『 立ち上がって ベテルに行きなさい 』
ヨハネによる福音書4:4~7
創世記34:30~35:15
2024年8月25日(日)
子どもメッセージ
僕が20代の時に、小学生たちの集まりで、なぜ教会は毎週礼拝をしているのかと聞かれたことがあります。恐らくその質問をしてきたお友だちは、せいぜい月に一回でいいじぁないかと思っていたのだと思います。教会の人たちはいつも忙しくしていて、特に大人たちは疲れているように見えていたのかもしれません。その小学生は、決していやがって教会に来ていたわけではなく、教会の人たちを気遣ってそう質問してきたのです。いずれにせよ、いい質問だったと思います。そのようないい質問を受けた僕でしたが、「それが決まり事であるから」のような答えしか思い浮かびませんでした。ですので、たどたどしく答えたことを思い出します。
さて、ここ数週間ヤコブさんのお話を読み進めてきましたが今日で最後です。来週からは、ヤコブの子どもたちのお話に移っていきます。そして今日のお話を読むと、礼拝について考えるきっかけになると思うのです。
ヤコブのお話でまず注目したのはこういう場面でした。父親からの祝福を巡って、次男であるヤコブはエサウお兄さんを騙しました。そのため、エサウはヤコブに復讐することを固く誓いました。兄を騙したことで、エサウが襲ってくることを恐れて、もうお兄さんのそばで暮らせないことが分かったヤコブは、実家から逃げました。3週間近くはかかるラバンおじさんのところへ旅立つことになったのです。「これからどうなるのだろう」という不安や恐れを当然抱えながら旅を進めていました。一人旅でしたので、おしゃべりをしたり、何か他のことに注意を取られたりすることはさほどなかったと思います。旅をしている間何をするかというと、考え事だったと思います。そして、自分がやったことでエサウお兄さんとの関係が悪くなってしまった事をグルグルグルグル頭の中で考え、後悔していたかもしれません。そんな旅の途中で、ある場所で眠りについたところ、夢の中で神さまがヤコブに話しかけてきました。「あなたを通して、世界中の人々が祝福される。わたし(神)はあなたと共にいる。いずれこの地にわたしがあなたを連れ戻す。」と神さまが話しかけてきたのです(創世記28:14~15)。自分がやってしまったことを覚え、後ろめたさを抱いていたヨセフに対して「神さまが一緒にいてくださる」と話しかけられたのです。もしかしたら、ヤコブの考えの中では、実家から逃げ去るということは、神さまからも遠ざかるということだったかもしれません。自分のやったことで、こうなったのだから、神さまが自分から離れてしまってもしょうがない・・・という考えです。でもその考えをひっくり返すように、「神さまが一緒にいてくださり、これからも守ってくださる」と約束されたのです。この出来事は一生の思い出となりました。その場所を「神さまの家」という意味を持つ「ベテル」と名づけました。そして、神さまの約束を記念するため・・・とても困った時に神さまの側からわざわざ出会ってくださり、励まして下さったことを覚えるためにその場所で記念の石を立てました。「神さまの家」と名づけたベテルという場所はヤコブにとって特別な場所でした。
結局ヤコブはラバンおじさんのところで20年過ごすことになりました。そこで家族ができ、12人の子供たちが生まれ、財産もそれなりに蓄えました。そして、神さまの指示があり、ラバンおじさんのところを離れることになりました。自分の故郷に帰ることになったのです(創世記31:3)。でも故郷に帰るとなると、エサウ兄さんがいることを知っていました。20年が経ったと言っても、エサウ兄さんを裏切ったことで、復讐をしてくるのではないかと心配していたのです。どの場面でも、目立つことですが、ヤコブはとても計算高い人です。そしてこの場面でも、計算高いヤコブの一面が際立つのです。ヤコブがエサウと再会する前に、高額なプレゼントを兄のところに送り、この手、あの手を使って、エサウとの再会がうまくいくように策を取りました。でも結局、エサウは暖かく弟ヤコブを迎え入れたのです。エサウの側からわざわざ走り寄ってきてヤコブを抱きしめました。エサウとの再会は復讐の再会ではなく、20年ぶりに会えた喜びの出来事となりました。そのようになったのは、計算高いヤコブが考え出した作戦の効果ではなく、神さまが不思議にも20年間という長い年月を通してエサウの心にも、ヤコブの心にも働きかけてくださり、守ってくださったからである・・・そのように思わされる場面だと思います。
このような出来事を通りながら、ヤコブは自分の生まれ育った故郷からさほど離れていないところで土地を購入し、そこで、家族と一緒に住むことになりました。ヤコブにとって、特別な思い出の場所であるベテルからも近い場所でした。お兄さんとの思いがけない暖かい再会も経て、新しい地での生活も始めることができ、そのまま物語は落ち着いていくのかと思いきや、とても悲しい事件が起きてしまいました。ヤコブの娘であるデナが、そこの住民に攻撃されてしまったのです。デナはひどい傷を負いました。一生なおらないかもしれない傷です。
この場面に登場するのはデナを攻撃した人、そしてその人をかばう人たち、デナが攻撃されたことを激しく怒るデナの兄弟たち、そしてヤコブです。ヤコブはどうしたかと言うと、ほとんど何もせず、嘆き悲しむ様子もなく過ごします(最愛の息子ヨセフを失ったと知らされる時の様子とは全然違います(創世記37:34))。さらに大事にならないことを願い、このことを通しても自分たちの有利なことに結び付けないかという目論見が多少なりともあったからか、娘デナの被害に関して何も言いませんでした。相変わらず計算高いヤコブらしい姿だ・・・と言う人もいるでしょう。せっかく、兄エサウとの再会の場面で、自分の根回しや作戦を超えて、不思議にも神さまが導いてくださることを見せられたばっかりだったのですが、クセというものはなかなか抜けないものなのでしょう。このように、ヤコブだけでなく、それぞれがそれぞれの思いのまま事を進め、状態はさらに複雑になってしまいました。紐が絡まってしまうことにたとえるとしたら、それを紐解くためにどこからはじめていいか分からないぐらい、物事は複雑化し、こんがらがってしまいました。
この場面をよく観ると、どうしても引っかかってしまうことが幾つかあります。デナが攻撃されるという事件が起き、誰も神さまを呼び求めなかったことです。「神さま、わたしたちはどうすればいいんですか?なんでこんなことが起きたのですか?神さま、わたしたちは悲しく、悔しいです・・・デナが泣き続けています。神さま答えてください」・・のようなことを一言も口にされることはありませんでした。登場する人は沢山いるのですが、傷み悲しむデナに寄り添う人は一人も見当たりません。
このような事が進む中で神さまからの語りかけがヨセフに聞こえました。「立ち上がってベテル(神の家)に行きなさい。そこで礼拝しなさい」と。もしかしたら、神さまからの語りかけは、ずっと前から届いていたのかもしれません。ヤコブが気づいてなかっただけだったかもしれません。けれども、物事がこんがらがって、絡まって、救いようがないところまで進んでしまったからと言って、神さまからの語りかけは途絶えませんでした。「立ち上がってベテル(神の家)に行きなさい。そこで礼拝しなさい。」と神さまは語りかけてきたのです。
ベテルと言えば、兄エサウを騙したためヤコブが故郷を逃げ去り、悩み苦しんでいた時に、神さまの側から近づいてきて、励ましてくださった場所です。ヤコブはベテルで、はじめて神さまと語り合いました。一生忘れられない、神さまを礼拝した場所・・・神さまが出会ってくださったところがベテルです。
興味深いことに、ここで神さまがヤコブに最初に伝えたことは「立ち上がりなさい」ということでした。ベテルに行くには歩かなくてはいけませんでしたので、当然立ち上がることが必要でした。「歩き出す前に立ち上がりなさい」の意味で神さまがわざわざ語ったとは考えにくいと思います。むしろ、ドツボにはまっていたヤコブたちのその状況を踏まえて「立ち上がりなさい」と語られたのだと思います。自分たちだけのことから一歩踏み出て、わたし神さまと向き合いなさいという意味で「立ち上がりなさい」とわざわざ言ったのだと思います。
私たちは、今日の場面で紹介されている事件のようなことに巻き込まれることはないのかもしれません。ぜったいないことを願います。そうは言いつつも、ドツボにはまっていたヤコブは自分とも多少なりとも重なるような気がしてならないのです。どういう意味で重なるかというと、ついつい自分の事、せいぜい自分の周りしか見えなくなってしまうこと・・・この点では、ヤコブと僕はさほど変わりないなぁと思うのです。ですので、ヤコブに告げられたこと・・・「立ち上がってベテル(神の家)に行きなさい。そこで礼拝しなさい」これは僕らにも言われていることだと気づくのです。ヤコブは神さまと向き合う礼拝を必要としていました。そして僕らも礼拝を必要としているのだと思うのです。悩んだり、考え込んだり、あるいは個人的な夢を持って、願い事を抱くのがわたしたちなのでしょう。知らず知らずのうちに目線が自分だけに向いていたり、引きずっていたりする沢山のものがあるのだと思います。それらすべてをひとまず手放して、礼拝をささげ、神さまと向き合う・・・その中で見えてくるもの、思い出す事があるのだと思うのです。今注目することが大事であること・・・自分だけでは気づけなかったものが少しずつ見えてくるのだと思うのです。
デナのいやしを求めて~イエスさまとサマリア人の女性~
聖書を1章ずつ読み進めていくと「なぜこんな悲惨なことが書かれているのだろうか」と思わずにいられない「恐怖の箇所」(英:texts of terror)と呼ばれるところがあります。創世記34章はその一つであると言えると思います。ヤコブの娘デナの性的暴行事件が語られ、それをきっかけに、その地域に住む男性が皆殺されてしまうという復讐の連鎖が語られているのです。こどもメッセージでも少し話しましたが、被害を受けたのはデナなのですが、デナを顧みて彼女に寄り添う人は誰もいませんでした。ヤコブ一族がベテルに向かった時には、デナも一緒であったはずです。でもその後、デナがどうなったのか、いやされたのだろうか・・・謎に包まれたまま聖書は全く語ってくれない・・・今まではそう思っていました。
今回初めて気づいたことですが、イエスさまの物語の中で、この創世記34章の出来事が意識されている場面があるのです。ヨハネによる福音書4章に紹介されている「イエスとサマリア人の女性」と呼ばれる場面です。イエスさまがエルサレム周辺からガリラヤに行く時に、「サマリアを通過しなければならなかった」とわざわざ書いてあるのです(ヨハネ4:4)。そして、イエスさまがたどり着いたのは、先祖ヤコブが掘った井戸であったことが紹介されているのです。イエスさまの時代の人たちは、その地域で何が起こったのかを知らない人はいなかったと言えるでしょう。デナが巻き込まれてしまった事件の記憶は、引き継がれ、語り継がれる民衆の記憶の中にあり、イエスさまもそれを意識していたことでしょう。それゆえに、「サマリアを通過しなければならなかった」のです。ヤコブの井戸で、イエスさまはあるサマリア人の女性と会話をするのです。
ヤコブの井戸に通っていたサマリア人の女性は、創世記のデナと重なります。サマリア人の女性は5人の夫と結婚した過去を持っていました。どのような経緯でそのように結婚を繰り返したかは明確にされていませんが、周りからは悪口を言われていたことが想像できます。もしかすると、影では「まるで娼婦みたいだ」という悪口を言われていたかもしれません。
イエスさまは彼女に自分から声をかけ、お願いをしました。「水をください」と。ここから始まる対話を通して、彼女が本当に求めていた救いといやしが与えられるのです。自分の人生の苦労を理解してもらえるということ、一人の人間として尊重されるということ、「あなたは悪くない」と言われること・・・主イエスと交わす会話と礼拝を通して、永遠の命の水を飲むこと、これが救いです。
なぜ教会は礼拝をし続けるのでしょうか。神さまが救いに招いてくださるからです。自分たちだけではなし得ない救いです。デナも、サマリア人の女性も、誰もこの救いから落ちこぼれることはないのです。自分という殻から抜け出て、視野を広げられていく救いです。礼拝でイエスさまが私たちと出会ってくださるのです。
救いを欲する多くの人々と礼拝をしたい・・・それを心から願い続けるわたしたちでありたいと思わされるのです。
(牧師・西本詩生)
『 命(ぬち)どぅ宝 』
箴言20:12
創世記1:28
2024年8月18日(日)
わたしは今年6月23日沖縄慰霊の日に向けて、女性連合主催の沖縄学習ツアーに行ってまいりました。心に残ることがいくつかあります。そんなことの幾つかをお伝えしたいと思います。
10年前にフルタイムの仕事を辞めた時、沖縄のことをもっとよく知りたいと思い、この「沖縄命どぅ宝の日」6・23学習ツアーに心誘われたのですが、「ツアー」というのがちょっと煩わしくもあり、またしたいことが他にも沢山あり、決断に至りませんでした。
しかし、2017年10月には娘と沖縄旅行に行きました。レンタカーで気ままに走り、南部の平和祈念公園、平和の礎、平和祈念資料館、佐喜眞美術館にも行きました。沖縄の名所を回り、海にも潜り、美味しい物を食べ、大いに楽しみました。
それで、沖縄が良くわかったかと言うと、全然わからなかった気がして、変な感じが残りました。そのうち、夫が病に伏し、コロナが猛威を振るい、また自分の体調も万全でなく、学習ツアーに行こうかという気持ちは消えてしまったかのようでした。
ところが、去年の暮れに、女性連合の月刊誌「世の光」を見ていたら、来年は沖縄学習ツアーに行こうかしら、今なら行けるんじゃない?わたし?…という気持ちになりました。長年痛かった足を手術して、その後歩くことが楽しくなってきたし、不整脈が治まって来たし、夫亡き後、何かするのが億劫だったのが少し解消されてきたし、何だか神さまに行きなよと誘われているような気がするし…小さな願いは静かに養っていると、状況が変わり気持ちが変化して、実現に到るようです。実現に到らせて下さるのは神さまです。
1.西原新生バプテスト教会へ
ツアーの本拠地は那覇新都心キリスト教会で、ツアーの三日間共、まずは那覇新都心教会に集いました。一日目の23日は、那覇新都心教会を含めて五つの教会に分かれて礼拝を捧げました。わたしは那覇新都心の岡田安代さんと、横濱峰二子さんと三人で、西原新生キリスト教会にお邪魔しました。
【画像①教会の看板】
西原新生教会は、街中から離れた、沖縄風瓦屋根も見える一角の一軒家でした。柏本隆宏協力牧師と教会員の方3人と、わたしたち3人、計7人の礼拝でした。柏本牧師は、ルカ19章28節~44節から「平和への道」と題してメッセージされました。イエスさまが子ろばに乗って、エルサレムに入城する場面です。イエスさまはエルサレムの近くに来て、都が見えた時、「泣いて」言われました。「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・しかし、それは今おまえの目に隠されている」おまえとは「エルサレム」のことでしょう。同時にわたしたち一人一人でもあると思いました。
何が真実で何が平和かを良く知らないわたしたち人間は、滅び行くエルサレムのように愚かかもしれません。大国に従って、膨大な軍備や「核」に戦争の「抑止力」があるかのように期待している、これは平和をもたらす道を知らないわたしたちが「目に隠されて」している愚かな行為なのではないでしょうか。この先破壊されるエルサレムのように、わたしたちは今大きな危機の前にいるのではないでしょうか。柏本牧師は「真の平和への道は悔い改めである。・・・悔い改めを欠いたいかなる試みや企ても、真の平和をもたらすことはない」と語られました。沖縄で、6・23「命どぅ宝の日」に語られる「平和への道」メッセージは、強烈にわたしに悔い改めを迫りました。
【画像②西原新生教会の皆さんとの写真】
2.「骨を掘る人」具志堅隆松さん
礼拝後、各教会から那覇新都心教会に戻って来て、ツアーメンバー40名弱が観光バスに乗り込みました。行く先は沖縄南部、79年前艦砲射撃を受け、地上戦を受け、おびただしい人々が殺され、自決をし、傷つき逃げまどった場所です。沖縄本島全体がそうだったわけですが、南部は特に皆が逃げ集まり、多くの犠牲者が出ています。そこに、沖縄県立平和祈念公園があり、平和の礎(いしじ)=死亡したお一人お一人の名が刻まれた四角い石碑が並び、平和祈念資料館があります。午前中には祈念式典が行われたので、報道車が多く、会場の片づけが行われていました。多くの人たちが、刻まれた名の前に集い、花を手向け、しばし時を過ごしていました。
資料館に行く途中、一人の男性がハンガーストライキをしている場所に誘導されました。南部の土を辺野古埋め立に使うなと抗議している具志堅隆松さんがいました。ハンスト自体は後1時間ほどで終わるというところでした。具志堅さんや支援者、わたしたち飛び入りの者たちで、歌を歌いました。「月桃(げっとう)」という歌、6月慰霊の日にはよく歌われる沖縄の歌だそうです。(どうぞ、YouTubeで探して聞いて下さい)「6番、香れよ香れ/月桃の花/永遠に咲く身の花ごころ/変わらぬ命/変わらぬ心/ふるさとの夏」
具志堅さんがアピールする言葉が良く聞き取れませんでした。それで、わたしは先日、札幌で上映された「骨を掘る男」という映画を観に行きました。映画は、具志堅さんが暗い場所で土を掘っているところから始まります。具志堅さんは今70歳、28歳の時から南部のガマの周辺、人が入っていかないような場所に入って、土から遺骨や遺物を掘り出しています。彼は人体の構成をよく学んでいて、あるいは長年骨を掘りながら知り得たのかもしれませんが、骨がどの部位のもので、骨や遺物の状態を見て、どういう状況で亡くなったのかを想像・推測します。具志堅さんは骨を掘ることによって、死者の尊厳を守りたい、「行動的慰霊」だと言います。まだ何千体も眠っているであろうその南部の土を、辺野古に基地を作るための埋め立てに使おうとしていることに、彼はNO!と言っているのです。どうぞその「行動的慰霊」に関心を持ってください。
【画像③具志堅さん】
3.糸数アブチラガマ体験
平和祈念公園を後にして、糸数アブチラガマに行きました。ガマとは沖縄の方言で、洞穴や窪みの事を言うそうです。沖縄には数十万年をかけて出来た自然の洞窟が何千とあるそうです。その一つ、この糸数のガマは、沖縄戦では住民の避難場所になり、昭和20年5月1日から日本軍が作戦陣地とし、南風原(はえばる)陸軍病院の分室になりました。軍医・看護師・ひめゆりの女学生たちが配属され、約600名の負傷兵が運び込まれたそうです。わたしたちはそのガマに潜り歩きました。ヘルメットを被り一人ずつ懐中電灯を持つのがお約束です。入って右の奥の方は、重傷者が運ばれる場所で、そこにいた人で生き残った人は居なかったそうです。わたしたちはその場に立ち尽くし、促されるままにいっせいに懐中電灯を消しました。全くの暗闇でした。隣の人も見えません。足元はおびただしい死体が並んだ場所です。瀕死の人たちが、この真っ暗闇の中で生き伸びるエネルギーを得ることは出来なかったでしょう。
その後も、息を飲みながら長い洞窟を歩きました。上から光が漏れる場所もあります。ここは台所、ここは倉庫、ここはトイレ、またひめゆりの女学生たちはこの辺で負傷兵を看病した等、解説を聞きながら、暗い洞窟で働く女の子たちの姿を想いました。結局、日本軍は5月末ガマを放棄して南部へ逃げました。残ったのは負傷兵と看護にあたっていた者たち、地元の住民たちでした。ちなみに6月23日は、日本軍・牛島司令官の自決により、日本軍の組織的戦闘が終了した日です。
その後米軍の攻撃にあいながら生き残った人たちは、米軍の投降勧告に従って8月22日にガマを出たそうです。その時ガマを出て生き残った人たちが、後に証言をして、このガマであったことを、今わたしたちが知るのです。軍に従って(信じて)南部に向かった人たちの多くが亡くなりました。ガマの中で、地上で、自決する人たちも多くいました。糸数アブチラガマであったことは、何千とあるガマの中でも起きたことでしょう。そんな人たちを親族に持つ人たちが戦後79年、命のバトンを渡して生きてきたのが沖縄なのだと知りました。一人一人は多くを語らないけれど、遺伝子のように「命どぅ宝」=「命こそ宝だよ」と身をもって伝えて来たのではないでしょうか。そのように感じました。
4.伊江島のサンゴ礁
二日目6月24日は、前日と同じ観光バスで、伊江島に向かいました。その途中、辺野古の埋め立て地を眺めました。すでに辺野古側は90%埋められ、今は大浦湾側に移っているそうです。こちらは水深が深く軟弱地盤で、7万本の杭を打ち込む予定だそうです。この辺のサンゴは他に移したのだそうですが、ボンドでくっつけるというやり方で、生きていないのではないか?と推測されています。本部(もとぶ)港からフェリーで伊江島に渡るのですが、その途中、海中の土を掘る船の群れが目につきました。一週間前に行われた沖縄県議選で、現知事・玉城デニーさんの支持層が敗れたために、採掘に拍車がかかったそうです。採掘した土を運ぶダンプを遅らせるため、何人かの人がダンプの出入口をゆっくり往来するそうです。ダンプの運転手もわかっていて、のんびり待ち、ケンカするのでなく笑顔で抗議行動をしていると聞きました。
伊江島は、美ら海水族館の左の方にある島です。本部港から大型フェリーで30分。島の周囲は22.5キロ程。平坦な島の中央に三角にとんがった城山(ぐすくやま)愛称「伊江島タッチュー」があります。標高172m。にょっこり飛び出ていて、妙に愛嬌のある山です。行くことがあったら見て来て下さい。
伊江島には「命どぅ宝の家」という私設の博物館があります。そこも詳しく紹介したいのですが、今日は時間がありません。
小さな伊江島にも本島同様にいくつもの洞窟があります。その一つ、ニャティアガマでのことをお話しします。【画像④洞窟内】
この洞窟は海側からは洞窟に見えず、洞窟の中は広くて別名千人ガマと言われたくらい多くの住民の逃れ場所になったそうです。ガマには長い階段を下りて行きました。わたしは早めにガマから上って来て柵に寄りかかって海を見ていました。【画像⑤海】
すると観光バスの運転手・宇良さんが隣に来て、「この光景に癒されるんだよね~」とおっしゃいました。あの白い波が立っている所からこっちがサンゴ礁。サンゴ礁のお陰で荒い波も来づらいし、島にもすぐに近寄れない、と教えて下さいました。どうやら、宇良さんは、伊江島の出身者のようです。わたしもうっとり海に見とれてしばし癒されました。わたしもこの光景を忘れないでしょう。
さて、最後になります。わたしが着ているこのTシャツ、気になりませんか?これは、西原新生教会に連れて行って下さった岡田安代さんが作成したものです。若い女性です。
安代さんが書かれたプリントによると、この鳥はアジサシという渡り鳥だそうです。辺野古の埋め立ては、今大浦湾側からも進んでいると先ほど言いましたが、大浦湾には絶滅危惧種262種類を含む5,800種以上の生物が確認されているそうです。アジサシもそのうちの一つで、オーストラリアから飛んで来るそうです。彼らは海に浮かぶ小さな岩場で卵を産み子育てするそうです。「一度、アジサシを見に辺野古へ足をお運びください。アジサシの群れがあなたの思いを世界に運び届けてくれますようにという思いを込めました」と安代さんが言葉を結んでいました。
今回沖縄に行って、命は人間の命だけではなく、海の中の生き物、空の鳥たち、全ての生き物たちに向けての「命どぅ宝」なんだと知りました。辺野古で長く抗議行動に参加している川上佳子さんは「命を受けたものがみんな一緒に生きたい。わたしは海の中の生き物に励まされています」とおっしゃっていました。
この報告を聞いて、わたしもツアーに参加してみたいなと思われた方がいたら、是非来年、神さまのお誘いを受けて「行きます!」と決断して下さい。杖をついた人も、若い人も、男性も参加されていました。そのようなお一人お一人との出会いも、嬉しい出来事でした。感謝して心に留めておきます。
祈ります。
(教会員 )
『 自分が闘っているんじゃなく、
神さまが闘ってくれている 』
出エジプト記14:14
創世記32:22~32
2024年8月11日(日)
◆ こどもメッセージ
7月から、創世記の中のヤコブのお話を読んでいます。エサウ兄さんの受けるはずだった“祝福”をだまし取り、エサウ兄さんを怒らせてしまって、遠くにあるラバンおじさんの家に逃げてきたヤコブは、今度は自分がラバンおじさんにだまされて、長い間そこで働かされることになりました。その代わり、ヤコブは、たくさんの家族と、たくさんの財産を手に入れました。ようやくおじさんの家を出て、自分の家に帰れる日がきたのは、それから20年も経ってからのことでした。ただ、ヤコブにはずっと心にかかっていることがありました。そう、だまして怒らせてしまったエサウ兄さんのことです。ヤコブは家から逃げ出した後、夢の中で神さまからこんな約束をもらっていました。「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るよ」って。 それで、ヤコブは、ラバンおじさんにどんなひどいことをされても、腐らず、へこたれずに過ごしてくることができたんです。「神さまが共にいて、ちゃんと見ていてくれて、約束を果たしてくれるはず」って、そう思えたから・・・。でも、20年ぶりに家に帰るのに、自分がだまして怒らせてしまったエサウ兄さんのことを思うと、怖くて怖くて仕方なかったんです。確かにエサウは、ヤコブが逃げ出す時、「ヤコブを殺してやる!」って言うほど怒っていましたから・・・。心配が段々大きくなって、「神さまが共にいてくださるから大丈夫」っていう気持ちを忘れていってしまいまったヤコブに、また策略家の顔が戻ってきました。ヤコブは、また自分で何とかしようと、まずエサウ兄さんのところに遣いを送り、様子を伺うことにしました。すると、エサウ兄さんはヤコブたちを迎えるために、400人もの人を連れて、こちらに向かっているということがわかりました。ヤコブは、ビビりあがってしまいます。「エサウ兄さん、そんなにたくさんの人を引き連れてきて、一体どうしようというんだ・・・」「きっと、ぼくらのことを攻撃しようとしているに違いない」どうしようもなくなったヤコブは、神さまに祈りました。「あなたは、ぼくの子孫を、砂のように数えられないほど増やしてくれると約束してくれたじゃないですか。守ってくださいよ」って。ヤコブは叫ぶようにして神さまに祈って・・・、そして、すぐにまた自分でエサウ兄さんの怒りをなだめるための準備を始めるんです。ヤコブは、自分の財産である家畜を、エサウ兄さんへの贈り物として、いくつかのグループに分けました。そして、その贈り物たちを、自分より先にエサウ兄さんの所へ行かせました。そうすることで、後ろから行く自分が、エサウ兄さんと顔を合わせる頃には、エサウ兄さんの機嫌も直っているだろうと考えたんです。ただ、ヤコブは自分のそのやり方が、いかに虚しいものであるか・・・ということも感じ始めていました。そんなことでは、本当の解決にはならないって、わかっていたんです。
そんな時に、神さまが人の姿で、ヤコブに直接出会ってくれました。エサウ兄さんの怒りをどうやったらなだめられるかと四苦八苦していたヤコブだったけど、本当に必要だったのは、エサウ兄さんとの仲直りではなく、神さまとの関係を直すことだったんです。ヤコブは、いつしか神さまのことを忘れ、神さまに背を向けていました・・・。信頼していたはずの神さまの約束を、どこかで疑い始めていました・・・。ヤコブは、神さまともう一度真剣に向き合おうと、たったひとりになって、その人と取っ組み合いの格闘を始めました。そして、ヤコブは、神さまと取っ組み合いながら、本当に頼らないといけないのは、自分の知恵でも、力でも、財産でもなく、ただただ神さまでしかない・・・という大事なことを思い出していきました。そして、「どうかぼくを祝福してください!」ってお願いするんです。それは、もうお兄さんからだまし取れると思えるような“祝福”ではありませんでした。自分だけが得するための“祝福”ではありませんでした。神さまが約束してくれたように、「どんな時にでも神さまが共にいてくださる」という約束としての祝福で、それをヤコブが受けるということは、そのヤコブを通して、すべての人々にその祝福が届けられる・・・そんなみんなのための“祝福”を、ヤコブは求めたんです。そして、その人は、ヤコブがどうしても諦めようとしないのを見て、とうとうヤコブを祝福しました。ただ、この取っ組み合いで、ヤコブはももの関節を外されてしまい、自由に歩けなくなってしまったそうです。足を引きずりながら歩くようになったんです。自分のことだけで言えば、ヤコブは祝福を受けるために、損をしたのかもしれません。祝福を受けるために取っ組み合いなんかしなければ、そんな不自由なことにはならなかったはずです。でも、神さまって不思議です。そんな弱さを抱えた人を通して、「わたしは必ず共にいる」って約束を伝えるんです。知恵があって、力があって、財産があるヤコブを通してではなくて、誰かに助けてもらえないと歩けなくなったヤコブを通して、「わたしは、あなたたちを決して見捨てないよ、必ずどんな時にも共にいるよ」ってお伝えになるんです。そして、その約束をどうにか人間に伝えるために、神さまはずっと格闘し続けてくださっているんです。イエスさまがこの世に送られ、十字架にかけられ、復活させられたことこそが、そのことの証拠なんです。
◆ 「神さまが共にいてくださる」との約束に、ただただすがるしかなかった・・・
休暇をいただいて、先週の日曜日は、ぼくが高校生の時まで通っていた西南学院バプテスト教会の礼拝に行ってきました。ちょうど西脇牧師も休暇を取っておられたこともあり、教会員が説教をしておられ、その説教にもとても励まされました。また、ぼくが病気になって手術を受けたことを心配しながら祈ってくれていた、たくさんのおばさまたち、おじさまたち、同世代の仲間たちに、元気になった姿を見せることもできました。みんな、とても喜んでくれましたし、口を揃えて「元気になったけんって、絶対に無理せんとよ」と言ってくれました。こっちの様子が見えているんでしょうかね・・・。また、今回の福岡滞在中に、西南神学部で一緒に学んだ仲間のひとりが亡くなりました。ずっと闘病しておられたんですが、あまりに急なことだったので、とても驚きました。葬儀には出られませんでしたが、葬儀が始まる前にちょっとだけお別れをさせてもらいに行きました。そこで、神学部時代の仲間や恩師にも会うことができました。
福岡で、お世話になったそんな人たちに会いながら、「ああ、ぼくの人生はこの場所から始まったんだったなあ」と、懐かしく感じていました。ただ、福岡で過ごした21年間を振り返ると、当然良いことばかりがあったわけではありません。嫌な思い出だっていっぱいありますし、悲しいことや、しんどいこと、今でも後悔していることだって、たくさんあります。それでも、今振り返ってみれば、「そのどの場面にも神さまが共にいてくれたんだ」と思えますし、ぼくにとっては、福岡は安心できる故郷で、原点です。小さい子どもたちと過ごすのが好きで「小学校の先生になりたい」という夢をもったのも福岡でした。小学校の先生になるために大学で学んだのは広島でしたが、その夢に挫折して、「もう一度勉強し直そう」と帰ったのも、福岡でした。今度は、「ミッションスクールの聖書科の教員になろう」と思って神学部で学んだのに、やっぱり教員としての道は拓かれず、牧師として教会に仕える道に進むことにしたのも、やっぱり福岡でした。そして、20年前にこの教会に来ました。全然かっこよくもなければ、誰にも誇りようもないような仕方で、ぼくはここに来ました。でも、それから20年。なぜだか今も、ここにいさせてもらっています。考えていたのとは全く違う形でしたが、幼稚園の園長として、教育の働きにも携わるようにもなりました。自分でその夢を実現しようと躍起になっていた時には、まったく拓かれなかった道だったのに、神さまは全然違う形で、事を進めてこられました。20年前、この教会に来ることになった時、まったくかっこよい形で来られたわけではありませんでしたが、こんなことを感じたことが、背中を後押ししてくれました。「これまで、自分の賜物や得意なことを活かして、自分のできる最善のことをして、神さまのために働くことこそが、神さまに仕えるということだと信じて進んできたけど、それは間違っていた。もし、ぼくに与えられた賜物が活かされることがあるとしたら、それは神さまによって活かされるんであって、神さまがぼくを神さまのために用いてくださるはずだ」と。ヤコブの姿を見ていると、かっこよくなんかいられなかったんで、神さまと格闘しながら、そんな風に感じたのかもしれない・・・と思わされます。牧師として働くことに、何の用意もできていなければ、まったく自信もない状態でしたので、「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守る」という、神さまの約束の言葉に、ただただすがるしかなかったんです。それでも、20年過ごしながら、何度そのことを忘れ、まるで自分の知恵や力で物事を動かしているような気になってしまったことか・・・、何かを手に入れたと驕った思いになってしまったことか・・・。振り返ってみれば、大きな失敗をしたり、うまくいかないことに出くわしたりすることでしか、自分の姿勢を省みることも、神さまに立ち返ろうとすることもせずに過ごしてきた、愚かな自分に向き合わされます。それでも、そんなぼくのために、忍耐強く格闘し続けてくださる神さまの一方的な愛によって、今もここに立たされているのです。
◆ 神さまが闘われることを証しするため、弱さと不自由さとを正直に差し出す
ヤコブは神さまとの格闘の後、生き方が変えられていきます。ヤコブという名前は、もともと「足を引っ張り欺く者」という意味の名前でした。そして、ヤコブはその名の通り“欺く者”でした。でも、神様は彼をもはや“ヤコブ”とは呼ばれませんでした。「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい」。ヤコブは、イスラエルと呼ばれたのです。イスラエル・・・それは、「神が闘う」、「神が持ち運ばれる」という意味の名前でした。自分の策略を駆使して、この世を渡ってきたヤコブ。しかし、彼はもはや、自分の策略を駆使して闘うのではなく、神さまが闘ってくださることを信じ、神さまが持ち運んでくださることを信じて生きる者とされたのです。そして、ヤコブは弱さと不自由さを得ました。それが、「神さまが共にいてくださる」ことの証しとなったからです。
この教会も、「神さまが必ず共にいてくださる」という、すべての人に向けられた祝福の約束を伝え続けていくために、ここに立たされています。そして、そのために、この教会にも、弱さと不自由さを与えられているのです。教会とは、ここに集うぼくら一人ひとりのことです。一人ひとりが、神さまの約束を証しするために、弱さと不自由さを与えられているということです。だから、せっかく与えられている弱さを、正直に差し出していきたいと思うのです。ここに集まって、強がったり、世間体を気にしたりしていても仕方がないんです。弱さも不自由さも持ち寄りながら、なお、そんなどうしようもないこのぼくらを、捨て置かず、そのままに赦し受け入れてくださるために闘い続けておられる神さまの伴いをこそ、証ししていくのです。
(牧師・石橋大輔)
『 しかし、神が共におられた 』
コリント人への第一の手紙10:13
創世記31:1~13
2024年8月4日(日)
子どもメッセージ
昨日、一昨日、中高生と青年とで、札幌から車で2時間半ほど離れた日高・沙流川に行き、「夏キャンプ」に参加してきました。今年の夏キャンプの開催時期が、ちょうど〇家の帰省と重なったため、去年と比べれば、参加人数が少ないだろうと予想していました。でも、神さまって、僕の知らない思わぬところで働いて下さっているんですね・・・最終的には去年とほぼ同じ人数、8人での参加となりました。札幌以外の教会で言うと・・・旭川、帯広、室蘭、函館から合流し、今年はワンちゃんの参加もありました。無事に行って帰ってくることができ、天候を心配していたところでしたがそれも守られ、先週はカンパを募って2万円以上集まり、皆さんのお祈りとお支えを本当にありがとうございます。神さまに感謝しています。
昨日お昼過ぎに札幌に戻ってきて、日高での写真を振り返っていました。僕は、日高で過ごした時間の大半を、バーベキュー調理のために炭火の前で過ごしていました。バーベキューは好きで、率先して調理をするのですが、熱い火の前でずっと過ごすとなると、体がほてって疲れます。でもその疲れとは別で、それを上回る楽しい思い出をいただいたことを、二日間の間の写真を観ながら味わっていました。
過ごしてきた日々を振り返ること・・・「ああ、あんなこともあったなぁ、こんなこともあったなぁ」と思い出すこと・・・今日の聖書の場面で、登場する主人公はまさにそれをしているのです。1日、2日という比較的短い期間を振り返っているのではなく、20年という長い間を振り返っているのです。そしてその20年を振り返りながらこう言うのです。「いいことばっかりではなかったけど、神さまが共にいてくださった。」と(5節)。「思わぬこともあったけど、大きな被害もなく、神さまが守ってくださった」と(7節)。
20年というそれなりに長い時間ですが、どのような20年だったのでしょうか。ここしばらくヤコブという人物に注目していますが・・今日の場面もヤコブの物語の続きです。
皆さんもヤコブ物語を聞きながら思うことだと思いますが、ヤコブという人は、ピュアで純粋な人というよりは、とても計算高い、ずるい人だと言えるでしょう。その性格の一つの象徴だと思いますが、お父さんから受ける祝福を巡って、お兄さんエサウを騙し、エサウの反感を買うことになりました。そして、お兄さんと一緒にいたら、ひどくぶつかり合ってしまうため、生まれ育った実家・・・お父さん・お母さんと一緒に住むことはできなくなりました。結局、遠い地に住むラバンおじさんという親戚の所に一人で行くことになりました。家を離れることは、ヤコブにとって初めての経験です。当時は車も飛行機もありませんでしたので、歩いて20-30日かかるラバンおじさんのところに向かいました。旅の間は、ほとんど外で寝る日々だったかもしれません・・・疲れもあり、途中で、もうだめだと思った場面もあったのでしょう。目的地にたどり着いて、遠い親戚と顔を合わせた時には、急に涙がポロポロ出てきました。そして、幸い、ラバンおじさんはヤコブを暖かく受け入れてくれました。そこから幸せで平凡な暮らしがはじまるのかと思いきや、実はラバンおじさんはとても計算高い、ずるい人だったのです。「計算高く、ずるい」・・・聞き覚えありますよね。ラバンおじさんとヤコブは似た者同士なのかもしれません。この時点で、ラバンおじさんが、自分を騙すような人であることをヤコブは知るすべがありませんでした。
その生活が一か月続いたところで、ラバンおじさんがヤコブに提案してきました。「ヤコブはいい仕事をしてくれる。本当に助かる。親戚だからと言って、ただ働きでは申し訳ない。何かほしいものはないか。何でも言ってくれ。」と。ヤコブは返しました、「実はお嫁さんを欲しいと思っているんです。ラバンおじさんの二人目の娘さん、ラケルに一目惚れしました。ラケルと結婚することはできないですか?そのために7年間一生懸命働きます」と。こうして、ラバンおじさんとヤコブは一緒に羊とヤギの商売をすることになりました。ヤコブは、7年後には愛するラケルと結婚できると思っていました。でも冷静に考えてみれば、契約を結ばず、このような決め事を専門とする弁護士も間に入らず、親戚ぐるみで約束をし、商売まで一緒にはじめたのです。「俺たち親戚なんだから問題が起きるわけがないでしょ」という曖昧さ満載の雰囲気の中で物事が進むことになりました。問題が起きるわけがないでしょうね・・・(笑)。
ともかく、ヤコブはラケルのことを愛していたので、7年間はあっという間に経ちました。ヤコブはラバンおじさんに言いました、「7年間が過ぎました。あなたの娘ラケルと結婚させてください。」。するとラバンおじさんは言いました「もう7年か。早いもんだなぁ。よし。それでは、お前たち二人のために盛大な結婚式をしよう」と。
当時、結婚式では、お嫁さんとなる女の人は顔を隠すヴェールという物をかぶるのが普通でした。顔がまったく見えないのです。このことを利用して、ラバンおじさんは、ラケルを式に連れていったのではなく、長女のレアを連れていったのです。ヤコブはラバンおじさんに騙されたのでした。結婚式は忙しく、大賑わいで、隣りにいる花嫁は、望んでいたラケルではないことにヤコブは全く気づきませんでした。気づいた時には、式が終わった次の日でした。
結婚した相手が、約束していたラケルでないことに気づき、ヤコブはラバンおじさんのところに急いで駆けつけて訴えました、「ラバンおじさん・・・あなたは何ということをしたんですか。ラケルと結婚できると思って、7年間一生懸命働いてきました。なぜ私を騙したんですか?」と。ラバンおじさんは答えました、「まぁまぁ。そんな感情的にならだいで、ちょっと落ち着いてくれ。ここらへんじゃ、妹が姉よりも早く結婚するなんて聞いたことがない。あんたの生まれた故郷では違うのかい?7年前、お前がここにきたときに説明したように思うんだが、おかしいなぁ・・・まぁ、違う文化の間で、勘違いが起こるっていうのはあることだ。せっかくのお祝いの時に細かいこと言うな。」ヤコブはこれを聞き、あきれて、しばらくそこで立ちどまってしまいました。結局、さらに7年間ラバンおじさんと一緒に働いて、望んでいたラケルとの結婚をすることができました。そして、ラバンおじさんとの羊とヤギの商売を巡って、それからさらに6年間そこで過ごしましたが、この商売の事でも問題が起きる事になります。
最初は7年間、ラバンおじさんのところでお仕事をするつもりでしたが、ヤコブは騙され続けて、20年もそこで過ごすことになりました。その間に二人のお嫁さんと結婚し、12人の子どもが生まれました。そしてその20年を振り返って、ヤコブは言ったのです。「いいことばっかりではなかったけど、神さまが共にいてくださった。」と(5節)。「思わぬこともあったけど、大きな被害もなく、神さまが守ってくださった」と(7節)。
行き詰った時、もうおしまいだと思った時、「こんなはずではなかったのに」と思わされしょんぼりする時・・・実はそれで終わりではなく、新しい道が神さまによって示されるという物語が聖書で繰り返し語られます。今日のヤコブの発言「いいことばっかりではなかったけど、神さまが共にいてくださった。神さまによって守られてきた」・・・ラバンおじさんと過ごす20年間を振り返ってのヤコブの発言は、数々の悩ましいことにぶつかりながらも、神さまによって道が示されていくこと・・・人の思いを超えて、神さまの意図が推し進められていることを物語っているように思うのです。今日のお話の最初に言いましたが、今年は、夏キャンプの参加者は、去年に比べれば少ないと思っていたところ、僕が知らないところで、神さまが働いてくださっていることを気づかされました。初参加者が3人加わったのです。僕らの思いを超えて、働き続けてくださる神さまが一緒におられる・・・このことを見ていく・・・信頼していく僕らでありたいと思わされた一週間でした。
どんな状況においても示されていく希望の道筋
ヤコブ物語を読み進めていますが、私がアメリカの大学に通っていた時、友人に誘われて、近くの教会の礼拝に参加したことを思い出します。今日の箇所を取り上げた説教でしたが、その牧師は私たち会衆に対してこう投げかけてきたのです。「皆さんの中にも、ヤコブのように、結婚して朝起きてみたら、自分が結婚したと思っていた相手と全く違う人物だった・・・そのような経験をしたことがないでしょうか。おっと!覚悟なしに、今ここで手を上げないでくださいね。」と。すると、会衆はドカッと爆笑。
相変わらず、スッキリしない・・・でも同時にどこかユーモラスな「家族の物語」が続いていきます。兄と父を騙したヤコブは、さらにすご腕のラバンおじさんとガチンコ勝負をするはめになりました。31章を最後まで読むと、ヤコブと嫁二人・・・ラバンから見れば、実の娘2人と義理の息子に騙されてしまうのです。誰が誰を騙しているのかが分からなくなるぐらい、ごちゃごちゃにこんがらがっているように思わざるを得ません。当人たちにとっては、全く笑えない状況です。でも、妙に親近感が湧く物語であると思うのは私だけではないと思います。
ヤコブと結婚した二人の姉妹・・・レアとラケルの間の関係もとても複雑です。バチバチです。ヤコブと結婚することになったことについて、お姉さんのレアには落ち度がないはずなのですが、一貫して、ヤコブは愛情を妹のラケルに注ぎ続けます。子どもを授かることを巡っては、姉のレア、そして妹ラケル、それぞれ自分の望むように物事を進めようとするのですが、人の思惑をはるかに超えて、神さまが命の主であることが物語れるのです。
2週間前の説教でも言いましたが、神さまはこの家族をお選びになったのです。完璧な家族ではなく、争いを知らない家族ではなく、「機能不全」と思われてもおかしくないこの家族を選ばれたのです。この家族がイエスさまの救いへとつながっていくのです。行き詰った時、もうおしまいだと思った時、「こんなはずではなかったのに」と思わされしょんぼりする時・・・実はそれで終わりではなく、新しい希望の道が神さまによって示されるという物語がここにあるのです。
神さまが道を開く
今回の夏キャンプでの事ではありませんが、今年の3月に開かれた「春の修養会」での交わりの時のことです。ある青年が、自分の家族のことを振り返りながら、このように語ったのです。「数年前私の父は病気で亡くなってしまいました。ちょうど大学生の時で、これからどうすればいいのか悩みました。母はその当時も仕事をしていましたが、妹二人もいて、今後のことがとても不安になりました。」。その後、親戚や友人からの支えもあり、当初は考えられなかった形で、妹二人も含めて、望んでいた学びを進めることができたことも語っていました。そして最後にこう語ったのです。「父が亡くなって、『今度は僕が家族を守らなくては』と思っていました。当然必死になってアルバイトも、学びも頑張りました。でも・・・今だから言える事なのかもしれませんが、このことをきっかけに教わったのは『家族を守るのは僕ではなく神さまだ』ということです。」このようなことが語られ、そのグループにいた人たちは、学校でのことや家庭でのことなどについて、自由にザックバラに語ったのでした。
ヤコブ物語を読み進めていく中で、一貫しているのは、それぞれが自分の思惑で動くゆえに、物事がこんがらがったり、複雑化したりするのですが、同時に、それらのことをも経ながら、神さまの意図が推し進められるということです。物事を進めるのは、ヤコブでもなく、ラバンでもなく、レアでもなく、ラケルでもなく、神さまなのです。そして、それは万民の祝福であるイエスさまの物語に続いていくのです。
今日の場面を読んで、パウロのみ言葉がベストマッチではないかと思いながら、先ほど読み上げられた招詞を選びました。コリント一10章13節です。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」。逃れる新たな道は神さまによって示されるのです。神さまが意図している道は、どんな試練でも、どんな出来事であろうとも、遮ることはできません。真実である神さまにより頼む私たちでありたいと思うのです。
(牧師・西本詩生)