『 神さまはすべて知っている! 』 

ヨハネによる福音書3章16節

2023年1月29日(日)

 

 みなさん、おはようございます。本日は、昨年6月に私が参加した第13回「沖縄(命どぅ宝)の日」6・23学習ツアーの報告を兼ねて証をさせていただきます。この6・23「沖縄(命どぅ宝)の日」は、2006年度の第34回女性連合総会で、沖縄を『国外』と位置づけ、沖縄の苦しみ・悲しみ・痛みに思いが到らなかったことへの悔い改めなどの決議をしました。この決議に基づき2007年度より、沖縄地上戦が組織的に終結したと言われている6月23日は、死者を悼み、非戦を誓う日であることを覚える日として定められ、「知る、祈る、共有する」を大切に、毎年この日を中心に学習ツアーが開催されています。

 

 さて、みなさんの中で、沖縄にはまだ行ったことがないという方はどのくらいいらっしゃいますか? 行ったことがなくても、一度は行ってみたいところですね。私が初めて沖縄を訪ねたのは、約40年前の1981年。「道民の船」という北海道主催による国際交流事業でした。約400名の参加者は、チャーター船で小樽を出港し、那覇、香港、上海に寄港し、各地で観光と交流会に参加するという22日間の日程でした。その当時、私はYMCAのボランティアリーダーをしていて、その関係でお声をかけていただいたのですが、クリスチャンでもなく、ただただ青年会の活動が楽しく、アルバイト生活というか、今でいうフリーターでしたので時間もありましたし、15万円ほどと参加費用も安かったのです。初めての海外旅行を格安の船の旅・・・といった感覚で参加しました。この時の沖縄訪問では、ひめゆりの塔や首里城再建前の守礼門、そして平和祈念資料館などまだなかった平和祈念公園にも行きました。サトウキビ畑の中の道を通って北海道出身者の慰霊碑「北霊碑」まで行き、その前では、「道民の船」参加者全員で手を合わせ、近くのガマに案内されて、そこにまだ残されている遺品や遺骨の話などをお聞きしました。初めて訪れた当時は、戦後36年、本土復帰から10年ほどで、今思うと地上戦の爪痕に焦点が絞られていたように思います。一方では、米軍からの払い下げ品を売る店が記憶に残っているほどに、経済面で米軍の恩恵を受けていると思ったように記憶しています。その最初の訪問から6年後の1987年、沖縄国体日の丸焼却事件や女子高生が卒業式で日の丸を奪って外に捨てるといった事件が起こりました。私の記憶の中では、この二つの事件が合体されて、「女子高生が日の丸に火をつけた」事になっていたのですが、何故かこの事がずっと頭の奥の方に引っかかっていました。「一度だけ訪れた沖縄」、「一度しか訪れていない沖縄」でしたが、この時から何かしら沖縄のニュースについて気になり関心を持つようになりました。

 

 その後、2000年だったと思うのですが、あるネットワークビジネスの研修会で訪れたことがあるので、昨年6月が3回目の沖縄でした。今回の学習ツアーは、ツアーの前に三バプテスト女性会研修会(日本バプテスト女性連合・日本バプテスト同盟全国女性会・沖縄バプテスト連盟女性会)があり、北海道からは奥村妙子さん、エイカーズ愛さん、私の3人で参加し、6月20日から24日までの滞在でした。実はこの三バプテスト女性会研修会は、コロナの影響で当初開催予定より2年ほど延期され、また延期されたことによって学習ツアーと連結され、更に本土復帰50年という節目の時と重なって開催されることとなった経緯があります。何という計らいでしょうか。私の参加も、2年前から「行く行く…」と言っていたのを聞いていた方が、日本バプテスト女性連合幹事の米本さんに伝えて下さり、「残り枠5名」というところで米本幹事より直接ご連絡をいただき実現することができました。 

 

 沖縄到着当日の6月20日はちょうど月曜日で、毎週行われている「普天間ゲート前でゴスペルを歌う会」に参加させていただきました。この「ゴスペルを歌う会」は、沖縄バプテスト連盟普天間バプテスト教会牧師の神谷武宏師が始められ、会の代表をされています。また、神谷先生は、翌日からの二日間の研修会で基調講演と研修会①の講師として立ってくださっていました。

 

 「普天間ゲート前でゴスペルを歌う会」に参加して、普天間基地と普天間バプテスト教会がどれだけ近いのか、聞いていただけ、映像で見ていただけでは分からない事を肌で感じることができました。また、翌日に神谷先生のお話を聴くことで、基地のゲート前で10年もの間ゴスペルを歌い続ける神谷先生が、そうせずにはいられないその想いにも触れさせていただきました。今ではこの「ゴスペルを歌う会」は、普天間ゲート前だけではなく、辺野古・高江・国会議事堂前など日本各地で始められています。

 

 研修会二日目には、日本基督教団西原(さいばる)教会員の高里鈴代さんのお話と「美ら島ゴールデンタイム」と題して沖縄舞踊や空手の演武などを紹介してくださる時間がありました。お話をして下さった高里さんは、「沖縄における米兵による女性への性犯罪」について、起きた日時・事件の概要・処罰方法等の記録を続けられている方で、「沈黙を強いる暴力に抗して生きる」と題して、「今ある“平和”は誰にとっての“平和”だろうか。今ある“平和”“調和”“秩序”の維持ではなく、それを壊してゆくことが、本当の“平和”を作り出すことではないのか。」とお話しくださり、私の胸に刺さりました。

 

 学習ツアーが持たれている6月23日は私の母の誕生日と重なったこともあって、女性連合が「命どぅ宝の日」としたことを紹介されてから、私にとって忘れることのできない日となりました。昨年のこの6月23日も沖縄の地にいたという事で、本当に感慨深いものとなりました。特に昨年は、沖縄本土復帰50年という節目の年にあたり、6月23日の沖縄慰霊の日の平和祈念公園での式典には岸田総理も出席するという事で、物々しい警備体制の中、公園内に入りました。初めて訪れた40年前にはなかった平和祈念資料館の建物と梅雨明けの青空が広がり、とても美しい景色でした。平和の礎の前で祈りを捧げた後の自由行動の時間、私は資料館にむかい、展望室から周辺の景色を写真に納めたり展示室を巡ったりして、その日の沖縄を感じ取ろうと思っていました。40年前には何の知識もないまま訪れた沖縄でしたが、今回は多少の知識と“知りたい”という思いを持っての訪問だったので、見るもの聞くものすべてが刺激となりました。

 

 本日与えられた聖署箇所ヨハネによる福音書3章16節のみことばは、先ほど紹介した高里さんのお話でも示されたみことばなのですが、「美ら島ゴールデンタイム」で紹介された金城重明師(日本基督教団那覇中央教会名誉牧師)が体験した【朗読劇~語り継ぐ沖縄戦、渡嘉敷島「強制集団死」から生かされて~】というDVDを見て、またその後参加者のお一人からお聞きした金城牧師の言葉からいただいたみことばです。その金城牧師の言葉を紹介します。「聖書に書いてある『殺してはならない』は憎しみによる殺人のこと。私は家族を守るための愛による殺人をした。はたして聖書は、キリスト教はそこまでの考えを持っているのだろうか。という事をずっと思っていたけど、モルトマンの「神も苦しまれた」という事を聞いて救われた。人間によって殺されるイエスの叫びを聞きながらも見殺しにした神の苦しみを知った。」

 

 私は、このみことばからこれまでは「神はこの世を愛された」という事に重きを置いていました。「神はこの世を愛していたので、私たちの罪の贖いの身代わりとしてひとり子イエスをこの世に送って下さった。それほどまで神はこの世を愛して下さったのだ。」と・・・。世の中には「神はいるのか?」と思わされることが本当に多くあります。私自身の人生の中ではまだそれほどまでの経験はないのですが、金城牧師の経験した事やその言葉をお聞きして、「神はこの世を愛された」だけではないという事に気づかされました。イエスさまが、この世に人として肉体を持って生きて下さって、私たち肉体を持つ人の痛みや苦しみといったものを体感して下さったという事を信じて、私はクリスチャンとして生活しています。しかし今回、金城牧師が背負っていた重荷から解放され救われたというお話しや言葉をお聞きして、「神はそのひとり子を賜ったほどに、・・・」神さまご自身がその痛み苦しみを知っておられるのだという事を改めて知らされたのです。十字架にかかられたイエスさまが、「なぜわたしをお見捨てになったのですか」と神さまに叫びました。全てをご存じであるはずのイエスさま自身がこう叫ばれたのです。それは、神さまご自身が、叫ぶわが子を見捨てるという痛みを負って下さったのだという事なのです。

 

 神さまは、今回私の頭の奥に引っかかっていたものを引き出してくださり、沖縄の地に立たせてくださいました。それは遠くから見ているだけではなく、肌で感じろという事だったと思っています。そして、今日こうしてみなさんにお話しする事で、私のように何かに引っかかっている人を引き出し、行動へと促す役目をいただいたと感じています。神さまはすべてをご存じです。私にはわからないこともすべてご存じなのです。だから私は、神さまにすべてをお任せしてついて行くだけだと思わされているのです。

 

 さて、今年も6月23日を中心に学習ツアーが予定されています。3月1日から先着20名の受け付けです。まだ一度も沖縄に行ったことのない方、女性会の方だけではなく、壮年会の方でも青年でも、どなたでも参加可能です。是非一度参加してみてください。

 

 本日はこのような機会をいただきありがとうございました。なお、金城牧師の朗読劇のDVDや高里さんの書かれた冊子なども持って来ていますので、興味のある方は是非お声をかけください。

 

 

(教会員・定免直未)

 


『 マチガイ探しばっかりする    

いじわるなおじさんたちと

神さまの喜びを見出す  

       “マチガイ”の人たち 』

 

 

創世記1:31~2:3

ルカによる福音書6:1~11

2023年1月22日(日)

 

子どもメッセージ

 みんなは「この日は主が造られた」という讃美歌を知っていると思います。

「この日は この日は

主が造られた 主が造られた

われらは喜ぼう

この日をば この日をば」♪

という歌詞です。僕は考えました・・この歌はイエスさまの時代にはありませんでしたが、きっとイエスさまは、神さまを礼拝する日に、この歌で歌われている内容を心に止めていたんじゃないかなぁ・・と。つまり、イエスさまは、礼拝の日が来るたびに・・「この礼拝の日は、神さまが特別に創られた日。嬉しいよね。周りの自然も、動物たちも、一人ひとりも、神さまが創られたんだ・・なんて嬉しいことなんだ」と思っていたに違いないと思うのです。イエスさまにとって、礼拝の日は、嬉しい日でした。神さまに創られ、喜ばれていることをみんなで喜ぶ嬉しい日として過ごしていたのです。

 イエスさまの時代では、礼拝の日を「安息日」と呼んでいました。そして、「安息日」には、みんな休むことになっていました。子どもたちも、動物も休む。お仕事も、勉強も、料理や掃除をすることも・・ぜ~んぶ休んで、神さまが創られた礼拝の日をみんなで喜んだんです。

 ある安息日に、イエスさまとイエスさまのお弟子さんたちは麦畑の中を歩いていました。イエスさまは、麦を見ながら「今年もいい収穫になりそうだ~」という嬉しい思いになっていたかもしれません。後何週間が経てば、麦が収穫され、とてもおいしいパンが食べられる・・待ち遠しい時期でした。僕は、以前アフリカで住んでいました。僕が居たところは、ほとんどの人が農家さんでした。収穫のちょっと前の時期は、ほとんどの人はお腹が空いていて、げっそりした表情をした人が多くいたことを思い出します。なぜ収穫の直前の時期にお腹を空かせるかというと、その前の年に収穫されたものはもうほとんど無くなっていたからです。普段だったら、朝、昼、晩食事をするところ、収穫の直前の時期は一日に一回の食事にしている人もいました。それだけ食料がなかったのです。イエスさまの時代も、同じようなことが起きていたのでしょう。収穫の直前でしたので、村のほとんどの人はお腹を空かせていたのです。イエスさまの弟子たちは、安息日の嬉しさを知っていましたが、お腹が空いていて、安息日であるということになかなか集中できませんでした。そして、麦畑の真ん中を通っていましたので、弟子たちは麦の穂をつまんで、もみ殻を砕いて、中にある実を口にしました。火が通っていない生の麦ですので、苦く、おいしいわけでもなく、お腹をいっぱいにさせるためにというよりは、空っぽの胃袋を多少だます程度だったと思います。すると、その時「ダーメダーメ・・レッドカード!」という大声が鳴り響きました。ファリサイ派という、聖書をまじめに勉強する何人かが、イエスさまの弟子たちがしていたことを見てプンプンに怒ったのです。彼らのことを、私は「いじわるおじさんレッドカード軍団」と呼びます。人のマチガイを探すことがとても上手な人たちでした。そのおじさんたちは、まゆをひそめながら、言いつけてきました、「安息日には働いちゃいけないということを聖書に書いてあることを知らないのか?うちらは聖書の専門家だから、何でも分かっている。あんたら、さっきまで麦の収穫をしていたのを見たぞ!安息日に働くとはどういうことだ?とんでもないマチガイを犯している・・村から出てけー!レッドカードだ!」と、叱ってきたのです。

イエスさまはファリサイ派の数人と反論しながら、心の中で悲しい思いになりました。「せっかく神さまがくださった嬉しい日なのに・・今年もいい収穫になりそうなことを神さまに感謝していた嬉しい時なのに・・ケチケチ言いつけてくるおじさんたちはその嬉しさを見逃している・・そんなことをしていたら、ただの意地悪なおじさんたちと思われるだけなのに・・怒られる方も、ただ怒られるために叱られていると思うだけ・・そのおかげで、神さまの喜びから遠ざかったと思ってしまう・・こんな中嬉しくなんかなれるわけがない・・神さまの嬉しい日はみんなで喜ぶものなのに・・」と・・イエスさまはがっかりされました。

イエスさまにとって、礼拝をする日はとても嬉しい日でした。なぜなら、最初に歌った讃美歌にあるように、神さまが創られた特別な日だからです。神さまがこの世界を創られ、その中にある自然も、動物たちも、一人ひとりを神さまが喜んでいる・・このことをイエスさまは喜んだのです。イエスさまは神さまのくださる嬉しい出来事を目に止めていました。でも残念ながら、その正反対をする人たちがいました。積極的にマチガイ探しばっかりする、まゆをひそめるおじさんたちでした。でも、マチガイ探しって、この物語に出てくるおじさんたちだけがしていることなのでしょうか。おじさんである僕は、今日のお話に出てくるおじさんたちは僕の中にもいるんじゃないのかなぁと思いました。僕も、マチガイ探しの名人であり、そればっかりします。「これができていない」、「足りない」、「もっとしっかりしなくてはいけない」・・「ない・ない・ない」というマチガイ探しの名人です。でも、マチガイ探しだけだと、神さまの嬉しい日が全然嬉しくないのでは?とイエスさまは問いかけてくれます。足りないことや、できていないことは、探そうとすれば、それぞれいっぱいあるのでしょう。でもイエスさまは「まず一緒に喜ぼう!」と招いてくださいます。「神さまがそうなさっているのだから、喜ぼう!」と。それって嬉しいことなんじゃないかなぁ・・

 

あなたは神さまの恵の御手の中にすでにおられる!

また違う安息日に、イエスさまは、ユダヤ教のシナゴーグで聖書のお話をしていました。イエスさまのお話を聞くと、妙に嬉しくなるので、そのことを聞きつけて大勢の人々が集まっていました。人混みの中にはあの数人のファリサイ派もいたのです。彼らが反省して、マチガイ探しばっかりすることの虚しさに気づいて、イエスさまのお話を聴くためにそこにいたのではありません。イエスさまが「マチガイ」を犯すところを見逃さないように・・イエスさまを追い出せないかと企んでいたのです。イエスさまは、彼らが、相変わらずまゆをひそめながら過ごしていることに気づきました。「神さまの創られた嬉しい日なのに、人のマチガイ探しに夢中で・・楽しいのかなぁ?」とイエスさまは思ったに違いありません。

麦畑での経験がありましたので、礼拝での喜びが台無しになってしまうことを懸念したのかもしれません・・イエスさまは、創造主の喜びを礼拝の中で何としてでも顕したいと思ったのでしょう。神さまの嬉しい日はみんなで喜ぶためにあるということを顕すために、部屋の端っこに縮まっていたある方に、イエスさまは呼びかけました、「立って、真ん中に立ちなさい」と。その人の右手は麻痺していて、なかなかその手を使うことができませんでした。つまり、左手しか使えなかったのです。当時、右手でできる事と左手でできる事がはっきりと分けられていました。左手は、基本的に、トイレを使う時など、手が汚れてしまうことにだけ使いました。そして、右手は、食事を取ることや人に挨拶をする時に使われる・・言わば“綺麗な手”だったのです。その人は左手・・“汚い手”とされていた手しか使えませんでした。ですので、片手を使えないという不便さに加えて、人前で食事することに躊躇することもあったことでしょうし、望むように挨拶ができず、余計な神経を使う場面が多かったことだと思います。イエスさまに呼びかけられるまで、彼は、部屋の真ん中にはいなかったという点は注目すべき事だと思います。率先して隅にいたというよりは、隅にしかいられなかった・・隅に追いやられていたと言えるでしょう。普段でしたら、会堂の中心はファリサイ派や学者たちが牛耳っていたところです。会堂の真ん中が、神さまの祝福と喜びの象徴だったのです。裏を返せば、会堂の隅は、祝福と喜びから外れていることを意味していたのです。イエスさまは、その人に呼びかけたとき、「隅っこで立ちなさい」と言わず、「真ん中に立ちなさい」と意図的に言われたのです。それまで、その人は、手を麻痺したことで、過去の事を引きずっていたかもしれません。あのマチガイを犯したから、こんな手になってしまったんだ・・あれはしなければよかった・・あの時はこうすればよかったという後悔をしながら、自分を責め続けていたのです。そして、それだけでなく、神さまに見放されてしまったのではというぬぐえない疑い・・埋められない心の穴が空いてしまっていたのです。「真ん中に立ちなさい」という、イエスさまの呼びかけはその心の穴を埋める福音の宣言であったのです。「あなたは、神さまの祝福と喜びから外れたことは一瞬たりともない。あなたは、神さまの恵の御手の中にすでにおられるのだから、一緒に喜ぼうじゃないか・・ここから、一緒に歩みだそう・・」「手を伸ばしてごらん」とイエスさまは励ましたのです。この人は、神さまのあふれんばかりの喜びと祝福に信頼し、新しい歩みを始めたその時に「手は元どおりになる」という出来事が起こされたのです。この時、イエスさまと、手を伸ばしたその人と、周りにいたほとんどの人は喜び祝ったことでしょう。まさに安息日にふさわしい「創り主を覚え、神さまが喜ばれるみんなと喜ぶ」出来事がそこで起こされたのです。

 

十字架のイエスさまを通して顕される神さまの喜び

まゆをひそめていた数人のファリサイ派の人々は、喜びに加わるどころか、「激しく怒り」、「イエスさまをどうかしてやろうと互いに話し合った」とあります。この出来事が、イエスさまを十字架に向かわせる発端であったと聖書は記すのです。「マチガイ探し」という生き方は、誰も生かさないどころか、恐ろしいことに向かわせてしまうのです。

そもそも、私たちでさえ、自分たちのマチガイに気づくのですから、神さまの前では、私たちは“マチガイ”だらけなのでしょう。どこまでに行っても私は罪人です。欠けが多く、愛することが足りない罪人です。けれども、イエスさまの十字架の贖いがあるからこそ、私たちは神さまに良しとされ、喜ばれるのです。イエスさまの十字架がなかったら、本当の安息はないのです。今日の5節で、イエスさまはこうおっしゃられます、「人の子は安息日の主である」・・イエスさまがいなかったら、本当の安息はない・・その意味で、イエスさまが安息日の主であるのです!アーメン!

 

 

(牧師・西本詩生)

 


『 どうかこのぼくらにも、

希望の光を見せてくれ 』   

申命記4:29 

ルカによる福音書5:17~26

2023年1月15日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

『おきて歩きなさい~イエスさまのいやし』(みんなの聖書絵本シリーズ)

①それから、イエスさまはその地方を去って、船でカファルナウムの町に戻りました。イエスさまが帰ってきたのを知って、大勢の人が、イエスさまの話を聞きに集まってきました。

②そこに4人の人が、寝たきりの病人を運んできました。ところが、あまりに人が多すぎて、家の中に入ることができません。

③「どうしたらいいだろう」。4人は考えた末、まず屋根をはがして、大きな穴をあけました。それから、病気の人を屋根の上に運び上げると、イエスさまの前に吊り下ろしました。

④家の中にいる人びとは、目を丸くしました。「屋根から人を吊り下ろすなんて・・・」けれども、イエスさまは、その4人が深い信仰をもっていることがわかりました。そこで、病気の人に言いました。「あなたの罪はゆるされた」

 今日の聖書の箇所について書かれた絵本です。みんなは、どんな風に感じましたか?もし、みんながこの話にタイトルをつけるとしたら、どんなタイトルをつけますか?ぼくは「固い絆が彼を歩かせた~男らの熱い友情物語~」とか「寝たきりの男と四人の仲間たち~熱い友情に世界中が涙~」とか、そんな感じのタイトルをつけるだろうなあと思います。病気で寝たきりのこの人。この頃、病気になるのは、その人か、その人の親や先祖が罪を犯したためで、その罪に対しての罰として病気になるんだと考えられていました。だから、寝たきりだったこの人も、周りの人たちから、「あいつは、先祖が罪を犯したからあんなことになったんだ、かわいそうになあ」とか、「あいつが、ああなったのも自業自得だ」とか、散々悪口を言われていたんです。病気で寝たきりだということだけでも大変なのに、それに加えて、周りの人たちからの偏見や差別にも苦しんでいたんです。きっと、親戚や家族からも見放されてしまっていたでしょう・・・。だって、この病気の人の身内だとわかると、「あいつらも、あの罪人の身内だ」って、自分たちも差別されてしまうからです。ところが、そんな病気の彼のことを、決して見捨てようとしない人たちがいました。たった四人だけだったけど、その彼と一緒にいてくれる仲間がいたんです。そして、人々から後ろ指を指されることも気にせず、彼と一緒に過ごしたその四人の優しさによって、一人のこの不幸な病気の人は、幸せになりました。この話は、そんな感動的な話だと、ぼくは思っていたんです。でも、ある時、「本当にそうなのかな?」と思うようになりました。

 今から17年前、全国少年少女大会っていう、全国の教会の中高生が集まる大会に参加しました。その大会で、福岡の東八幡教会の奥田知志という牧師さんがお話をしてくれました。奥田牧師は、教会の牧師でもあるけど、家がなく外で生活せざるを得ないホームレスの人たちを支援する活動もずっと続けてきています。テレビでも何度も取り上げられてきている牧師さんです。その大会のお話の中でも、その奥田牧師たちのホームレス支援の活動を紹介したテレビ番組のビデオを見せてくれました。奥田牧師たちは、公園に行ってホームレスの人たちに無料でご飯を渡す炊き出しをしたり、毛布を配ったりもしていたけど、それだけでは、ホームレスの人たちはずっとホームレスとして過ごさなくてはならないので、ホームレスの人たちが自立して生活ができるようになるために、ホームレスの人にアパートに住んで、一人暮らしの練習をしてもらい、半年後には自分で部屋を借りて生活できるようになるよう支援するという活動をしていました。番組の中で、そのアパートの部屋に入ったばかりの、つまり、ついこの間までホームレスだった一人のおじさんに、奥田牧師が話をする場面が映し出されました。もうずいぶん年を取っているそのおじさんに、奥田牧師はこんな風に声をかけたんです。「ここに入って、これでもう終わり・・・というのではないですよ。今ここで、あなたとぼくらとの関係が始まったんです。これから、こんな関係がずっと続いていくんですよ。もしあなたが亡くなったら、ぼくがあなたの葬儀をします。もし、ぼくが死んだら、あなたはぼくの葬儀に出てくださいよ」。奥田牧師は、笑いながら、そんな風にそのおじさんに言いました。それから、17年・・・。奥田牧師たちは、今、“希望のまちプロジェクト”という働きを進めています。「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」というのが、そのプロジェクトの合言葉です。誰かが一方的に誰かを助けるというのではなくて、お互いの存在がお互いにとって必要なんだと感じ合いながら生きていく・・・生かされていく・・・。そこに希望を見出しながら、そんな風に生き合える町づくりが始められようとしています。

 さっきの聖書の話も、一人の病気で寝たきりの人と、その人を支え、助けた四人の元気な男たち・・・っていう、一方的な関係のお話だったんだろうか?人々から差別され続けていた病気の人に、元気で、裕福で何の不自由もない男たちが一緒にいてくれた・・・ということだったんだろうか?病気の人だけが、助けや支えを必要としていて、他の男たちは何も困ったこともなく、助けも支えも必要としていなかったんだろうか?そうじゃないと思うんです。ほかの四人だって、悩みや痛みを抱えていた。助けられ、支えられることを必要としていた。もしかしたら、この四人も、周りの人たちから差別されたり、悪口を言われたりしていた人たちだったのかもしれません。そうでなくても、ぼくらもみんなそれぞれに、色んな悩みや痛み、苦しみを抱えているのと同じように、この四人もやっぱり悩みや痛みを抱えていた・・・。だから、きっとこの病気の人が癒されるかもしれないということは、この四人にとって、自分たちへの希望の出来事だったんです。「お前なんか、生きる価値はない!」って、さんざん言われてきたこの人が、生きていく希望を与えられるのなら、それはそのまま、自分たちにとっての生きる希望だったんです。そうやって、四人は、必死になって、この人をイエスさまのもとへと連れて行ったんです。そして、その姿を見て、イエスさまはこの5人に向かって言ったんです。「周りのみんなは、あなたに先祖の罪への罰が下ったと思っているだろうが、そんなことはない。もうあなたは罪などないとされている。あなたの命そのものに、価値があるんだよ」って。イエスさまのその言葉を、5人は、とっても嬉しく聞いたに違いないと、ぼくは思うんです。

 

◆ “Sさんのための祈りの場”から“Sさん家族と共なる祈りの場”へ

 先日、メッセージの中で、Sさんという、50才で末期ガンを患い過ごしている友人のことを紹介しました。中高青年時代に、福岡の教会の仲間として一緒に過ごした先輩です。彼のために一緒に祈ろうと、かつての仲間たちと、インターネット上でグループを立ち上げ、やり取りをしています。今は日本中・・・中には海外で生活している仲間もいますが、ネット上では、つながって一緒に祈ることができるので、不思議な感覚を覚えています。ただ、そこでみんなで祈りながら、ぼくらの祈りは少しずつ変えられてきたように感じています。最初は、Sさんが若くして末期ガンを患ったということで、ショックを受け、どうにか励まし、とにかく病気が治るために祈ることを目的として集まりました。でも、1か月、2か月とみんなで祈っているうちに、むしろ、Sさんの発信する言葉から、何度となく励ましを受け、その生き様から多くを教えられてきている自分たちに気づかされてきたのです。「Sさんのため・・・」だったはずの祈りの場は、いつしか「Sさん家族と共なる」祈りの場とされてきたのです。もちろん、病の癒しのためにも祈り続けていますが、時には感謝の祈りが・・・、時には喜びの祈りが、そこではささげられるようになりました。個人的にも、ぼくはSさん夫婦とメールでやり取りをしながら、ぼく自身が今抱えている悩みや困難も分かち合わせてもらい、二人に祈ってもらいました。その祈りに、どんなに励まされたでしょう・・・。そして、きっとそんなぼくを支えようと思ってくれたのでしょう、うちの教会のHPを見てくれたSさんから、先日教会宛に献金が送られてきました。「半分は教会への献金、半分は、無料配布とかの活動に当てて貰えると嬉しいな。面識はないけど、教会の方々、西本先生にも宜しくお伝え下さい」との言葉が添えられていました。

 

◆ “彼ら”とはだれか・・・

 今日の箇所の17節には、このように記されています。イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。ここでいう“彼ら”とは、誰のことでしょう?病の男と、彼を運んだ四人の男たち。罪のゆるしの宣言を受けたのは、病の男でしたから、そもそも「イエスは“彼の”信仰を見て・・・」と書かれていてもおかしくないはずです。また、先ほどの絵本では、この“彼ら”は、むしろほかの四人を指しているように書かれていました。でも、ぼくは、そのどちらでもなかったのだと考えています。もし彼らの関係が、どちらかが他方に何かをしてあげているという一方的な関係であったならば、イエスさまはここで、病気の本人の「“彼の”信仰」か、彼を連れてきた四人の「“彼らの”信仰に」目を留めたことでしょう。でも、イエスさまが目を留められたのは、5人の“彼らの”なりふり構わぬ信仰であり、生きる希望を共に求める姿であったと、ぼくは思うのです。

 

◆ 律法学者やパリサイ人たちにとっては、恵みでも希望でもなかった

 さて、今日の聖書の箇所には、この5人の男以外にも、イエスさまの恵みの業を、目の当たりにした人々がいたはずです。なにせ家には入りきれないほどの人々が、そこに集まっていたというのですから。ただ、その中には、イエスさまのことを「この人は神を冒涜している」と腹を立てる律法学者やパリサイ人たちもいました。そして、彼らはこの後も、イエスさまが行く先々についてきては、その一つひとつの言動に、いちゃもんをつけるのです。徴税人や罪人と一緒に食事をすること・・・、ヨハネの弟子たちのように断食をしないこと・・・、安息日に麦の穂を摘むこと・・・、そして安息日に病人を癒すこと・・・。そして、いつしか彼らは、自分たちにとって目の上のたんこぶのような存在となったイエスさまを、殺してしまおうと考えるに至っていくのです。しかし、そんな彼らも、このイエスさまの癒しと希望の出来事の現場に身を置いていたのです。「生きるに値しない」とされてきたその人が、生きる希望を受け取っていくその姿を、目の当たりにしたのです。でも、その出来事を、彼らは恵みとしても、希望としても、受け取ることはできませんでした。希望を与えられたこの男たちと、共に喜ぶことはできなかったのです。彼らにとっては、自分がそれを必要としているとは思えなかったからです。自分の存在は社会に必要とされている・・・、自分の力がなければ社会は回らない・・・、自分はもっともっと力も名声も得ることができる・・・そう信じて止まなかった彼らにとっては、目の前で繰り広げられた出来事・・・病の男の命が、そのままで価値あると宣言されることは、恵みでも希望でもなかったのでしょう。

 

◆ だれかの癒し・ゆるし・希望が教会みんなの恵みと希望に・・・

 わたしたちには、赦しも恵みも、神さまからの一方的な愛によって、すでに与えられているのだと、聖書は語ります。ですから、ぼくらはいつも、その主の恵みに触れているわけです。だけど、それを自分への恵みとして、希望として受け取るかは、ぼくら次第だということです。ぼくらが、自分にはその必要はないと虚勢を張っている限りは、それを受け取ることはできないのです。そのままでは何もできない罪深く弱い自分と向き合う時、そんな自分を、イエスさまはゆるし、必要としてくださる・・・「あなたはわたしの目に高価で尊い」と語りかけてくださる、その神さまの声が、自身への希望の言葉として響いてくるのです。そして、そうであるとすれば、この教会とは、お互いの罪も弱さも痛みも持ち寄って、イエスさまの癒しとゆるしとを必死に求める場所だということです。そして、そうであれば、だれかの痛みに癒しが与えられた時・・・、だれかが罪のゆるしの宣言を聞いた時・・・、だれかが弱さを抱えたままに生きる希望を与えられた時・・・、それが教会のみんなの恵みと希望になるのです。

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 空耳じゃなかった 』

ローマ人へ手紙8:38~39

ルカによる福音書4:1~13

2023年1月8日(日)

 

 

 

子どもメッセージ

 イエスさまは30歳のときに、神様の働きを本格的に始めました。バプテスマを受けた時にその働きが始まりました。その時、バプテスマを受けていたのは、イエスさまだけではありませんでした。けれども、イエスさまがバプテスマを受けた時に限って、ある特別な事が起こりました。空(天)のほうから、神さまの声が鳴り響いたのです。「あなたは私の愛する子 あなたを喜ぶ」と。 

このバプテスマからイエスさまの働きが始まりました。その時のイエスさまはどんな気持ちだったのでしょう。「ようし!これからいろんな人の所に行って、神さまの愛と喜びのメッセージを伝えよう!」と気合が入っていたのかもしれません。

2023年という、新しい年が始まりました・・「どんな一年になるだろう~」とウキウキ・ワクワクしているお友達もいるかもしれません。イエスさまも、バプテスマを受け、新しい出発をしましたので、ウキウキしていたと思います。なんせ、神さまからの嬉しいお知らせを聴いたばかりですから、「あなたは私の愛する子 あなたを喜ぶ」と。「どこに連れてかれるんだろう・・あの村かな?・・あの人たちの所かなぁ?」と期待を膨らませていたかもしれません。

でも、そのような期待とは真逆なことが起こりました。イエスさまが連れてかれたところは、だれぇぇぇもいない荒野・・砂漠でした。砂漠の動物達は、「何でこんな厳しい砂漠にたった一人で来るんだろう」と思いながら、イエスさまのことを見ていたのかもしれません。砂漠は、昼間はとても暑く、夜はとても寒い場所です。風もビュービュー吹きます。そこで、40日間何も食べずにいたと聖書はいます。 

皆さんはお腹がすいた時どうなりますか?僕は、一食だけでも食べないと、イライラして、何かおかしなことを言わないように、言葉数を減ります。そういう時は、食べ物のことしか頭に浮かびません。イエスさまは、1日や2日ではなく・・40日も何も食べずにいましたので、どれだけお腹が空いていたのでしょうか。きっと、フラフラしていたことでしょう。「パンだけでもいいから、食べたいなぁ~」と思っていたに違いありません。

40日も何も食べず、お腹がペコペコのイエスさまでしたが、その間ある声がずっと聞こえてしました。「やー・・あんたは、神さまに愛された子・・神さまに喜ばれているんだって?そうだとしたら、何で40日も何も食べられない荒野に連れてかれたのだろう・・本当に神さまの子どもであれば、この石をパンに変えちゃえばいいじゃないか。お腹が空いてるんだろう?・・ハヒフヘホー」と。自分の空腹だけに目を向けさせる、誘惑をしてくる声でした。その後、もう二つの誘惑が続きました。

ある、高い山のてっぺんに連れてかれました。眺めがとてもよく、遠い国まで見ることができました。砂漠に比べると、とても住みやすそうな町や村も見えました。そして、またあの声がささやいてきたのです。「ハヒフヘホー・・本当に神さまがあんたを愛して、喜んでいるのなら、こんな砂漠で厳しい生活をさせるのではなく、これら国々の王さまになっているはずじゃないのかぁ?・・苦労をさせる神さまなんか、本当に神さまなのかぁ?・・愛されてないのかもしれないなぁ・・僕を神さまにすれば、いい暮らしができるぞ~」と。これが二つ目の誘惑の声でした。

さらにイエスさまは、高くそびえたつ建物の屋上に連れてかれました。そして、あの声が語りかけてきたのです、「ハヒフヘホー・・神さまが本当にいるのであれば・・しかも、その神さまがあんたを愛して、大事にしているのであれば・・ここから飛び降りたときに、救ってくれるはずだ・・助けてくれるはずだ。神さまに本当に愛されているか・・試してみないか・・」。

イエスさまは40日間、ずっと誘惑を受けながら過ごしました。お腹もペコペコで、フラフラでしたが・・何とか、誘惑に耐えました。でも、イエスさまは考えたに違いません。「あの、バプテスマの時、天から聞こえてきた事・・あれは本当だったんだろうか・・本当に神さまに愛され、喜ばれているのだろうか・・空耳ではなかったのだろうか」と。そう思わずにいられなかったイエスさまであったと思いますが、イエスさまを支えたのは、他でもなく、あのバプテスマの時に天から鳴り響いた愛と喜びの言葉でした。

私たちも、時折、イエスさまと同じように、誘惑の声を聞かされているのかもしれません。「ハヒフヘホー・・」・・のような分かりやすい、明らかな合図はないのでしょう。でもこう考えることはないでしょうか、「こんなに辛い思いをするんだったら・・こんなにいやなことがあるんだったら・・僕は大事にされてないのかもしれない・・神さまでさえ僕のことを気に掛けてくれない」と。けれども、聖書ははっきりと言います。神さまが一人ひとりを愛し、大事にしていること・・この事実からひき離す事は何一つない、と。どんな困難があっても・・どんなに寂しくても・・どんな心配事があったとしても・・神さまの愛から引き離されることはあり得ない、と。イエスさまが、荒野の誘惑に耐えながら、それを示してくれたんじゃないのかなぁ。十字架にかかりつつも、なお、神さまのことをあきらめなかったイエスさまが、消えない本当の愛を示してくれたんじゃないのかなぁ・・

 

三つの誘惑は何を狙っていたのか

イエスさまは、バプテスマを受けてすぐに、荒野で過ごし、聖霊によって「引き回された」と今日の聖書は言います。イエスさまでさえ、混乱したことでしょう・・「なぜ神さまは、働きの最初から、ひどい試練に合わせるのだろうか」・・と。私たちもそう思わずにいられない苦しい時があります。そして、今日の聖書では、三つの誘惑が紹介されています。それぞれの誘惑の細かい狙いは異なると思いますが、バプテスマの出来事と一緒に今日の荒野の場面を読むと、それら誘惑は一つのことで結ばれているように思うのです。すべての誘惑は、神さまからの愛と喜びの宣言を疑わせる狙いがあったと言えるでしょう。「そのままのあなたは愛されていないのでは?・・今のあんたなんか喜ばれているわけがないでしょ」という自己否定の疑いを植えさせる狙いがあったのです。立ち止まって考えれば、この類の語りかけを私たちは日々聞かされています。「もっと美しく、もっと速く、もっと大きく、もっと輝いて・・もっともっと」という価値観の中で私たちは生きているのではないでしょうか。もちろん、美しさや、速さ、大きさ、輝き・・属に言う“成功”や“成長”はダメなことだとは全く思いません。発展と成長によって、私たちの生活は多いに豊にされています。けれども、それらを達成しなければ愛されない・・喜ばれない・・それらを得られなければ認められないという価値観だけでは行き詰るのではないでしょうか。イエスさまの福音の視野は無限に広いのです。聖書が語るのは、条件付きの愛ではなく、徹頭徹尾無条件の愛です。アガペーは無条件の愛です。もうすでに神さまに愛され、喜ばれた子どもとして羽ばたきなさいと、聖書は繰り返し語ります。どこまで行っても、私たちは条件付きの愛で物事を考え・・何かしらの見返りを求めます。でも、神さまは違います。何も見返りを求めず、無条件の赦しを訴えたのが十字架のイエスさまです。私たちが経験する誘惑とは、その無条件の愛を忘れさせようとすることであるのだなぁと改めて思わされています。

 

誘惑はイエスさまの生涯の最後の最後まで続いた

イエスさまは、荒野で40日間以上過ごし、それら誘惑を乗り越えたことを今日の聖書は物語っています。でも、誘惑は荒野で終わったのでしょうか。今日の箇所で使われている「試み」という言葉は、十字架を目前にして、ゲッセマネで祈られていた場面でも繰り返し登場する単語です。そう考えると、イエスさまは、十字架の死を迎える最後の最後まで、誘惑と闘っていたのです。神さまの無条件の愛がイエスさまの十字架で示されるまで誘惑と闘っておられたのです。それは、私たち一人ひとりのための闘いだったのです。私たちにも、神さまの無条件の愛と喜びが及ぶための闘いでした。そのイエスさまを支え続けたのは、バプテスマの時に鳴り響いた、愛と喜びの宣言であったと思うのです。

 

新成人と一緒に覚えていたい神さまの無条件の愛

 今日は「成人祝福主日礼拝」として、礼拝をささげています。新成人には教会からのプレゼントを用意しました。選べるようにはしましたが、聖書や讃美歌に加えて、今年は星野富弘さんの詩画集も用意しました。

 私は、星野さんの詩の中で時々思い出す作品があります。そして、今回、イエスさまが誘惑を受けながらも、神さまの無条件の肯定の言葉・・愛の喜びの言葉に支えられたことを読みながら、星野さんの詩を思い出しました。このような詩です。

 

「立っていても 倒れても ここはあなたの手のひら」

 

星野さんはクリスチャンですので、この詩で言う「あなた」とは、神さまのことです。ですので、この詩は、「私たちが立っていても、倒れても、ここは神さまの愛の手のひらの中である」という内容になります。

星野さんは、中学校の教師をしていましたが、クラブ活動の指導をしている最中に転落し、頚(けい)髄(ずい)を損傷し、それ以来手足の自由を失いました。「今までのようにできない」という不自由さと葛藤を知る星野さんは、口に筆をくわえながら、文や絵を書き続けています。

このような人生を辿ってきた星野さんの言葉として、「立っていても 倒れていても ここはあなたの手のひら」という詩を聴くときに、心に訴えてくるものがあるように思わされるのです。どんなことがあろうとも・・何が起ころうとも、揺らがない神さまの愛の手に支えられている・・この真実が聴こえてくるのです。

 イエスさまは十字架に至るまで、神さまの無条件の愛と喜び・・肯定のみ言葉が空耳ではなく、真実なものであることを示してくださいました。私たちにも及ぶ愛と喜びの福音であることを顕してくださいました。これは、私たちを生かす嬉しい知らせなのではないでしょうか。この良い知らせを携えて、新成人と一緒に新たな一年に踏み出していきたいと思うのです。

 

 

(牧師・西本詩生)

 


『 血のつながりも、敵味方すらも超えて

広がっていく神さまの家族 』   

ルカによる福音書8:19~21 

ルカによる福音書2:41~52

2023年1月1日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 今年は1月1日、元旦が日曜日です。それだけでも、「すごい年だなあ」と思ってしまうけど、元旦が日曜日だということは、今年は12月24日のクリスマスイヴと、12月31日の大晦日も、日曜日になります。つまり、今年は元旦とクリスマスイヴと大晦日が、全部日曜日に当たるという年なんです。ちなみに、元旦が日曜日に当たる年は、その前の年には、12月25日のクリスマスが、日曜日に当たります。去年がそうでしたね。去年といっても、1週間前のことだけど。ぼくがこの札幌教会に来て18年が経とうとしていますが、実は今年のように元旦が日曜日だった年は、今までも3回ありました。結構あるでしょ?一番最近では2017年、その前は2012年、そしてその更に前が2006年です。5~6年置きに、この恐ろしいスケジュールの年がやってきているっていうことです。でも、安心してください。次に来るのは、2034年ということなので、しばらくはきませんので。

 さて、元旦が日曜日になったというこの2006年の1月というのは、ぼくにとっては忘れられない月になりました。ぼくが札幌に来たのは2005年の春だったから、2006年の1月というのは、札幌で最初に迎えた新年でした。その1月の末に、大好きだったクメばあちゃんという、ぼくのおばあちゃんが亡くなったんです。94才でした。

 ぼくは、小さなころから「ばあちゃんっ子」でした。小学3年生の時、ぼくらの家族は、クメばあちゃんが住んでいる家の2階に引っ越しました。同じ家の1階と2階に住んでいたけど、基本的には、ご飯も寝るのも別々でした。だけど、ぼくは何かと理由をつけては、1階のばあちゃんちに居座っていました。ぼくのお母さんは、とっても厳しくて、おやつもなし、ゲームもなし・・・ゲームどころか、テレビもほぼ禁止、夕方5時には絶対家に帰ってないといけなかったし、夜7時には寝させられていました。でも、ばあちゃんちにいれば、たいがいのことはOKでした。だから、ばあちゃんちで、おやつを食べながら、テレビを観ていたんです。これ、ぼくのお母さんには秘密なので、もし万が一、みんながぼくのお母さんに会うようなことがあったとしても、絶対に言わないでくださいね。でも、確かにおやつを食べさせてもらえたり、テレビを観させてもらえたりするというのもあったんだけど、ぼくは、クメばあちゃんと話すのが、とっても好きでした。縁側でミシンに向かうクメばあちゃんと、おかきを食べながら、他愛もない話をして、よく時間を過ごしたものです。その後、高校を卒業して、大学に通うのに4年間福岡を離れたんだけど、神学校で勉強するために、また福岡に戻りました。その頃、ちょうど、ぼくの家族がみんな福岡を離れていたので、神学校で勉強していた3年間は、クメばあちゃんと二人暮らしでした。その間、クメばあちゃんは、毎日ぼくのご飯を作ってくれました。神学校を卒業する時が近づいてきました。クメばあちゃんは、ぼくがいずれは家を出ていくだろうと思っていたみたいだけど、神学校を卒業したら福岡の教会で牧師になると思い込んでいたみたいで、ぼくが「札幌に行くことになったよ」と話した時には、とても驚いていました。クメばあちゃんは仏教徒だったので、ぼくがクリスチャンになることも、ましてや、牧師になることも、諸手を挙げて賛成してくれていたわけではありませんでした。しかも、赴任することになった教会は、福岡から遠く離れた札幌の教会・・・。それでもクメばあちゃんは、ぼくの進路について、いつも励ましてくれました。札幌に行くことが決まってから、ある人が、ぼくのいる前で、クメばあちゃんに「大ちゃんがいなくなって寂しくなるでしょう」と声を掛けた時、クメばあちゃんが烈火のごとく怒りました。「孫の前で、そがんことば言わんでください!後ろ髪ば引きたくなかとです!」って・・・。実はぼくは、「ばあちゃんを置いて、家を離れることは、ばあちゃんのことを捨てることになるんじゃないか」って悩んでいたんだけど、クメばあちゃんのその言葉を聞いて、「ああ、家族っていうのはそんなことで崩れるもんじゃないんだ」って、ホッとしたんです。その後、ぼくは札幌に来ることになり、また、クメばあちゃんの一人暮らしが始まりました。そして、それから最初に迎えた新年の1月に、クメばあちゃんは、自分で朝ごはんを作ろうとしていた時に倒れて、そのまま亡くなりました。ぼくが、札幌に来ることができたのは、クメばあちゃんのおかげだ、と思っています。クメばあちゃんはぼくに、「住む場所の離れたくらいで、あんたとわたしたちとのつながりが崩れるはずのなかろうが!」って、そう教えてくれたんです。そんなクメばあちゃんは、ぼくにとって、とっても大事な家族のひとりです。でも、このクメばあちゃんが、ぼくにとって大事なのは、ただ血がつながっているっていう理由だけではありません。クメばあちゃんと、あんな風に過ごしてこなかったら、ぼくの中でのクメばあちゃんの存在は、もっと違ったものになっていたと思います。そう考えれば、クメばあちゃんは、ぼくと“家族”になっていってくれたんだと思うんです。

 さて、イエスさまにも、大事な家族がいました。イエスさまは、色んな人たちと、本当の意味での“家族”になっていったんです。今日は、そんなお話をしようと思います。

 

◆ 親としてはたまらない

 「どうしてぼくを捜したの?ぼくが自分のお父さんの家にいることを知らなかったの?」自分を捜しにきた両親に対して、神殿で大人たちと対等にやり取りをしていた少年イエスは、そう言いました。幼いとはいえ、イエスさまのことですから、教会に来ているようなぼくらからすれば、「神殿こそが“自分の父の家”だと切り返すとは、さすがイエスさまは、子どもの時から賢かったんだなあ」と、感心してしまうような場面です。でも、イエスさまの両親であるマリヤとヨセフは、どんな想いで、その息子の言葉を聴いたでしょう?普通に考えれば、カミナリを落として当然です。現に母マリヤは、「どうしてこんな事をしてくれたのです」、「おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」と言っています。実際には、きっとそんな優しい言い方じゃなかったでしょうね。何せ二人は3日もかけて、この息子のことを、必死に捜し続けていたのですから。この時、彼らは、家族だけでなく、親戚や知人も一緒に、みんなでナザレからエルサレムに旅をしていました。過ぎ越しの祭りが終わり、ナザレへ帰る道・・・、たくさんの同行者がいたこともあってか、ヨセフとマリヤは、息子がいなくなったことに、すぐには気付きませんでした。しかし、夕方になって、家族ごとに集まる段になって、息子の不在に気が付きます。焦った二人は、エルサレムから帰っていく人々に逆行するようにイエスを捜しますが、その道中では見つからず、結局エルサレムまで引き返してきました。それでも息子が見つからない・・・。途方に暮れはじめた3日後、両親は神殿の境内で、ようやく息子イエスを発見したんです。マリヤがカミナリを落とすのは当然です。そうでなければ、逆に「それでも親か?」と疑いたくなります。ここ、日本語の訳では十分に表わし切れないのですが、実はマリヤは、わざわざ「あなたのおとう様もわたしも」って言っているんです。すると、それに対して息子イエスは、「わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」と答えたんです。憎ったらしいでしょ?マリヤが「ああ、こんな立派な大人たちとも対等にやりあえるなんて、さすがはわたしの息子ね!」なんて思ったはずは、絶対にないと思うんです。

 

◆ イエスさまの独特な“家族観”

 でも、このように、イエスさまというのは、どこか肉ある家族に対して、いつもどこか冷たかったように感じます。イエスさまが、家族にこんな態度を取ったのは、この場面だけではなかったからです。イエスさまが大人になってから、人々に話をしている時、家族がイエスさまのことを呼びに来た事がありました。それも、なんで呼びに来たかというと、どうも人々がイエスさまのことを「あいつは気が狂っている」と言っていたようで、それを聞きつけた家族が、「このままではまずい、イエスを連れて帰らないと!」って呼びに来たんです。そんな家族に対して、イエスさまはどうされたと思いますか?まるで彼らを追い帰すかのように、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか?」とわけのわからない言葉を言い放ったのです。そして、そこに集まっていた人を見まわしながら、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と語ったのです。つまり、自分のことを心配して迎えに来てくれた家族は追い帰して、そこに集まっていた赤の他人を指して、「ここに私の家族はいるじゃないか」と言ったんです。そんなイエスさまの“家族観”を、ぼくはにわかには理解することも、共感することもできないのです。

 

◆ 温かい家族への信頼に支えられた冷たい態度

 でも、イエスさまは、どうして自分の大切な家族に対して、そんな冷たい言葉を浴びせることができたのでしょうか。「わたしのことを変人扱いして、とんでもない連中だ!」って、本気で怒っておられたんでしょうか?「彼らなど、わたしの家族とは呼べない」と本気で思っておられたのでしょうか?きっと、そうではないでしょう。そうではなく、むしろ、イエスさまの中には、ご自分の家族への、絶大な信頼があっただと思うです。考えてみれば、イエスさまの出生の背景は、かなり複雑なものでした。何せ母マリヤは、聖霊によって身ごもった“未婚の母”だったわけです。母マリヤが自分を出産した時のその複雑な状況についても、また、父ヨセフと自分との微妙な関係についても、大人になるまで、イエスさまがまったく知らなかったはずがありません。イエスさまには、実の兄弟も何人かいたようですから、同じ母から生まれたとはいえ、その兄弟たちとの関係も、微妙なものがあったはずです。そのようなことを鑑みると、あの神殿の境内で、わざわざ「あなたのおとう様もわたしもあなたを捜したのよ」と言った母マリヤに対して、「自分の父の家にいた」と答えた息子イエスの言葉を、父ヨセフが平静な心で聴けたとは到底思えません。それでも、そんな複雑な関係でありながらも、彼らはイエスさまの家族であり続けてくれました。彼らは、このように言ったその息子イエスを、それでも、ナザレの“我が家”へと連れて帰っていくのです。その後も、少年イエスは決して“常識人”ではありえなかったでしょう。ですから、そんなイエスさまを家族としていた、イエスさまの家族は、きっと苦労が絶えなかったはずです。しかし、彼らが、イエスさまの家族であり続けるということを、やめることは決してありませんでした。イエスさまが、みんなに「あいつはきちがいだ!」と言われていると聴けば、みんなで駆けつけてくれるような、温かい家族だったんです。52節に、ルカがこう記したとおりです。イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。この言葉に、ぼくは、イエスさまが神と人から愛される生き方を選び取っていくことを、「良し」として受け入れた、家族の愛を感じずにはいられないのです。家族にだけではなく、人々から愛され・・・、血縁だけの家族ではなく、すべての人々を「家族」と呼ぶイエスさまを、「良し」として受け入れ、愛し続けた家族の存在が、後に救い主と呼ばれるイエスさまのその人生を、少なからず後押ししたに違いないと、ぼくは思うのです。

 

◆ “教会家族”の枠もあらゆる隔たりを超えて広がる

 コロナになって、この2年半。この教会は、多くの人々と新しく出会わされてきました。いや、それ以前から、そうでした。創立以来、約70年の間、地域に開かれた教会となっていくことを、この教会は、ずっと祈り求めてきました。それは、あらゆる人々と、“神の家族”、“教会家族”となっていくという願いです。インマヌエル、神われらと共にいます。その神さまは、わたしとも、あなたとも、あの人とも、この人とも、必ず共におられるのだ。あらゆる垣根と隔たりを超えて“教会家族”は広がっていくのだ。そのことを信じて、共に祈ってきたのです。

 

◆ イエスさまの“家族”の枠は敵にまで及ぶ

「あいつはきちがいだ!」と言われているのを聞きつけた家族が、イエスさまを迎えに来た時、その家の中にいて、「ここに私の家族がいる」とイエスさまが言ったその言葉を聴いたのは、一体誰だったでしょう?それは、イエスさまの噂をきき、その言葉と癒しを切に求めて、そこに集まってきていた、多くの悩みを抱えた人々、病を患った人々、差別を受けていた人々、貧困に苦しむ人々でした。イエスさまが、そのように社会で小さくされていた人々を、自らの“家族”と呼ばれたことには、まだ納得がいきます。でも、迷子として捜された、少年だったイエスさまが、「ぼくは自分のお父さんの家にいたんです」と言った時、そこにイエスさまと一緒にいた人々とは、一体誰だったでしょう?それは、やがてイエスさまを敵対視し、十字架へと追いやっていくことになった律法の専門家たちでした。やがては、自分を十字架の死へと追いやっていくことになる、いわば“敵対者”たちをも、自らの“家族”として捉える、そのイエスさまの“家族”の枠は、ぼくらの常識の範疇には決して収まらないのです。

 

◆ この教会の“教会家族”も広がっていきますように

 ずいぶん前のことですが、ある高齢の教会員を見舞った時、教会の人たちが次々と見舞ってくれることを受けて、その方がこんな風に言ったことが忘れられません。「牧師、あんたが『教会に家族がたくさん与えられていますよ』って言っていたのは、本当だったな」って・・・。この教会には、赤ちゃんから高齢の方々まで、あらゆる年齢層の人たちが集っており、コロナ以前は、その全年齢層で教会学校のクラスがもたれ、互いに聖書を学びあってきました。そこは「聖書の学びの場」でもあり、同時にまさに“教会家族”の集う場でもあったことを、今、振り返りながら痛感させられています。それぞれのクラスにおいて、食卓としての机を囲みながら、神さまの与えられる聖書の言葉というパンを・・・、日々の糧を共に分かち合ってきたのです。また、それぞれのクラスにおいては、教会に来られないでいる方々のことが覚えられてきましたし、同時に、新しく来た人たちもそこで受け入れられ、“教会家族”としての交わりに加えられてきました。今、執事会では、その“教会学校”を、今できる形ででも、どうにか再スタートしていくことを目指して、準備を進めています。どうぞお祈りください。そして、イエスさまの“家族”が敵味方すら超えて広がったように、みんなでこの教会の“教会家族”がますます広げられていくことを祈り求め、その変化を受けとめ、喜んでいきたいと思うのです。

 

 

(牧師・石橋大輔)