さまの愛の深さ広さを思い知らせてくださいます。もしも傷がなかったら、神さまは本当の愛であるとは言えないでしょう。愛の故にイエスさまの体は押しつぶされ、砕かれたのでした。愛のゆえに傷つけられ、痛んだのです。愛のために死ぬことをいとわなかったのです。私たち一人一人が命以上に尊いために、傷を負い続けたのです。イエスさまの傷に触れると、神の愛を知るのです。「わたしのためにイエスさまは十字架にかかった」・・・このことが癒しとなるのです。

 

 IJCS(シンガポール国際日本語教会)の誕生

 今日から来週の日曜日にかけて、女性信徒の会のリードで、世界バプテスト祈祷週間として過ごそうとしています。国外宣教について思いを巡らせ、祈りを深める時として過ごしたいものです。

 私はシンガポールで6年半過ごし、ちょうどその時にIJCS教会が発足した時でした。IJCSは今年で創立28年目を迎え、初代牧師が加藤享牧師、そして現在は伊藤世理江先生が牧会をなさっている教会です。IJCSの誕生の歴史を振り返ると、ある決定的な出来事がきっかけとなったと言えるでしょう。ある方が「わたしのためにイエスさまが十字架にかかった」という、今日のこのお話のテーマに心打たれたという出来事でした。

 80年代、90年代、日本企業が続々と東南アジアに進出し、そのためにシンガポールにおける日本国籍を持つ人口が増え続けていました。後に、シンガポールバプテスト連盟の総主事になられたジョン・チャン牧師は、シンガポールの在住日本人への伝道を祈り課題として抱いていました。というのも、ジョン・チャン牧師は心のしこりのようなものを抱えていたのです。

 チャン牧師は父を日本軍の侵略の故に亡くし、チャン・チンホーさんという熱心なクリスチャン女性に養子として迎えられ、我が子として育てられました。チャン・チンホーさんは女子教育のために人生をささげた方でした。長年夢見ていた女子中学の建物ができ、軌道に乗ったところで、日本軍統治がはじまり、学校は軍事施設として没収(ぼっしゅう)されてしまいました。いつまでも日本への憎しみを抱き続ける尊敬する母親を見て、ある日、牧師となったジョンが意を消してお母さんに伝えました。「お母さん、いつまで日本人を恨み続けるのですか」。チャン・チンホーさんは、その言葉を飲み込むようにして、自分の部屋に閉じこもってしまいました。数日後、部屋から出てきたチンホーさんは、ジョンに言いました。「わたしが間違っていた。イエスさまは私のためにも十字架にかかったけれども、日本人のためにも十字架にかかった。あなたは日本に行って、シンガポールにいる日本人に福音を伝える宣教師を送ってくれるように頼んできなさい」。この出来事の後、すぐに日本バプテスト連盟から宣教師が派遣されたわけではありません。チャン牧師は何度も日本に足を運びましたが、宣教師を送るという要請に対して日本側の連盟は特に消極的であったと聞いています。けれども、チャン牧師はあきらめませんでした。自らのお母さんが十字架の故に心打たれ、憎しみを乗り越えようとするその姿は大きな原動力となったのではと思わずにいられません。

 今日ここで紹介した、チャン牧師と母チンホーさんとのやり取りからもう40年近くになりますが、3年前に、今度はIJCS教会から日本の教会(東京北キリスト教会)にお二人の宣教師が派遣されました。発足時には誰もこのような広がりになるとは思ってもいなかったと思います。そして、このような物語を発足させたのは「わたしのためにイエスさまは十字架にかかった・・・あの人のためにも十字架にかかった」という広がりだったのです。私たちもこの深い愛と真実に押し出されたいものです。

 

(牧師・西本詩生)

 

 


『 主なる神さまが助けてくださる 』

哀歌3:25~26

イザヤ書50:4~11

2023年11月19日(日)

 

子どもメッセージ

 皆さんははじめて聖書のお話を聞いたのはいつのことでしょうか?母ちゃんのお腹の中にいた時から聖書のお話や讃美歌を聞いていたというお友達もいるでしょう。または、ある程度年を重ねてからはじめて耳にしたという人もいるでしょう。僕のことで言うと・・・僕は、いわゆる“クリスチャン家庭”に生まれませんでした。僕が小学校6年生の時、その年に、家族みんながバプテスマを受けました。それまで、うちの家族の誰もクリスチャンではありませんでした。ですので、聖書のお話を耳にすることや、お祈りをするという習慣は生まれた時から我が家にあったわけではありません。僕は、はじめて神さまのことを知らされたのは、キリスト教系の小学校に通うことになってからです。その学校は、牧師や宣教師の子どもたちの教育のために・・・この一点のために立てられた学校でした。ですから、聖書を勉強することについては、ものすごい熱心でした。毎朝、朝一の授業で、約1時間、かかさず聖書の勉強をしていました。ざっと計算すると、小学校6年間で、800時間以上聖書のお話を聞いて、暗誦聖句を覚えるということをしていました。今日ここで自慢話をするためにこのようなことをお話しているのではありません。というのも、当時のことを思い出そうとしても、教わった細かな内容はほとんど思い出せません。僕の小学校の先生たちがこのことを聞いたら、がっかりするに違いありません。けれども、聖書のお話を繰り返し聞くことで大事な「何か」が養われ、育まれ、与えられたと信じています。与えられたその「何か」を一つの事に絞ることはできませんが、「神さまがいつも助けてくださる」という考えはこれまでの僕の人生を支えてきたと思わされるのです。「神さまがどんな時でもいつでも助けてくださる」・・・「このことで、私も励まされてきた」という人は、僕だけでなく、ここにいる他の人もうなずけることだと思います。

 「神さまが助けてくださる」・・・それは、何でもかんでも願いが叶えられるということでしょうか?こうお願いすれば、その通りになるように神さまは助けてくださる。そうであってほしいと思うほうが自然かもしれません。そして、そう願うのは僕だけではないようです。

以前もここで紹介したことがありますが「かみさまへのてがみ」という絵本があります。アメリカの幼稚園児や小学生低学年のお友達が「かみさまへのてがみ」を書いたものを集めた本です。そこにこんなお祈りがありました。

「かみさま、 わたしは 2かいも ほしに おねがいを いいましたが、 なにも おこりません。 どうなってるの? アンナ」

「かみさま、 ぼくの ほうは やくそく まもったんだよ、 じてんしゃは どこ? バート」

「いつも どようびには あめを ふらさずに おくことぐらい どうして できないの? かみさまは かみさま なんでしょ ローズ」

「かみさま、 おとうとを ありがとう でも わたしが ほしいって おいのりしたのは こいぬなんだけどね ジョイス」

「かみさま、 はるが くるのを ずっと まっているのに まだ ぜんぜん こない。 わすれないでね。 マーク」

 神さまは何でも聞いて下さり、どんな時でも助けてくださるはずなのに、願ったようにはならない・・・このことで、ちょっぴり不安を感じたり、不満になったりしている様子が伝わってきます。これって、結構あることですよね。僕はそういう思いになる時がいっぱいあります。皆さんはどうでしょう?「本当にお祈りを聞いているの?」と神さまに訴えたくなるのです。願うようにならないんだから・・・お祈りをするのも諦めちゃうかなぁと思うこともあるかもしれません。

 「神さまがいつでも助けてくださる」・・・それって、お祈りがその通りに叶えられなくても本当なんだろうか?つまり、どういうことになれば私たちは「神さまの助け」を感じるのでしょう?「神さまの助け」ってどういうものなんでしょうね?思い通りになることが「神さまの助け」なんでしょうか?そんなことを考えるきっかけになれればと思うのです。

 

 こんなに大変なことになるなんて・・・

 「神さま、本当にお祈りを聞いているんですか?」そんなことを思わされる、ビクター君のお祈りがありましたので、紹介したいと思います。

「かみさま、 そんなに なんでも わかってるなら、 どうして せかいじゅうの みずがきても だいじょうぶなくらい かわを おおきく つくらなかったの? うちは こうずいで みずびたしになって ひっこさなきゃ なんないんだ ビクター」

 ビクターとビクターの家族が住んでいた家は川が氾濫したことで水浸しになり、その結果、引っ越さなくてはいけないことになってしまったようです。「こんなに大変なことになるなんて、神さまひどいよ」と、僕がビクターだったら思っていると思います。というのも、実際そのように僕は祈っていた・・・祈らずにいられなかった時期があったからです。「こんなに大変なことになるなんて、神さまひどいよ・・・どうしてくれるんだ」と思っていた時期がありました。

 それは僕が30歳の時でした。20代半ばで「失業」という人生の挫折を経験し、小学校以来ろくに教会に行っていなかったのですが、そのころから自分の足で教会に通うようになりました。今振り返れば、小学校で養われたみ言葉が自分を突き動かしたのだと思わされるのです。いざ自分の足で教会に行きはじめたら、次第に信仰を磨くことに思いっきり熱心になっていました。自由時間があれば祈り、年に2回は聖書を通読する日々を過ごしていました。

 ある意味で、人生で最も信仰に燃えていた時に、ある事件に巻き込まれてしまいました。単身で海外出張をしていた時のことです。4人の集団に、車に入れられ誘拐されてしまったのです。2時間ほどの拘束だったと思いますが、脅され、殴られ、ナイフを首に突きつけられました。持っていた現金は盗まれ、それでも体には大きな傷もなく自由にされました。体の傷はそれほどのものではなかったといっても、精神的なショック・・・信仰への衝撃は相当なものでした。「こんなに大変なことになるなんて、神さまひどいよ・・・どうしてこんなことになるんだ。こんなにも燃えていたのに。」と、しばらくはそうとしか思わずにいられなかったのです。

 

第二イザヤ(イザヤ書40~55章)の背景と「主の僕(しもべ)」

 イザヤ書を読み進めていますが、40~55章は、イスラエルの人々が、自らの国の滅びを経験し、バビロニアという異国で捕囚の民として過ごしていたことが背景にあると言われています。今日の50章は神さまの促しに聞き従う「主の僕(しもべ)」の姿が描かれています。実際、今日の箇所にあることを成した預言者を描いているところです。6~9節を見ると、「主の僕(しもべ)」はひどく迫害されていることが伝わってきます。ひげまで抜かれてしまったようです。迫害をしているのは誰なのでしょう?それは預言者の同胞、捕囚となったイスラエルの民の一部の人のようです。

 バビロニアに連れ去られた人たちはおおよそエリートの人たちでした。つまり、読み書きもでき、聖書には精通していて、神殿が燃やされるまでは礼拝を忠実に守っていた人も少なくなかったと思います。神殿があれば大丈夫だと信じていたのです(エレミヤ7:4)。でも、その神殿が燃やされ、全てを失ったのですから、どん底に落とされたことだと思います。バビロニアに連れ去られた人々の中には神さまを疑う人は少なくなかったのでしょう。「こんなにも大変な時に、神さまは助けてくださらないのか?神さまは敵国の神々に負かされてしまったのではないか?」と。この人たちの思わされたことは、人事ではないような気がするのです。僕もどん底に落とされた時に、何もかもがめちゃくちゃになったと思い「神さまひどいよ」と思わずにいられなかったからです。

 神さまの存在そのものを疑うことのほうが自然であったその状況の中で預言者である、「主の僕(しもべ)」が立たされたのでした。うろたえて、疲れ果てて、毎日・毎日をなんとなくこなしていき、生きる意欲が消えうせていく同胞たちに寄り添い、助けと支えを与えたのでした。「大丈夫だ。神は助けてくださる。主なる神は今も生きて働いておられる」という励ましを与えたのでした。けれども、状況としては変化がすぐに訪れたわけではありませんでした。中には、神さまに対して完全に失望し、自分の頑張りしか信用できないという人も出てきたのでしょう。このことも他人事ではないと思わずにいられません。あの事件に巻き込まれ、祈ることすらできないほど神さまを疑い続ける日々でした。

 預言者が「主なる神は必ず助けてくださる」ということを伝えれば、伝えるほど、ある一部の同胞たちからの抵抗が増していったのだと思います。支配する帝国の言いなりに過ごすという苦痛の現実は何も変わらなかったからです。それでも、預言者は朝ごとに、神さまの励ましの言葉を耳にし、最もそれを必要とする人々に届け続けたのでした。バッシングを受けようが、ひげが抜けられようが、殴られようが、黙々と与えられた使命を果たしたのでした。

 

「主の僕(しもべ)」イエスさま

 キリスト教の伝統ではここで登場する「主の僕(しもべ)」は、最も完全な姿として、イエスさまが顕してくださった・・・成就なさったんだと信じてきました(ローマ書8:32参照)。僕は本当にそうだなぁと思わされるのです。誘拐されるという、とんでもない事に巻き込まれ、私は神さまと目いっぱいケンカしました。「神さまひどいよ!何が助けなんだ?僕を見捨てたじゃないか。」と言いたいほうだい、僕は神さまに投げつけました。今日の聖書を読むと、僕のその攻撃を、イエスさまは真っ向から受け止めてくれていたのです。6節にこうあります「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬(ほお)をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。」。僕からの一方的な攻撃をイエスさまは受け止めながら、「その痛み、その怒り、その虚しさ、その孤独さ・・・苦しいような・・・分かるよ・・・さぁ全部私が引き受けるから」と言ってくださっていたのだと思えてなりません。僕がどん底の中でもがく中・・・イスラエルの民が希望を失った中で・・・主なる神は共にいてくださったのです。全ての痛みと涙と苦難を自らが引き受けながら、十字架のイエスさまが共にいて下さるのです。

 「主なる神さまが助けてくださる」・・・それは、望む通りに物事が順調に進むという意味ではないのでしょう。思い描くようにならず、落胆し、失望する繰り返しであるかもしれません。でもこれだけは断言します。そのような道筋の中で負う痛みと恐れとどうしよもなさを、イエスさまは逆らわず、逃げもせず、全身で受け止めて下さるのです。それほどまで、お一人お一人を愛しぬくのです。「主なる神さまが助けてくださる」という砦・・・確かなよりどころは、消えることが絶対ないのです。

 

(牧師・西本詩生)

 

 


『 限られた人たちだけでなく、すべての人たちの光として 』   

ヨハネによる福音書1:9 

イザヤ書49:1~6

2023年11月12日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 最近、仏教や神社(じんじゃ)神道(しんとう)、立正佼(りっしょうこう)成会(せいかい)っていう他の宗教の人たちと、一緒に勉強する勉強会に出させてもらっています。そこで教えてもらったわけではないんだけど、仏教のお話にこんなお話があるそうです。『三尺(さんじゃく)三寸(さんずん)の箸(はし)』というお話です。

 ある男が、地獄と極楽の見学に出かけました。

 最初に地獄に行ってみると、ちょうどお昼ご飯の時間でした。食卓には、地獄に落ちた人たちがズラリと座っています。男は「ここは地獄なんだから、きっと粗末なご飯が出てくるんだろう」と思って見ていました。すると、なんと豪華なご馳走が並べられるではないですか。だけど、それにしては、そこに座っている人たちは、みんなガリガリに痩せています。「おかしいなあ」と思って見ていると、地獄の人たちの持っている箸は、三寸三尺(約1メートル)もある、とっても長い箸でした。箸が長いものだから、つかんだ料理をみんな必死に自分の口に運ぼうとするんだけど、うまくいかないんです。イライラして、料理の取り合いまで始まりました。

 さて続いて、男は極楽に向かいました。こちらはちょうど晩ご飯の時間でした。極楽の人たちも、食卓を囲んで座っています。そして、こちらに並んだ料理も、地獄に負けない豪華な料理でした。ですから、極楽の人たちは、良い体つきで、みんなニコニコしていました。でも、男がふと目をやると、極楽の人たちの持っている箸も、三尺三寸ほどある、とっても長い箸なんです。男は「はて、いったい極楽の人たちは、どうやって料理を食べているのだろう?」と不思議に思いながら見ていました。すると、極楽の人たちは、この長い箸でご馳走を挟むと、「どうぞ~」と言って、自分の向こう側の人に、それを食べさせたんです。そうすると、食べさせてらった人もニッコリしながら、「ありがとう。今度はそちらがどうぞ~」って、お返ししてあげるんです。男は「なるほど、極楽へ行く人は、心がけが違うわい」って、たいそう感心しました。・・・っていうお話です。

 今日読んでもらった『イザヤ書』の箇所では、神さまの救いは地の果てまで、すべての人々に届くって言われています。自分だけが救われたらいい・・・、自分たちだけが救われたらいい・・・というのではなく、すべての人々に、救いが届くって言うんです。イザヤは、神さまの言葉を、イスラエルの人たちに伝える預言者という働きをした人でした。その頃のイスラエルの人たちは、「神さまは、自分たちだけを愛して、守って、救ってくださる」と信じていました。それで、「神さまが俺たちを愛して、守ってくれるんだから、他の国なんて怖くない!」「俺たちの神さまが、ほかの神さまに負けるはずがない!」って言いながら、神さまのことはほったらかしで、自分たちのやりたい放題をして過ごしていました。神さまはイザヤに、「このまま神さまのことを無視して、自分たちのやりたいことばかり続けていたら、あなたたちの国は滅びることになる」という言葉を伝えるように言いました。そんな誰も喜ばないようなこと、誰が言いたいと思うでしょう?案の定、みんなはイザヤの言葉を聞いて怒りましたし、呆れましたし、無視しました。どんなにイザヤが一所懸命に語っても、誰も耳を貸そうとはせず、相変わらず神さまのことを忘れ、自分たちのやりたい放題にして過ごしたんです。その結果、イザヤが言った通り、イスラエルの国は、バビロンという国に滅ぼされて、人びとは捕われの身として、敵の国に連れ去られてしまいました。そして、連れ去られたイスラエルの人たちは、言いました。「ああ、俺たちの国が負けたということは、俺たちの神さまが負けたということだ・・・。神さまは俺たちのことを見捨てたんだ・・・」って。随分勝手な言い分です。自分たちのやってきたことは棚に上げて、「神さまが俺たちを見捨てた」って言ったんです。

 それから50年くらい、イスラエルの人たちは、連れ去られたバビロンの国で過ごすことになりました。神さまのことを無視して、自分勝手に過ごしてきたことで、自分たちの国を失ってしまったことを、イスラエルの人たちは悲しみながら過ごしました。すっかり肩を落として、真っ暗な中を過ごして・・・、ようやく自分たちの国に帰れることになった時、神さまはイスラエルの人たちに言ったんです。「あなたたちをすべての人たちの光とし、わたしの救いを地の果てにまで届ける」って。自分たちの幸せや、自分たちの救いしか考えられなかったイスラエルの人たちは、そんな身勝手な行動で、自分たちの国を追われて、敵の国で過ごすことになり、肩を落としていたんです。でも、そんなイスラエルの人たちに、「さあ、あなたたちが、すべての人たちの光となるんだ」って、神さまは語られました。「自分たちの国は負けるはずがない!」って自身に満ち溢れていた時のイスラエルの人たちではなくて、敵国で肩を落としていた人たちに、そう語ったんです。それは、そのすべての人たちを照らす光というのは、やがて、あの十字架にはりつけにされ、弱々しく殺されたイエスさまによって表されていく、そんな光だったからだと、ぼくは思います。

 

◆ コロナ禍初期の混乱

 先日、神学部時代同期だった牧師仲間から、「札幌教会はコロナ禍になって、どこよりも早く礼拝を中止したと思うけど、その時のことを聞かせてくれ」と連絡が来ました。研修会で、「教会の困窮はコロナ前から起こっとった」というテーマで話をするのに、参考にしたいということでした。それで、色々説明しながら、久しぶりに当時のことを振り返りました。時は、当時の杉山副牧師がもう4月からは金沢に転任されることが決まり、最後の休暇に入られていた、2020年の2月末のことでした。「2021年の4月から、もう一人の牧師を呼びたい」との願いを持ちつつも間に合わず、「一年遅れてしまうが、牧師として来てもらえないか」と候補に挙がった、当時の西本神学生が、研修に来られていた時でもありました。国に先駆けて、札幌でコロナウイルスの感染が急速に拡大していきました。さまざまな不確かな情報が飛び交う中、教会としてどうするべきかの判断については、全国の他の教会にも、まだ参考になる事例がない・・・というような状況でした。当時はオンライン会議もしたことがありませんでしたので、教会の執事さんたちに相談することすら、容易ではありませんでした。それが正しいのかどうかもわからないまま、礼拝を含めたすべての集会を中止することとし、出来る限りの方法で、教会の皆さんにそのことを伝えるために奮闘しました。2月末から1週間ほど、毎日のように文書を作成しては、メールで執事さんたちに確認を取り・・・、その確認を取っている間にまた状況が変わってしまうため、作った文書の大半は使わないままボツになり・・・そんなことを繰り返していました。その後も、3月いっぱいは一週間に一回は、教会員に向けての文書を作って送り・・・、同時に、どうにか集まらなくても、それぞれの場所で礼拝することのできる方法を必死に整えようとしたことでした。

 

◆ 暗黒を通らされつつ「すべての人」とは?という問いと向き合わされた

 教会が、集まることも、人を招き入れることもできなくなったのですから、こんなに虚しいと感じる時は、ありませんでした。教会の合言葉とも言える「どなたでもどうぞ」という言葉も、虚しく響きました。この会堂で、たったひとりで説教を語ることが、どれほど虚しかったでしょう。だれも来ることのない教会・・・それは、まさに闇でした。外の掲示板は、集会案内を外し、「礼拝を含めたすべての集会を中止しています」と掲げるしかできませんでした。「この混乱の中で、この世に向かって、この教会はこんなことしか発信できないのか・・・」。虚しく肩を落としていた時、その4月から主事として来てくれた間村さんが、使えなかったイースターのチラシを見て、「このチラシ、捨てるのはもったいないので、何かに使えませんかね?」とつぶやきました。そこから、チラシの一部を切り取った用紙に、“感謝と祈りの言葉”を書いて掲示板に掲げるようになりました。少しでも地域の人たちに、温かい心を届けたい・・・。「せっかくだから、地域の人たちにも書いてもらおう」と、外にテーブルと椅子を置いてみると、教会の前を行き交う人たちが、足を止め、“感謝と祈りの言葉”を書いて行ってくれました。それを貼っていくうちに、掲示板や看板だけでは貼る場所が足りなくなり、ドアや窓まで、みんなが寄せてくれた“感謝と祈りの言葉”で埋め尽くされていきました。そんなところから、自然と“教会の外”へと出ていくようになりました。そうすると、これまで出会おうとも・・・、いや、見ようとすらしていなかった多くの人々が、教会の前を行き来していることに気づかされました。地域の人たちと出会うようになり、言葉を交わすようになりました。やがて、札幌豊平教会の行う“とよひら食堂”の活動を手伝わせてもらうようになり、“お弁当プロジェクト”に取り組む中で、この地域には本当に多種多様な人々が住んでおられることを知らされていくようになりました。

 そんな中、改めて自分たちが合言葉のように語ってきた、この「どなたでもどうぞ」という言葉と向き合わされました。「♪わたしたちが住んでいるこの広い地球、神さまはどんな人も愛しておられる~」「♪すべての人のため、イエスさまはこの世へと~」と歌ってきた、その讃美歌の歌詞を噛みしめました。「本当にそう言えるだろうか・・・」「心からそう歌えるだろうか・・・」と。そこには本当にさまざまな人がおり、中には教会には馴染めない人たちもいました。いや、馴染めない人たちがほとんどでした。それでも、その存在が、ぼくにとって異質であると感じられれば感じられるほどに、その人をも含めた「すべての人」を、「どんな人」でも照らす光として、イエスさまが来られたということが、心に迫ってきたのです。おそらく、コロナ禍のスタートというあの暗黒の期間を通らされなければ、ぼくは未だにそのことに向き合おうともしなかったでしょう。でも、神さまはその闇の期間を通らせることで、ぼくにそのことに向き合わせようとされたのだと振り返っています。

 

◆ イスラエルの人々を笑うことはできない・・・

 当時のイスラエルの人々が、神さまの愛と守りと救いとは、自分たちだけに向けられたものだと考えていたのに対し、神さまの愛も守りも救いも、そんな限られた一部の人々だけに向けられたものではなかった・・・ということについて、「そうじゃない方が良かった」と思う人は、きっとここにはいないと思います。そうであれば、“異邦人”の一人であるわたしたちも、その対象からは外れてしまうからです。でも、それは当時のイスラエルの人々にとっては、到底受け入れがたいことでした。それは、彼らにとっての異邦人とは、あまりに自分たちとは異質な存在であると感じられていたからです。でも、ぼくだってそうです。自分にとって、異質な存在を排除し、神さまの愛の対象からも、キリストの救いの対象からも、教会からも、勝手に追い出してしまおうとしてしまいます。それだからか、神さまが日々、自分にとってあまりに異質だと感じられる人々と、出会わせよう、出会わせようとされておられるようで、「神さま、勘弁してください!」と祈らざるを得ません。でも、その度に、あのイスラエルの人々を、「なんて心が狭くて、自分勝手な人々なんだ・・・」と嘲笑う自分自身の嘲りが、そのまま自分に返ってきてしまうのです。

 

◆ 限られた人たちだけでなく、すべての人たちの光として

 ですから、ぼくは「すべての人」という言葉を、容易に語ることができなくなりました。「すべて」というからには、それは限られた一部の人ではないということだからです。「良い人」に限られるわけでもなければ、「好きな人」に限られるわけでもなく、「大切な人」にも「有能な人」にも「特別な人」にも限られないのです。「悪い人」も含まれれば、「嫌いな人」も含まれ、「憎い人」も「無能な人」も「平凡な人」も、みんな含まれるのが「すべての人」だということです。そんなこと、そんな簡単に受け入れることは、ぼくにはできません。それでも、聖書は言うのです。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」と。イエスさまは、限られた一部の人を照らす光としてこの世に来られたのではなく、すべての人を照らす光としてこの世に来られたのだ、と。そして、あの肩を落としたイスラエルの人々に向かって、神さまは、「わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となす」と語られたのです。この教会は今年、創立70周年を迎えましたが、この70年、この教会もそのことを目指して、“地域に開かれた教会”であり続けようと、本当にさまざまな地域活動にも取り組みながら、「どなたでもどうぞ」と言い続けて、ここまで歩んできました。どんな人でも受け入れて、「そのままでわたしのもとに来なさい」と招いてくださる、十字架のイエスさまのもとで礼拝したいと願い、歩んできました。わたしたち自身が、そのようにゆるされ、受け入れられ、ここにいるからです。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」。

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 王ではなく 僕 』

ヨハネによる福音書14:6 

イザヤ書42:1~9

2023年11月5日(日)

 

子どもメッセージ

 自分の家から突然離れなくてはいけない・・・そんな経験をしたことはありませんか?夏休みや冬休みの間どこかへ遠出することとは少し違います。そういう時は、前々から予定を立てて、この日からこの日まで家を留守にすることを知っています。突然、家を離れなくはいけないという経験・・・何か思い当たりませんか?例えば、住んでいるところで雨漏りが生じて、その雨漏りの修理が終わるまで、しばらく家を離れなくてはいけないことがあるかもしれません。または、地震が起きて、家とその周りの安全が確認できるまで、より安全なところで待機することがあるかもしれません。このような経験は決して珍しい事ではないのかもしれません。

僕はこんなことを考えながら、思い出した事がありました。5歳か6歳の時のことでしょうか・・・新しい町に引っ越した時の事です。新しく住む家に引っ越しの荷物が運ばれ、その夜は別のところで泊まっていました。「さぁ明日から引っ越しの整理をするぞぉ!」というところで、住むはずの家に泥棒が入ってしまいました。夜遅くだったのでしょう、誰にも見られることなく、窓のガラスが割られたのです。泥棒が家に入るということは、住めるほど安全ではないということでしたので、安全を確保するためにいろんな修理が入りました。結局、その家に住めることになるまで1週間ほど別のところで過ごすことになりました。この事が起きてから、35年経っていますが、いい気持ちはしなかったことを今でも覚えています。僕の母ちゃんはプンプンに怒って、父ちゃんはとても困っていました。

いろんな理由で突然家を離れなくてはいけないことがあるのだと思います。でもそれらに共通するのは、いい気持ちになるものではないということなのでしょう。引っ越しのように、予定を立てられる旅立ちではありません。ですので、持っていけるおもちゃも限られますし、いつ戻ってこられるかも分からりません。時と場合によっては、いつ学校に戻れるかも分からなく、いつ友達に会えるかも分かりません。全て宙ぶらりんになってしまう状況です。残念なことにこういうことが起こるのは珍しくありません。

2011年に東北で大きな地震とその後に続いた津波が起きました。地震と津波だけでも大変悩ましい・・・言葉にならない出来事でした。でもそれらに加えて、電気を作る工場・・・原子力発電所という工場で大きな事故が起きてしまいました。この工場の事故によって、工場の近くに住んでいた人は突然家を離れなくてはいけませんでした。それから12年が経っていますが、戻りたくても今でも戻れない人がいます。何が起こったのでしょうか。

その電気の工場では、放射能物質という・・・扱うことにとても慎重にならなくてはいけない物を使っています。放射能物質・・・それを使って電気を作るのです。けれども悩ましいことに、放射能物質は基本的に毒です。少なくとも、このような工場で使っている量であると人にとって猛毒です。ですので、それが漏れたり、工場から流出したりすると、その周りの人や工場の人も逃げなくてはいけません。この事故で、工場の外に絶対漏れてはいけない放射能物質が大量に出てしまったのです。そのため、多くの人が突然家を離れなくてはいけなくなったのです。

僕は東京に住んでいて、その工場で作られた電気をずっと使っていました。何も考えずにずっと使っていました。そこで作られる電気によって、僕はテレビを見て、冷蔵庫で冷えたジュースを飲み、冬になれば暖房をピッと入れて、暖かい部屋で過ごすことができたのです。その工場で作られた電気量に比べれば、僕が使った電気はびびたるものだったのでしょう。でも、僕はこの工場で作られた電気を使い、その意味で長年この工場を支えてきました。さらに言えば、僕はこの工場をずっと必要とし、ずっと応援してきたのです。

この事故によって、今でも自分の家に戻りたくても戻れない人が大勢おれられます。安全だと言われてきた工場でひどい事故が起き、誰も信じることができず、もう二度と戻るまいと思っている人も少なくありません。そしてその事故が起きた工場・・・それは僕が長年支え、必要とし、応援した電気工場であるのです。これらのことが自分の中で繋がって結びつく時に、僕は複雑な思いになります。僕は電気を使いながら、こんな事故が起こるとも考えてもいませんでした。でも同時に、猛毒な放射性物質を使って電気が作られていることは知っていました。この事故で今も悩まされている人がおられると知り、同時にそれは僕と無関係ではないことに気づくと、ごめんなさいという思いにいっぱいになります。工場から漏れてはいけない毒が漏れてしまい、逃げざるを得なかった大勢の人がいます・・・恐れを感じざるを得なかった一人一人、今も恐れをどこか奥に閉じ込めている一人一人にごめんなさいという思いでいっぱいになります。でも、いくら謝っても昔起きたことを取り返すことはできません。どうすればいいのでしょう?

僕は先月、その事故が起きた場所のすぐ近くまで行ってきました。それもあって、ずっとこのことを考え続けています。けれどもすぐに解決するような答えは見つかりません。でも、答えが見えないからあきらめているわけではありません。僕は確かな希望をもっています。それは、聖書のみ言葉が、次の一歩、そしてその次の一歩を教えてくれるという希望です。そんな思いで今日の聖書を読んでみました。悩んだ時、聖書とにらみ合いっこする・・・そうすると今まで見えなかった次の一歩が見えてくるように思うのです。

 

 みんなに与えられた「道」

この、大変複雑でこんがらがった課題を直視しいていくことは、身近な課題であることを、先月福島に出張に行った際に気づかされたことでした。この悩み事を自分なりに紐解いていくために、今日の聖書は沢山のヒントを与えてくれると思えてなりません。なぜなら、今日の聖書のお話しは、自分たちの住家を突然離れなくてはいけなかった人たちに贈られたみ言葉であったからです。この意味で、被爆リスクから避難した東北の住民の経験と重なります。しかも、このイザヤ書の背景には、戦争によって、自分の家を失った人たちがいます。自然災害による移住ではなかったのです。原発事故と同じように、人災による強制的な移住だったのです。

戦争によって戻るべき家を失った人たちに対して、神さまはこう言いました。ある「選ばれし者」が現れると(1節:「選び人」)。この「選ばれし者」は神さまに喜ばれ、尊ばれ、神さまの霊を受けた人物です。神さまからのおおいなる喜びに押し出された「選ばれし者」でした。そしてその「選ばれし者」は、これから進むべき道を人々に教えてくれるというのです。よりよい世界・・・より生きやすい明日に続く道です。その道は、戦争で傷ついた人たちのためでもあり、世界中の人たちのための道でもありました(1節:「もろもろの国びとに道をしめす」)。つまり、戦争を起こした敵国のためにも与えられた道なのです。もちろんのこと、ここにいるみんなも含めて、私たちのための道でもあるのです。そしてこの道に一歩踏み出そうとすれば、神さまからの喜びに励まされていることに気づくのです。自分も、隣の人も。

明るい未来を切り開いてくれる「選ばれし者」が現れると聞いて、当時の人が最初に思いついたのが、大きな馬に乗った王さまのことだったかもしれません。でもどうやら様子が違います。神さまが約束する「選ばれし者」とは、人の上に立つような立派な王さまではなく、人に仕える目立たない僕(しもべ)だったのです。人に仕えるということはどういうことでしょうか。いろんな姿があると思いますが、高ぶったり、威張ったりする姿ではないのでしょう。恐らく、目の前の人のことを考える姿がそこにあるはずです。人々と同じ地面を一歩ずつ踏んでいく神さまの僕(しもべ)が、道を先だって進んでくれるというのです。

当時の王さまがどこかへ出かける時には、馬に乗り、大勢の兵士たちに囲まれ、ただ事ではありませんでした。ラッパが鳴らされ、「王さまが通るぞ!道を開け!」と大声で叫ばれました。でも、神さまの僕(しもべ)は道を進む時に「叫ぶこともなく、声をあげることもなく、声が聞こえることもない」と言うのです。まったく目立たないのです。注目を集めるために進むのではないのです。

当時の王さまが移動する時は馬に乗っていました。馬に乗っていれば、当然素早くぐいぐい進むことができましたが、草を踏みつけながら進むしかありませんでした。道端に居た人は王さまが通り過ぎる度に風をもろに受けたことでしょう。ろうそくの火を手にもっていたとしたら、それは消えてしまうこともあったことだと思います。でも、神さまの僕(しもべ)は「折りかかっている草でさえ折ることはなく、消えてしまうようなろうそくの灯を消すことはない」と聖書は言うのです。そのぐらい慎重に進み、焦らず、早まらない僕(しもべ)なのです。つまり、悩み苦しむ人がいたとしたら、その横に座り続け、何も言わずに痛いところをさすってくれるような僕(しもべ)なのです。前に進むことが大事ではないのです。痛む目の前の人が大事なのです。消える寸前の灯のように、元気が薄れている人がいたとしたら、その風よけになり、そっと見守る僕(しもべ)です。灯を消さないようにするけれども、油を差したり、風を送ったりという無理な関わりはしません。相手が燃えたいように燃えることをひたすら見守って待つのです。火が右に揺れれば、それに応じて見守る。左に揺れれば、それに応じて火をかばうのです。

痛む一人一人に寄り添いつつ、私たちも含めてみんながたどるように招かれている道を示してくださる僕(しもべ)・・・このお方は誰のことなのでしょうか?キリスト教会は、このお方は主イエスでしかないと信じてきました。マタイによる福音書は、今日の1~4節をまるごと引用して、この預言は私たちのイエスさまを指し示しているのだと確信しました(マタイ12:18~21)。私たちのたどる道を示してくださり、そこを先立って歩んでいくのは、他でもなくイエスさまなのです。

4節にはこんな言葉があります「彼は衰えず、落胆せず、/ついに道を地に確立する。」と。僕はここに希望を見出します。今日のみ言葉が語る通りに、日々を過ごすとしたら、衰えそうになりますし、落胆は避けられないことなのかもしれません。傷を共に負うということはそういうことです。ですので、衰えて、落胆してしまう私たちなのでしょうが、衰えず、落胆しないお方がおられると聖書は言うのです。衰えず、落胆せず、まっすぐ真実の道を確立するイエスさまが一緒にいてくださるのです。それゆえに、希望の灯は消え失せることはないのです。イエスさまの確かさに支えられながら与えられた道を、焦らず、早まらず、一歩ずつ歩んでまいりましょう。

 

 

(牧師・西本詩生)