『 帰ってくるだけで嬉しい 』

ルカによる福音書15:22~24 

ルカによる福音書15:11~13、17~20

2023年10月22日(日)

 

子どもメッセージ

 今日は幼稚園の子どもたちも多く来てくれるということで、ある絵本をつくりました。「ロンバの大ピンチ!」というお話です。

 ロンバ君はロボット掃除機。掃除機と言っても細長い掃除機もあれば、まん丸な掃除機もあれば、大きな掃除機もあれば、小さい掃除機もあります。みんなの家の掃除機はどんな掃除機かな?

 多くの掃除機は、人が一緒にいないと掃除できません。でもロンバ君はロボット掃除機なので、人がいなくても自分だけで掃除ができます。家にだーれもいない時に、ロンバ君は一生懸命コツコツ掃除をします。だから、朝、みんなが家を出かける時に床にほこりがあっても大丈夫。留守の間にロンバ君が掃除をしてくれるから、家に帰ってきた時には、床がピカピカ!

 実は、ロンバ君が掃除をするために、もうひとり、ホーム君というロボットが必要です。ホーム君は、ロンバ君にとってお家(うち)のようなよりどころの場所です。ホーム君と一緒だとホッとします。掃除をしていない時、ロンバ君はホーム君と一緒です。ホーム君とロンバ君が繋がっている時に、掃除をするために必要な電気をロンバ君はもらいます。電気を十分にもらえたら、ロンバ君はホーム君から出かけて、掃除をして、ホーム君に帰ります。これがロンバ君の毎日です。

ある日、いつものように、ロンバ君はホーム君から出かけて掃除をしはじめました。でも今日は家の人がロンバくんにあることを試したいと考えました。ホーム君をいつもいるところから動かしたら、ロンバ君はどうなるかを試したいと思ったのです。ホーム君がいつも置かれているところから、机の上に移動されました。ロンバ君はこのことを知らずに、掃除を続けました。そして掃除を終えて、ホーム君のところに戻ろうとしたら、ホーム君がいないのです!ロンバ君大ピンチレベル99です!「どうしよう~僕の家がない!」と思わずロンバくんは言いました。

 不安なロンバ君はホーム君を探し続けました。ウイーーンと右へ行って「いない(汗)」。左にウイーーンといっても「いない(汗)」。「ウイーン・ウイーン」と音をたてながら、あたふたしているロンバ君を見た家の人は確信しました。そして、ホーム君を元の場所に戻し、ロンバ君はホーム君のところに帰ることができました。やっとホッとすることができました。

 

 今日はロンバ君の話ですが、実はこのお話は神さまの話につながるものです。ロンバ君はホーム君がいないとホッとできなかったように、僕らも・・みんなも神さまと一緒にいないとホッとできないのかもしれません。でも大丈夫。神さまは違うところに行ったり、誰かのイタズラで動かされたりすることもありません。いつでも神さまが一緒なのです。たとえ離れたとしても、神さまはいつも僕らが帰ってくるのを待っています。帰ってきたら、帰ってきただけで、神さまは大喜びなのです。

 

ホーム

 以前私が勤めていた職場でロボット掃除機が使われていました。そしてある日、先ほど皆さんに紹介したあのイタズラをしてみました。掃除に出かけた掃除機ロボットが、充電するために必要とするホームを別の所に動かしたのです。そうすると、掃除を終えた掃除機ロボットは、戻ろうとするのですが、あるはずの所にホームがないので、困惑してしまいました。ホームに戻れなければ、次第に充電が切れてしまうのです。

一つのたとえとしてこのようなことをお話していますが・・・私たちも帰るところが必要なのではないでしょうか?よりどころとなるホーム。安心できるホーム。背負っている悩みや不安・・・そのような荷をおろせるホーム。聖書によると、私たちのホームは神さまにあるのです。

 

家出をした息子:帰ってきただけで嬉しい

今日の聖書のお話は、ある息子が家出するというものです。「ここがお前のよりどころだ・・・とどまってほしい」という父親の願いをむりやり押しのけてひとり立ちをしました。しかも、将来受けるはずの遺産を前倒しで全額受け取って家出したのです。その遺産を息子に引き渡してしまう父親は隙が甘すぎるように思いますが、それだけしつこくお願いされたのでしょう。

この息子は遺産を携えて家出をしたため、最初は不自由なく暮らすことができました。自分の思うままに毎日を過ごしていました。けれども、それほど時間が経たないうちに、蓄えが底をついてしまいました。わずかな収入でしたが、日雇い労働者としてある農園に雇ってもらいました。でもそこで何も食べずにいたため、気づいたら家畜の食事を横取りしようとしていたのです。その瞬間、我に返りこのように自分に言いかけたのです、「いったい自分は何をしようとしているんだ。父と一緒の時は、家の雇人でさえ不自由なく暮らしていた。そうだ!家に帰ろう。謝って、今度は息子ではなく雇い人になれないかとお願いしよう。」

そのころ、実家では、お父さんが家の窓の向こう側を眺めていました。というのも、息子が家出してから、暇があれば毎日遠くの方を見つめていたのです。「息子はどうしているのかなぁ・・息子は帰ってこないだろうか」という心配をしながら、首を長くしながら待っていたのです。

ある日、地平線に息子らしき姿が見えました。父親はすぐさま走り寄り、帰りを待っていた息子をギューっと抱きしめました。息子は父親に謝りました。そして、今度は息子ではなく、雇人にしてもらえないかと言いかけたのですが、父親はそれをさえぎりました(18~19節の思いを父親に伝えようとしたのでしょうが、19節の内容を最後まで伝えられ前に父親にさえぎられたのです)。「今日は祝いだ!祝宴だ!」と。そもそも、息子が謝ってきたことも聞こえていたのでしょうか・・・何しろ、息子らしき姿が見えただけで、全力で走り寄ったのですから。帰ってきただけでめいっぱい喜んだのです。その日は盛大に祝いました。

 

 この聖書のお話に登場する父親は神さまです。そして、ここに登場する息子は私たちなのかもしれません。恐らくこの息子は旅立って間もないうちに、家出したことを後悔していました。私たちもちょっとした後悔・・・「あの時はこうしないほうがよかった・・・ああすればよかった」という悩みを蓄積しながら・・・それらを引きずりながら一日一日を重ねているのではないでしょうか?背負っているものを下ろせる本当のホーム・・・本当のよりどころを求めているのは、家出をした息子だけではないのでしょう。そういう意味で、ここに登場する息子は私たちなのだ・・・と僕は思うのです。

 このお話の息子は自分が「息子失格」であるという自覚を引きずりながら、父のところに帰りました。そのうしろめたさは大変重いものだっとのでしょう。けれども、父親のところに戻ろうとしていた途中で、父親がわざわざ走り寄ってきたのです。それに加えて、抱えていた重荷が父親の赦しと喜びにまるっきり呑み込まれたのです。私たちが引きずる後悔や悩みよりも、神さまの赦しと喜びのほうがはるかに大きいのです。しかも、たどり着かなくても神さまが私たちに歩み寄って迎えてくれるのです。

 神さまはいつも、本当のよりどころ・・・ホームに私たちが帰るのを首長くしながら待っています。帰える途中で、走り寄ってきます。その赦しと喜びで私たちを抱きしめてくださるのです。僕はこの神さまが大好きです。だって、神さまが僕を・・・みんな一人ひとりを首長くしていつも待っていてくださるのですだから。

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 


『 漫画の半分は神さまで出来ています 』 

詩篇143編8節

2023年10月15日(日)

 

 おはようございます。証ということで、この時が与えられた事を感謝致します。ご存知かと思いますが、Rと申します。"R"という名前はもちろん!旧約聖書のルツ記から名付けられました。世間ではキラキラネーム的な珍しい名前なので、多少苦労することがありますが、神さまにいつも守られて楽しく人生を歩んでいます。今日はどうぞよろしくお願い致します。真面目な証ではないので、時折笑ってくださいね!

 

 私は現在、キリスト新聞社で発行している『KiriShin』という新聞に、毎月4コマ漫画を描く仕事をさせていただいています。『KiriShin』は、キリスト教のほとんど全ての教派の方々が手に取る新聞で、最近号では宗教を超えてお坊さんまで執筆なさっている幅広い宗教新聞です。

 

 キリスト新聞社で描くきっかけになったのは、昨年6月半ばにここの教会で、キリスト新聞社社長である松谷信司さんの講演会での出会いです。講演会前日に松谷さんが教会に泊まりに来られ、私は石橋牧師と教会案内などをしていました。石橋牧師が「彼女は漫画を描いているんですよ。」と話しまして、すると松谷さんが「あの受付に置いてあるたぬきの漫画を描いているかたですか?」と話に花が咲き、「新聞に描いてみませんか?」という流れになりました。

 

 『KiriShin』は先程お話ししたとおり、多くのキリスト教のかたがたが読まれている新聞です。一口にキリスト教といっても、根本にある教義の違いで細かく分けられ数えきれないほどの派があり、そのかたがたが新聞を読んでいると思うと…バプテストのバの字もしっかり解っていないような私が、この新聞の中で自分を出して描いていけるのだろうか?こんな私でいいのか?と、正直不安がよぎりました。しかし、漫画家を目指してきて今まで約20社近くの門をたたき、その都度作品をつっかえされた私にとっては、3年前に『世の光』の雑誌に漫画を載せていただいた以来のチャンスでした。人との出会い、縁、仕事というのは偶然ではなく必然である、神さまがそうさせてくださっているのだとありがたく受け止め、『KiriShin』で描くことを決断し、今に至っています。紹介してくださった石橋牧師、スカウトしてくださった松谷さん、本当にありがとうございます。お2人を通しての神さまの愛、出来事全てに感謝しています。

 

 さて、私がどんな4コマ漫画を描いているのかといいますと、『KiriShin』を読んでくださっているかたはご存知だと思いますが、『業界初のブラックコメディ コケるくんに言わせて!』(絵①)というなんともビックリするような題名のヒヨコとニワトリの漫画を描いています。題名は松谷さんと一緒に2週間かけて考え決めました。このこが主人公のコケるくんです。(絵②)この名前はコケコッコと天文学者のコペルニクスから名前を取りました。カワイイ顔して毒舌で牧師の1人息子という設定です。これはコケるのパパです。(絵➂)牧師でトサカという名前です。ペテロの「イエスなんてしらない×3」で鳴いたにわとりの設定です。このトサカは、私が小さい頃通っていたキリスト教団教会の家族で仲良くさせてもらっていたA牧師がモデルになっていまして、ちょっとだけ石橋牧師と西本牧師も混ざっています。これはコケるのママです(絵④)ルツコケというとっても変わった名前で、私が名前で苦労したことをこのこに反映させています。自分の苦労もネタにしてしまう根性で描いております。毎月松谷さんにチェックしていただきアドバイスをもらい、最後は松谷さんより厳しい目をもつ双子の娘達にイラストのチェックをしていただき、めでたくOKがもらえたら、新聞に載ることになっています。2重の扉を超えて出来上がった実際の漫画は、この教会の1階ホールの掲示板(受付後ろ)に貼っていますので(絵⑤)、ご興味のあるかたは是非ご覧ください。

 

 漫画を描いていると、数名の方々からこんな質問をいただきます。「〆切に間に合わなくて担当者に追いかけられたり、家の前で待ち伏せされたりするの?」→サザエさんの隣に住んでいる作家のいささか先生のような経験は、今のところありません。そんなかんじになる人気な漫画家になってみたいですね。でも松谷さんに迷惑かけたくないので、早めに提出しています。又、こんな質問もいただきます。「ネタはどうやって考えてるの?ネタがなくなって困ったりするでしょう」→私はそのようになったことは…ありません。天才なのか?!いえいえ、断じてそうではないのです。なぜか…なぜか"ネタが上から急に降りてくる"のです。不思議で変な話しでしょう。私もそう思っています。しかも、私が「さぁ!描くぞ!」と座ってペンを取った時にはなぜか降りてこないのです。ネタが降りてくるのは決まって、料理してる時、掃除してる時、お風呂に入ってる時、顔を洗っている時、運転している時、日曜礼拝で牧師のメッセージを聴いてる時なのです。すぐに書留ないと忘れてしまうので、私のそばにはペンとメモ用紙がいつもあります。なので、私が急にメモをしている時は「あ、Rちゃんにネタが降りてきたんだな」とあたたかく見守ってください。なんども、このような経験をしているので、私の漫画は自分の考えとかではなくて神さまの力が働いているのだなぁ、神さまがネタを私の心に届けてくれているんだなぁと思っています。なので、私の漫画の半分は神さまからできていると考えるようにしています。神さまがそうさせてくださっている、手を動かしてくださっている、おかげで私は好きな漫画を描くことができる、本当にありがたいことだと思っています。私は漫画を描く前に必ずお祈りをしています。「神さま、いつもネタの提供と、私の手を動かしてくださってありがとうございます。神さまと作るこの漫画を読む方々が笑ってくれますように」これからも喜んで漫画を描いていきますので、皆さんこれからもお祈りしてくださると嬉しいです。

 

 今回、この証の内容に決まるまで、3週間くらい悩みました。漫画では悩まないのに…。証の日が迫ってくる、どうしようとさしせまったついこの間、福岡県の宇美教会の間村史子牧師とやりとりする機会があたえられ、私は「今度の証礼拝、何を証したらいいのやら全然わからないのよね」と打ち明けました。すると史子牧師はこのように答えてくれました。「Rちゃん、証する内容は、もう神さまから与えられているよ。神さまはるっちゃんを祝福してくださっている。聖霊によってアーメン。応援しているよ!」とやさしく背中を押してくださいました。その言葉がスッと私の中に入り、おかげさまでこの証をすることができました。だから、次に証するYさん、証の依頼がYさんのところに来た時点で、神さまはYさんを祝福してくださっています。聖霊によってアーメンです。最後に御言葉を1つ。ヨハネによる福音書3章27節「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない」

 

 ありがとうございました。

 

(教会員・Rさん)

 

『 地獄から天国へ 』 

詩篇143編8節

2023年10月15日(日)

 

 天国と地獄、この二つの言葉を聞いて、皆さん、今まで歩んできた道で、「天国だったなぁ~」という情景を思い浮かべてみてください。「あの頃は楽しかったなぁ」「感動したなぁ」「おいしかったなぁ」「仕事が充実していたなぁ」と、いろいろ思い浮かべることでしょう。それでは、「地獄だったなぁ~」という情景、これは思い浮かべなくていいです。

 

 今回、私が証の時間を与えられた時、何をお話しようか、と思ったとき、「天国と地獄」の話ではなく、「地獄から天国へ」という、右肩上がりで明るく、軽い話ですすめたい、と自然に湧いてきました。

私は、今から12年前まで警察官という公務員をしておりました。そして、最後の4年間は北海道警察本部の護送バスの運転手をしておりました。皆さんご存知のとおり、護送バスで運ばれる人たちはニュースに出る、警察に捕まった人人たちです。初めて捕まった“新人”は、神妙でおとなしくしている人もいれば、何度も捕まって慣れており、同行する警察官と会話する人と色々です。

 

 ここで、護送バスの特長についてお話します。まず、運転席のすぐ後ろに、運転席と行き来をできなくしている金属の板が設けられています。これは、万が一車内にいる人たちが暴れ、同校の警察官が倒されても運転席には入れないようにして、護送バスが奪われないようにしているものです。あと、車内の窓には金属の格子が設けられているのはもちろんの事、窓ガラスは一般の人から乗っている人たちが見られないように黒色のガラスになっていることです。

 

 護送バスに乗っている人たちのイメージとしては、ドラマで見るような極悪な顔をして筋力モリモリな人を想像しませんか? 実際は、どこにでもいるような人がほとんどです。しかし、留置場生活をしているせいかもしれませんが、「私は活きている!」という活き活きとした表情はなく、どろ~とした、ただ生きているという表情の人ばかりでした。

 

 このような、一般の人には経験できないような体験をさせてもらったことは大変勉強になりました。そして、私はこの護送の仕事をしていた4年間で、昇任して階級をあげ、部下を指導・指示する、より責任のある立場で仕事を続けるのはもう限界、と判断して、2011年3月、東日本大震災のあったあの頃に自主退職したのです。

 

 私は24時間、自分の居場所を上司に明らかにし、重大事件・事故があれば呼ばれるという立場から解放され、精神的にホッとしたことが率直な気持ちでした。

 

 しかし、それも束の間、これから何の仕事をして生きていくか、という現実が目の前にありました。私の持っている資格といえば、大型2種の運転免許で、路線バスの運転手ができるものです。

 

 当時、介護職の人で不足という話も上がっていたので、ホームヘルパー2級の資格も取っておこうと、Nのホームヘルパー2級の講座に3か月通い始めました。介護のいろいろな実技、デイサービス、居宅型施設での体験実習をさせていただきました。

 

 ここで、この講座で出会った講師の話の中で心に残っている言葉があるのでお話します。「高齢者に対して自分の祖父母でないのに『おじいちゃん、おばあちゃん』と呼んではいけない。自分が知らない人からそう呼ばれたら、いい気持ちはしないでしょう」私は、高齢者に接するときのマナーとして心がけております。

 

 さて、Nの講習に通っていた時は、まだ私は仕事につく準備段階で、心の寄り所を資格取得においていました。しかし、7月初めにヘルパー2級の資格を取り、日々のやることがなくなりました。3か月講習に通っていたとはいえ、社会に出ていないと、社会から一人取り残された心細い気持ちになり、まして、まだ働き盛りの46歳で、非常に不安が心にしみていました。

 

 そして、ハローワークで、今の職場の求人情報を見つけ、就職することになりました。なんとか必死にしがみついて、12年間幼稚園で仕事をしてきて、園児たちに対するバス運転手の役割が2つあることにたどりつきました。ひとつ目は「朝のあいさつ」をすることです。これは何も特別なことではないのですが、あいさつの大切さ、そして習慣としていない園児たちには元気にあいさつする姿を見せることにより、自然とまねていくことにつながり、声が出てくるようになっていきます。

 

 私自身驚いたことは、卒園間近な保護者から、「いつも朝、子どもを預けて園から出る時、『行ってらっしゃい』とバス運転手の方から声をかけられて、とても力強かったんです。」という感謝の気持ちを伝えられたことです。私は、単なるバス運転手に感謝の気持ちを伝えてくれて、とてもありがたい気持ちになりました。

 

 2つ目は、「仕事に対する姿を見せること」です。園児たちは、大人の姿を見て何かを感じ、自然にまねていくことを知りました。これも特別なことではないのですが、自分のやるべき仕事に取り組んでいる姿を見せること、つまり、昔から言われている「大人の姿を見て子は育つ」ですね。

 

 ここで、初めに話した、私にとっての「地獄から天国へ」の意味について、今までの話からうすうす分かって来たでしょうか。それは、罪を犯した人たちを運ぶ、鉄格子のついた護送バスから、日本の未来である園児たちを乗せた、鉄格子のない幼稚園バスに変わったことです。どんよりうす汚れたような空気の漂う車内から、にぎやかな3~5歳の子どもたちの声があふれる車内へと変わったのです。

 

 この大きな変化を想像してみてください。ちょっとだけ幸せな気分になりませんか?そして、この教会でも居場所を与えられて感謝であり、その前提には、色々な方々の助けと協力が必要不可欠であることは言うまでもありません。自分に与えられた奉仕ができる居場所があるということは有難く、とても幸せなことと思います。

 

(教会員・Yさん)

 


『 わたしにつながって、あなたがたが実を結びなさい 』   

ヨハネによる福音書15:4 

イザヤ書5:1~6

2023年10月8日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 ぼくは、子どもの頃に迷子になったことが、たぶん何度かあると思います。でも、その中でも忘れられないのは、幼稚園のお祭で、園庭がいっぱいになるくらいたくさんの人たちが来ていた中で迷子になったことです。夜だったこともあって、「ぜったい迷子にならないように」ってお母さんの手をずっと握っていたはずでしたが・・・、気が付いたら、全然知らない人の手を握っていたんです。向こうも、自分の子どもと手をつないでいるつもりだったみたいで、パッと目が合った時には、お互い見つめ合って、「え?誰?」ってなりました。お祭だから、周りでは色んな “珍しいこと”がいっぱいあったし、夜だったので、いつもの昼の園庭とはまるで違うところのように見えたんでしょう。きっとキョロキョロしながら、ぼくは、いつの間にか、いるべき場所から離れてしまったんです。そう、迷子になる時に、「迷子になりたい」と思って迷子になる人なんていません。・・・というか、「迷子になりたい」と思って迷子になる人がいたとしても、それは“迷子”とは言いません。ちゃんと大人の人と手をつなぎ、離れないでいるつもりなのに、周りの色んなことに気を取られて、気が付いたら離れてしまっていた・・・それが“迷子”です。つまり、そもそも周りがごちゃごちゃしていなければ・・・、周りで“珍しいこと”が起こっていなければ・・・、きっとぼくらは最初から迷子になったりはしないんです。

 だけど、実際は、ぼくらの周りは、日々、色んな出来事が溢れています。大変なことも、思いがけないことも起こります。この前、ぼくの心臓に「僧帽弁閉鎖不全症」っていう病気が見つかったお話をしました。心臓の左心房と左心室を分けるフタの役割をしている僧帽弁が、ちゃんとフタをできなくなって、血が逆流してしまっているという病気です。その弁がちゃんとまたフタをできるように手術をしなくてはいけないということで、心臓の手術の準備を進めていたら、今度は腎臓というところに、腫瘍っていうかたまりがあることがわかりました。腫瘍には、良い腫瘍と悪い腫瘍があるので、ぼくの腎臓にある腫瘍がどっちなのかをまず調べてからじゃないと、心臓の手術ができませんということで、今それを調べているところです。そんな病気があるとは思いもせず、ビックリしたけど、身体が元気なので、自分が病気だと、あまりまだピンときていません。でも、周りの人たちが心配してくれるので、いつもとは違った感じで、毎日を過ごしています。そんな風に、大変なことが起こると、これまで“当たり前”だと思っていたことが“当たり前”でなくなり、いつもは“普通”にできることも“普通”にはできなくなります。コロナになってからも、まさにそんな感じでしたね。いつもあっているはずの幼稚園や学校もお休みになって、普段通りには生活できなくなりました。みんながせわしなく動いて・・・、みんな自分のことばかりを考えて・・、いっぱいいっぱいになって・・・、お互いのことなんか見えなくなって・・・、何だかいらないことでイライラして・・・、お互いを攻撃し合って・・・。きっと、それって、気が付いたら“いるべき場所”から離れてしまっていた“迷子”と、同じような状態なんだと思うんです。

 さて、ある時、イエスさまは、弟子たちに“ぶどうの木”のお話をされました。そのお話には、ぶどうの木と、その枝と、その木を育てる農夫が出てきます。ぶどうの“木”はイエスさま、木を世話する“農夫”は父なる神さま、そして、木につながる“枝”がぼくら人間なんだって、イエスさまはお話しになりました。ぶどうの木には、当然ぶどうの実がなるわけだけど、その木が実を結ぶために、木は地の底深くに根を伸ばして水や養分を吸い上げ、農夫は汗水流して世話をします。そうすると、やがて木につながった枝に、おいしいぶどうの実がなるんです。でも、中には木から離れて、地に落ちてしまう枝もある。そうすると、木は地の底深くまで根を伸ばして吸い上げたその水や養分を、その枝に届けることができません。逆に言えば、とにかく枝がしっかりと木につながってさえいれば、農夫が丁寧に世話をしてくれ、木が吸い上げた水や養分も届けられ、枝はやがて実を結ぶことになるんです。もう一度言うけど、“木”がイエスさま、木を世話する“農夫”が父なる神さま、そして、木につながって実を結ぶ“枝”が、ぼくら人間です。そして、最後に実を結ぶのは“枝”であるぼくらです。それなのに、“枝”はただ“木”につながっているだけなんです。枝が、がんばって根を伸ばして水や養分を吸い上げるわけでもなければ、汗水流して世話をするわけでもないんです。ただただ木につながっているだけなのに、その“枝”が実を結ぶんです。だから、「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう」って言ったイエスさまの言葉が、ぼくの耳にはこう聞こえてくるんです。「わたしのところから離れないでいなさい。せっかくわたしがあなたから離れないでいるのだから」って。

 

◆ 心騒がせる弟子たちに語られたイエスさまの言葉

  “迷子”になりたくて“迷子”になる人がいないように、わざわざ木から離れようと思って離れてしまう枝もないはずです。それでも、嵐で大風が吹いてきたら・・・、雨が全然降らずにだんだん干からびてきてしまったら・・・、気持ちが周りに行っちゃって、ただただ木につながって水と養分を受け取るという、いたってシンプルなことすら忘れてしまうものです。実は、このぶどうの木のお話を、イエスさまが弟子たちに話した時も、弟子たちの周りでは、大変なことが次々に起こり始めていました。自分たちの中から“裏切り者”が出て、その人が家から出て行ってしまいました。イエスさまは、「あなたたちが今はついて来られないところに行く」と言い始めました。エスさまを殺そうと企んでいる人たちの足音が近づいてきていました。オロオロしてしまって仕方のない状況だったんです。単純なことを忘れて、周りに気持ちが行ってしまっても仕方のない状況だったんです。だから、イエスさまは、わざわざ弟子たちに言ったのです。「あなたがたは心を騒がせるな」、「あなたがたはただ私につながってさえいればいいのだから」、「わたしは、あなたから決して離れないでいるのだから」と。

 

◆ 意味合いのだいぶ違うぶどうのたとえ話

 さて、今日読んでもらったイザヤ書5章でも、ぶどうのたとえが持ち出されてはいますが、イエスさまの話されたぶどうのたとえとは、だいぶ違っています。神さまがぶどう畑の主人にたとえられているという点では、イエスさまのたとえとそう違いませんが、イスラエルの人々は、ぶどうの木の枝ではなく、ぶどう畑そのものにたとえられています。そして、彼らはぶどうの実を結ぶのですが、それは良いぶどうではなく、酸っぱく腐ったぶどうだったというのです。せっかく愛情を込めて育ててきたのに、酸っぱいぶどうしか実らなかったぶどう畑を前に、主人である神さまは失望します。すっかり堕落して、滅びるしかなくなってしまったイスラエルの姿を、イザヤはこのように預言したのです。実は、イエスさまのぶどうの木のたとえでも、木から離れてしまった枝に対しては、厳しい裁きの言葉が語られます。「人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである」と。枝が木から離れてしまっては、木であるイエスさまも、農夫である神さまも、その枝に手をかけることも、愛を注ぐこともできないのです。

 

◆ いちいち混乱しちゃうのは“当たり前”や“普通”を作りすぎるから?!

 そうであれば、とにかく木から離れてしまわないように、気を付けなければなりません。先ほども触れたように、周りがごちゃごちゃしていなければ・・・、周りで“珍しいこと”が起こらなければ・・・、ぼくらはきっと周りに気を取られて“迷子”になることなんかないんです。周りで起こっていることが、「そもそもそんなもんだ」と思えることであれば、放しちゃいけない手を放すこともなければ、離れちゃいけない場所から離れちゃうこともないでしょう。でも、ぼくらが普段から“当たり前”とか“普通”を作りすぎているから、周りで起こる出来事が、いちいち“珍しいこと”や“大変なこと”に思え、自分たちのその“当たり前”や“普通”を壊されてしまうと混乱してしまうんじゃないでしょうか。自分たちで、“当たり前”や“普通”を作れば作るほどに、大きな事が起きればもちろんのこと、ちょっとした事が起こっても、混乱し“迷子”状態に陥ってしまっているのだと思うんです。

 

◆ 十字架によって地の底深く根を伸ばされたイエスさま

 イエスさまは弟子たちに、自分の“死”について話しました。まだ捕らえられたわけでもなければ、まだ裁判にかけられたわけでもなく、病気だったわけでも、死ぬ気配すらなかった時に、“死”について話しました。それは、弟子たちにもっと普段から“死”に向き合わせるためであると同時に、弟子たちが作り上げた“当たり前”や“普通”が、間もなく壊されてしまうことの予告でもありました。イエスさまが一緒にいて“当たり前”」。「イエスさまの話を聞いたり、イエスさまに質問したりできるのは“普通”のこと」。弟子たちは、きっとそのように捉えていたはずです。でも、弟子たちのその“当たり前”や“普通”は、イエスさまの言われる「わたしはあなたから離れない」「わたしはあなたがたとつながっている」とは、意味がまったく違っていたんです。弟子たちにとっては、むしろ「なんでイエスさまは、離れていってしまったんだ・・・」としか思えない、そんな出来事がこれから起ころうとしていました。それはまさに、これまでの“当たり前”や“普通”が、それこそ全部、崩れ去ってしまうような出来事でした。イエスさまが、十字架に磔にされて殺されるという出来事です。弟子たちは、とてもそのことを受け入れられず・・・、真正面から向き合うことができず・・・、その場から離れ、逃げ出してしまいました。でも、イエスさまは十字架に架けて殺されることによって、決してその弟子たちのことを見捨て、弟子たちから離れてしまったわけではありませんでした。十字架に磔にされたイエスさまは、地の底深く深くに根を伸ばしておられたんです。それは、イエスさま自身が実を結ぶためではなく、そこにつながっている枝である弟子たちが・・・、枝である私たちが・・・、豊かに実を結ぶためにです。

 

◆ イエスさまという木によるつながりは“死”という隔てを越える

 Sさんという友人のことを、何度か説教の中でも紹介してきました。末期癌を患い闘病していた、50才の友人のことです。彼のために、一緒に祈ってくださった方々、ありがとうございました。Sさんは、9月18日に天に召されました。Sさんの友人であるぼくらが、SNSで彼のために祈るためのグループを作ったのが昨年の9月13日だったので、それからちょうど丸一年でした。Sさんのおかげで、ぼくらは全国各地で・・・また、ある友人は海外で・・・、一年間、祈りを合わせることができました。長くお互いに顔を合わせることも、声を掛け合うこともなかった仲間と、共に祈りました。もうこの地上にあって、Sさんに会うことは叶いませんが、彼が残してくれた祈りのつながりは、これからも続いていきそうです。そうやって、イエスさまによるつながりは、“死”による隔てをも越えるのだということを、Sさんを通してまた教えられたように感じています。ぼくらは、自分にとって大事だと思える人たちと、自分たち同士で必死につながろう・・・、つながっていようとします。イザヤの時代のイスラエルの人々もそうだったのでしょう。自分たちの国を・・・、家族を・・・、その絆を・・・、自分たちの手で守ろうともがいていたのです。それでも、どんなにお互いに必死につながろうとしたとしても、やがて“別れ”は来るものです。イザヤのたとえと、イエスさまのたとえとの決定的な違いは、神さまとわたしたち人間との間に・・・、また人と人との間に・・・、木としてのイエスさまがおられるということです。十字架に磔にされたイエス・キリストが、その間にいてくださるということです。木であるイエスさまによって、ぼくらは、神さまとも・・・、そして、お互いもつなげられているのです。好き勝手につながっているのではなく、つなげられ、絡み合っているんです。そして、その“つなぎ役”を担ってくれている木とは、一度は十字架で“死”を経験され、三日目に復活させられたイエスさまなのですから、そのつながりは場所や国境を越えるだけでなく、“死”による隔てをも越えるのです。

 

◆ 十字架のイエスさまという木につながる枝が実を結ぶ教会

 イエスさまとの、あの十字架の死による別れを経験した弟子たちは、それはそれは辛い、苦しい経験をしました。だけど、だからこそ、イエスさまと本当につながるということの意味を知り、今までの“当たり前”や“普通”とはまったく違う形で、イエスさまによってつなげられる者たちの共同体としての“教会”を建て上げていったんです。この教会もそうです。ここは、人と人が直接つながるための場所ではありません。弱い人々に歩み寄り、痛みを負った人を癒し、差別された人と食事を共にされたことで、十字架に磔にされ殺されたイエスさまという、その木に、それぞれがしっかりとつながることによって、人と人とがつなげられる場所です。そんな十字架のイエスさまという木につながる枝が結ぶ実とは、いったいどんな実でしょうか。闇の中に与えられたともしび・・・。そのようにしてこの世に来られた十字架のイエスさまによる実が、それぞれの枝に実らされていく・・・そんな教会に、ますますなっていきましょう。一緒に祈り求めていきましょう。「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」。

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 わたしの民 』

 コリント人への第一の手紙1:26~29

イザヤ書3:12~15

2023年10月1日(日)

 

子どもメッセージ

 以前もここでお話したことがありますが、僕は幼稚園、小学校、中学校と・・・成長していく中で、数年に一度、違う国や違う町に引っ越しをしていました。そして今日の聖書を読みながら、僕の中学校時代に経験した引っ越しの思い出がよみがえってきました。僕は中学校に上がる時、台湾という国からシンガポールというまた別の国に引っ越しをしました。台湾で僕が通っていた小学校は、1学年1クラス・・・しかも1クラスが20人にも満たない・・・とてもこぢんまりとした学校でした。みんなの学校は1学年何クラスですか?今みんなが通っている学校よりもちっちゃいところに僕は通っていたと思います。クラスの中で親しい2-3人の友人はいましたが、その他の同級生もみんな仲が良く・・・誕生日といえば、必ずみんなで祝いました。先生たちもとても親切で、うちの家族と先生たちの家族とで年に数回食事をしたこともありました。そのぐらい、こぢんまりとした・・・大きな家族のような学校でした。

 中学校にあがるときに、新しい国での生活がはじまりました。日本では小学校を6年通ってから、中学校に進むことになっていますが、僕が入った中学校は少し特殊でした。日本でいう小学6年から、中学校教育がはじまる学校でした。ですので、僕がその中学校に入学した時には、ほとんどの同級生は、すでに1年間一緒に学校に通っていました。同級生のみんなはそれぞれなかよしグループをつくっていて、そこに、1人も顔見知りがいない転校生・・・僕が入ってきたわけです。しかもその学校は、1学年300人以上の大きな学校でした。40か国以上の国からの人が集まる学校・・・言うまでもなく、今まで通っていたこぢんまりとした、大きな家族のような小学校とはまるっきり別世界でした。中学校での最初の数か月は正直辛かったです。同級生とも、学校生活にも溶け込めずにいました。お昼ご飯は広い食堂で食べることになっていましたが・・・その広い食堂で・・・ひとりで食べていました。

みんなは学校で、休み時間になるのが待ち遠しくないですか?休み時間になるまでの最後の5分10分は異様に長く感じませんか?なぜでしょうね?なぜかその5分10分だけ、時計針の動きが遅くなるような気がします。楽しみのはずの休み時間ですが、僕が中学校に入った数か月は、休み時間が訪れるのが嫌でしょうがありませんでした。避けられるのであれば、避けたい時間でした。というのも、休み時間になると、周りには大勢の人が笑ったり、遊んだりしていたのですが、「自分は身の置き場のない」ことを最も感じる時間であったのです。全然楽しくない、気まずい休み時間だったのです。その時食べたご飯はなかなか美味しいとは感じられませんでした。

今日ここで、僕の中学校時代の思い出を紹介しているのは、苦労自慢をしたいから・・・僕の生い立ちをみんなに知ってもらいたいからお話しているのではありません。ある事を考え込んだために、中学校に転校した思い出が頭に浮かんだんです。考え込んだある事とは・・・どういう時に、神さまの言葉は心をあっためてくれるんだろうか?どういう時に、神さまの言葉が起き上がる力となるんだろうか?このことを考えた時に、なぜか、中学校時代の思い出が頭から離れなかったのです。そして思ったんです・・・心が冷えているから、心があたたまることが嬉しいんです。自分ではなかなか起き上がれない・・・そういう時にこそ起き上がる力がほしくなるのです。

今日の聖書で、繰り返される言葉があります。「わたしの人々」という神さまの言葉。というのも、神さまはこう言います「わたしの人々をいじめちゃダメでしょ!わたしの人々をほったらかしにしちゃアカンやろ!」と。神さまはカンカンに怒っているのです。ここでいう「わたしの人々」はどういう人々だったのでしょう?・・・そうです、いじめられて、ほったらかしにされたお一人お一人だったのです。生きることが辛いという後ろめたさを抱えながら・・・やっとの思いで一日一日を乗り越えていた人たちです。味方になってくれる人が誰一人もいないと感じていた人たちでした。そんな辛さを抱える人々がほったらかしにされていたために、神さまはカンカンに怒ったのです。

聖書の時代の人たちと比べたら、僕が中学2年生で思い知らされた辛さはとっても小さいものなのかもしれません。でも、僕は、あの時経験した気まずさと辛さは昨日のこととして今でもはっきりと覚えています。僕にとっては大きな出来事なのです。忘れられたらいいのに、なぜかこういう思い出って記憶にこびりつくんですよね・・・。けれども、この思い出と重ねて、今日の神さまの言葉を聞く時、心がジワーっとあたたまるんです。「あなたはわたしのもの・・・わたしがあなたの味方だ・・・誰も味方がいないと思うな・・・わたしがあなたの神だ」という神さまの言葉が、辛さの中で働く力となるんです。この意味で、あの時の辛い体験は忘れなくてよかったなぁと思うのです。

 

イザヤ書の背景

 今日からしばらくの間、イザヤ書を読み進めていきます。聖書はそれなりに分厚いものですが、イザヤ書という書簡は「聖書の中の小さい聖書である」と言われることがあります。つまりこのイザヤ書に、聖書が伝えようとしている良い知らせ・・・命をもたらす愛のメッセージがギュッと詰まっているということです。

新約聖書は全てイエスさまの後の時代に書き残されたものです。イエスさまにとって聖書と言えば、私たちが「旧約聖書」と呼ぶものです(現代のカトリック教会で使われる旧約聖書続編も含まれます)。その中でも、イエスさまはイザヤ書を特に愛していたのではないだろうかと思われています。というのも・・・イザヤ書にだけ登場する“苦難の僕”と呼ばれる象徴的な人物がいます。“苦難の僕”の人生とイエスさまの人生があまりにも重なるため、イエスさまはイザヤ書を愛読していたんだろうと思われるのです。実際、ルカによる福音書4章で(16節~)、イエスさまがイザヤ書の巻物を読んで、そこからみ言葉を分かち合ったことが記録されています。

イザヤというのは、人の名前です。預言者です。ノストラダムスのように、未来を予測するという意味の予言ではなく、神さまから預けられたみ言葉を人々に届ける働きをした人物です。そしてイザヤさんは主に、王さまや政治家たちに、神さまから託されたみ言葉を発したのです。まだ、イスラエルの人々の王国が健在であった時代(預言者イザヤの活動は南ユダ王国)・・・イエスさまの時代より、さらに700年も遡った時代のことです(紀元前8世紀に活動しました)。

 

預言者イザヤの確信

 お話を子どもメッセージの内容に引き戻しますが、皆さんはどういう時に、神さまの言葉を「心の芯まで沁みるみ言葉」として受け取るのでしょうか?人生で初めてみ言葉の感動を覚えた時、どのような人生の場面を通らされていたのでしょうか?多種多様な「心打たれる」場面があってしかりだと思います。でも思い出してください。心に光が灯されたその時・・・それは人生が順風満帆に進んでいた時だったのでしょうか?全てが満足・・・全てが満たされる日々だったのでしょうか?光が輝くのは、目の前が深い闇であるからではないのでしょうか?灯は闇の中でこそなお一層増して輝くのです。

 預言者イザヤの確信は、弱さ、小ささ、辛さ、しんどさ、貧しさ・・・その中で神さまの力がおおいに発揮されるということです。これは、イザヤだけの確信ではありません。イエスさまはさらに明確に言いました。「悲しむ者は幸いだ。今飢えている者は幸いだ。神の国は彼らのものである。」そして、その逆も言っています。「富んでいる者は、不幸だ。今腹を満たしている者は、わざわいだ。」(ルカ6:20~26)。イエスさまはいじわるを言っているわけではありません。悲嘆や困窮を正当化しているのではありません。神さまの愛情と情熱がどこに集中的に注がれているかを物語っているのです。弱さ、無力さの中で恵みのみ業が、私たちの想像をはるかに超えて起こされるのです。光は闇の中で輝くのです。

 

わたしの民(わが民)

 今日の箇所で「わが民」という言葉が繰り返されています。15節を見ると、それが誰であったかが明らかです。「顔がすりつぶされた貧しい人たち・・・国のリーダーたち(長老たち)が砕いてしまった人たち」のことです。具体的にどういうことが起こっていたかというと、エルサレムを中心とした南ユダ王国は、アッシリアとエジプトという巨大帝国に板挟みになっていました。緊迫した国際情勢に翻弄させられていたのです。迫って来る巨大帝国への貢物と自国の軍事力を高めるために多額な資金が必要となりました。「人々を守るために」という名目の元、人々には重すぎる税金が課せられていたのです(どこかで聞いたことがあるような気がしませんか?教育・医療・福祉の国家予算は削られていく一方、「人々を守るために」という名目の元、防衛費は膨張・・・)。当時の市民の大半は、自分の家族が食べる農作物を収穫するのがやっとのことでした。そういう状況の中、多額な税金が取られたために、生き残れなかったのです。比喩の意味も込められているのでしょうが、文字通り人々の「顔はすりつぶされて」いたのです。何日も・・・何週間も何も食べずにいれば、人々の顔に笑顔が浮かぶはずがありません。人々の笑顔が奪われてしまったのです。守られるはずの人々がどん底に突き落とされたのです。当然のことながら、神さまはカンカンに怒りました。砕かれた貧しい人々の代弁者として、預言者イザヤは悲鳴をあげたのでした。

 自分たちの王さまに見捨てられてしまった・・・そう感じざるを得ない状態でしたので、苦しみの内にあった市民にとって、イザヤの預言はどれほどの励ましになったのでしょうか。誰も味方になってくれないところ、神さまが「わが民」と告げてくださったのです。「あなたたちは私のもの・・・あなたたちの見方だ・・・わたしがあなたたちの神だ」という光が、暗闇を前にした人々の間で灯されたのでした。

 先日、石橋牧師が自分の心臓の病のことを共有してくれました。不安ではないと言ったら大嘘です。彼が病にあることに全く落ち度がありませんが、このことで、私たちの笑顔が薄れてしまっているように思うのです。当然のことです。愛する兄弟なのですから。この病の状況にあって、私自身、自分の弱さと無力さを突き付けられているように思えてしょうがありません。決して、僕のいろんな足りなさを正当化したり、彼の病を美化したりしているのではありませんが、教会の本来の姿がここにあるのではないだろうかと問われるのです。少なくとも、イザヤの言葉からそう投げかけられるのです。弱さ、小ささ、しんどさ、貧しさ、無力さを前にして、神さまが起こされるみ業に期待すること。思いやりを交わして、助け合い、補い合い、そして何よりも祈りを深めること。この歩みにおいて聞こえてくるのです・・・魂の芯までしみてくるみ言葉・・・「わが民」・・「あなたたちは私のもの・・・あなたたちの見方だ・・・わたしがあなたたちの神だ」と。祈りつつ、耳をすませて、一歩ずつ 共に 歩んでまいりましょう。

 

(牧師・西本詩生)