『 とびっきり“おいしい” 』

マルコによる福音書2:15~17

コリント人への第一の手紙11:17~26

2024年5月5日(日)

 

子どもメッセージ

  今日はゴールデンウイークの真っただ中ですが、遠出をしているお友達もいるでしょうし、逆に札幌に遊びに来られているお友達もいると思います。人それぞれだと思いますが、どこか旅行にいくと、そこでしか食べられない「おいしい」という評判のものを食べたくなるのではないでしょうか?札幌に遊びに来られているお友達には、「“あそこ”で“あれ”を絶対に食べたほうがいいよ」とお勧めするものです。皆さんは“どこ”の“何”がお勧めでしょうか?

 僕は、6歳から12歳まで、日本の南にある台湾というところに住んでいました。そして、僕が住んでいた近所に、とびっきりおいしいラーメン屋さんがありました。いつ行っても並ばないと入れないぐらいの人気ぶりでした。日本から訪ねてくるラーメン好きの親戚がいれば、そこをよく紹介したものです。そのおいしさがばれてしまって、今では、日本のテレビ番組でも紹介されるほど、知られたお店になっています。

そこは、どちらかというと、小汚いお店でした。落ち着いた店内の雰囲気で勝負しているというよりは、味と値段の安さで勝負していることがすぐに伝わってきます。椅子はパイプ椅子で、テーブルは相席でした。ですので、必ず知らない人と肩を並べながら食べていました。床は綺麗にしていたと思いますが、それでももう何十年もお店をしていたということで、靴底が一瞬ペタッとくっつくような感じでした。店内はいつも人で溢れていましたので、注文内容の呼びかけが飛び交い、厨房からの音も聞こえてきて、ガヤガヤして、とても賑やかでした。

 これは、僕の偏った理解かもしれませんが、台湾の人のほとんどはおいしいものを食べることに関して、極度に関心を寄せます。「おいしいものには目がない」と言っていいと思います。ですので、こういうことが起きるのです。僕が住んでいた近所にあった、いつも行列ができるラーメン屋での事です。いつ行っても行列があったのですが、その行列にも特徴がありました。そこに並ぶのは、ぞうりをはいた学生さんもいれば、仕事を終えた作業服姿の人もいれば、近所のお母さん方もいれば、高級車のロールズロイスに乗ってきた、見るからにも高そうな服装の人もいるのです。普通に、大企業のお偉いさんや政治家とかも並んでいたのです。普段他の場面で肩を並べることはないはずの人たちが、とびっきりおいしいラーメンを求めて列に並び、店内では肩を並べて、麺をそそっていたのです。

 このようなお話は一つのたとえ話として紹介していますが、イエスさまとの食事でも同じようなことが起きていたのではないかと思うのです。普段他の場面で肩を並べることがないはずの人たちが、他のどこでも得られない“何か”を得られるから・・・魂に染みこむ、とびっきり、ずば抜けた“愛情”をそこで得られるから、イエスさまを囲んでいたのです。

 イエスさまとの食事は、普段食事を共にしない人たちがそこに集まったことに特徴がありました。一般的には“きらわれもの”・“やっかいもの”と見られていた人たちと、イエスさまはあえて食事をしたのです。だからといって、特に目立たない人がいなかったわけでもありません。いろんな人がいて、当時のお偉いさん・・・政治家さんたちもそこに集まりました。イエスさまの最後の食事の場面では、その数時間後には、自分を置いてきぼりにし、売り渡す人たちも共に座っているのを知りながらも、共に食事をしたのです。そのぐらい、イエスさまの食卓から追い出されることはなかったのです。そして、イエスさまを囲む食事は、恐らく静かなものではなかったのでしょう。気にしようとすれば、周りに気になる事はいくらでもあったのでしょう。けれども、イエスさまと一緒にいると、そこでしか味わえない、魂まで沁み込んでくる“愛情”を感じるから、周りで気になるものが沢山あったとしても、それらはちっちゃく見えたのです。つまり、イエスさまとの食事は、ずば抜けて、とびっきり“おいしかった”のです。床がベタベタしていようが、周りがガヤガヤしていようが、それらが気にならないぐらいとびっきり“おいしかった”のです。ここでいう“おいしい”とは、味の意味で言っているのではありません。

 私たちは、月に一回、主の晩餐式を礼拝の中で行っています。ある意味で、そこでいただくパンはただのパンであり、ただのぶどうジュースです。ただのパンとぶどうジュースですから、とびっきりおいしいわけでもなく、不味いわけでもありません。けれども、それがイエスさまからいただいているパンでありぶどうジュースであると信じるときに、それをいただくことで、ずば抜けて、とびっきり“おいしい”ものになるのです。イエスさまが命がけで、そのパンとぶどうジュースを通して、新しいいのちをくださっているのですから。周りで何か気になる事があろうとも、それらが気にならないほど、“おいしい”のです。今日この後、主の晩餐式を味わいますが、魂まで沁み込む、神さまの愛情が詰まったパンとぶどうジュースであることを味わい、共に喜びたいものです。

 

分け隔てない「主の晩餐」ではなく、「各々の晩餐」の実態

 パウロは、11章2節で「あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う」とほめながら、しばらく、教会内の男女の立ち振る舞いについて語りました。しかし、今日取り上げている17節に入ってすぐに、「あなたがたをほめるわけにはいかない」という厳しめの言葉に一気に転じ、改善を強く求めていることがすぐに伝わってきます。パウロは、コリント教会で行われていた主の晩餐に極度の違和感を覚えていたのです。

 当時の晩餐式は、現代のもののように、一かけらのパンと少量のぶどう酒で行うものではなく、お腹も心も満たされる完全な食事でした。文字通りの晩餐だったのです。そして、それは月に一回行われるのではなく、毎回集まる度に行われていました。コリント教会で、何が起こっていたかというと、仕事をせずに過ごせる、経済的に言えばより裕福な一握りの教会の人たちが、まず食事を澄ましていたのです。日中の仕事や生活を終えてからやっとの思いで集った、経済的に貧しかった人たちが教会に辿り着いた時には、食事がほとんど何も残っていなかったのです。ひどい時には、先に食事を食べた人の中に、お酒を飲み過ぎて出来上がっていた人もいて、ものすごく楽しみながら過ごしている人たちもいれば、でもそのすぐ横には、空腹で過ごしている人たちがおられたのです(21節)。つまり、貧しい人たちは、主の晩餐の喜びと嬉しさから取り残されていたのです。このような教会の様子がイエスさまの教会なのか?とパウロは問いかけ、激怒したのでした。貧しい人への配慮が足りないということではなく、イエスさまの福音に反する姿であるために、パウロは警告を鳴らしたのです。

 子どもメッセージでは、美味しいラーメン屋さんのことを紹介しました。そこでしか食べられない絶品ラーメンを求めて、分け隔てなく、いろんな人が肩を並べていました。社会層の垣根を感じさせないお店であったということも、美味しさの秘訣であったかもしれません。けれども、そのような良い思い出とは真逆の記憶もあるのです。同じく台湾での事ですが、子どもであるからと言って、入れさせてくれないお店があり、私の父がそのことで激怒していたことを思い出すのです。「あなたはここには入れない」「あなたがここにいると困るんだ」という直接的な言葉でなくても、そのような思いが伝えられるのは、良い気持ちをしません。お店にはそれぞれの事情があるのでしょうが、イエスさまの教会で、そのような排他的な姿勢が許されるのか?イエスさまを求めている貧しい人々を、あなたたちは追いやっていいのか?イエスさまは貧しい人々を訪ねて、福音を分かち合ったのではないか?とパウロは投げかけたのでした。

 

この人を見よ

 23節以降で、恐らくイエスさまの直弟子から言い伝えられた伝承を、パウロは語りました。このような伝承です、「すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』。だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」

 「わたしの記念として」という言葉が2回出てきます。私たちが主の晩餐において、まずすることがここではっきり示されてあります。イエスさまを思い起こすことです。イエスさまが貧しき人々と関わり、そこで共に涙を流し、共に喜び、癒しをなしたその歩みを思い起こすことです。同時に、徹底して人々に仕えるその生き様がやがて逆風を浴び、十字架に行き着くことであったことも思い出さなくてはいけません。皆のために、十字架で命まで分け与えたイエスさまが神さまによしとされ、死者の中から復活させられたことも思い起こすのです。この一連の生涯を思い起こすことで、ただのパンとぶどうジュースがそれ以上のもの・・・魂にまで沁み込む、とびっきり"おいしい"恵みの晩餐となるのです。分け隔てなく与えられる恵みの晩餐です。

 今日この後、讃美歌205「まぶねの中に」を歌います。この歌詞の中に、イエスさまの誕生から復活に至るまでの生涯がよく表されていると思います。2節にはこうあります、「食するひまも うすわれて しいたげられし 人をたずね 友なきものの 友となりて 心くだきし この人をみよ」。この讃美歌を作詞したのは、「きよしこの夜」をドイツ語から日本語に訳した、由木 康(ゆうき こう)という人物ですが、この讃美歌の解説にこのようなコメントが添えられていました。「作者が青年時代だった1923年、イエスの神性(神の性質)について思い悩んだ結果、イエスの神性(神の性質)はイエスの人性(人としての性質)のうちに含まれ、それを通して輝き出ていることを示され、一つの確信に到達した」。讃美歌で繰り返されるのは「この人を見よ」という歌詞ですが、イエスさまの人としての生涯に眼差しを向けることで見えてくるのは、神さまの無限の恵みなのです。その恵みは、イエスなど知らないと言い張ったペテロにも及ぶ恵みであり、イエスを引き渡したイスカリオテのユダにも及ぶ恵みであり、あなたと私にも及ぶ恵みであるのです。

 パンと杯をいただく私たちは、イエスさまに倣っていく日々に押し出されていくのです。どんなに頑張っても、イエスさまに及ぶことはないのでしょうが、イエスさまに倣っていくその歩みに、永遠の命があり深い喜びがあるのです。「この人を見よ」とパウロは語ったのです。イエスさまの生涯から眼差しをそらさない私たちでありたいのです。

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


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